小さな兄弟 (物語)
アニシナベ(オジブウェイ)族につたわるおはなし
再話 北山耕平
※「アニシナベ」とは「はじめの人」「最初の人間」あるいは「もとからいた人間」という意味。北アメリカ大陸の五大湖の北側からカナダにかけてもともと暮らしており、オジブエイ族とかチペア族という名前でも知られている人びと。アルゴンキン語族に属する。樹の皮で作ったカヌーを足のかわりに使って水のうえを旅し、雪のうえはスノーシューズをはいて歩いた。ワイルドライスを「スピリット・ギバー・グレイン」として大切にし、魚や肉と一緒に食べた。この「オジブエイ」とか「チペア」という名前は、オリジナルの名前ではなく、ここ数百年ほどの間にひろく使われるようになって定着したもの。「オジブエイ」は近隣部族による呼び名で「絵文字をのこす人びと」という意味であるともいわれているが、同時に彼らが日常的にはいていたモカシンという革製の靴のスタイルから「前にしわを寄せる」という意味もあるとか。「チペア」は「オジブエイ」とほぼ同じ意味と言っていい。アニシナベ族は、アメリカとカナダに現在16万人ほどが暮らしており、アメリカの先住民の中では最大級の---正確には2番目に大きな---グループ。
これは むかし、むかしの、そのまた むかし ちきゅうが うまれて まだ まもないころの おはなしです。
あるあさ まだくらいうちに いつものように おひさまが ゆっくりと のぼり はじめました。
ところが そのひは いつもとは ちがって いたのです。
おひさまが あんまり じめんに ちかづき すぎたために なんと いっぽんの たかいたかい きのえだの さきに ひっかかって しまいました。
たいへんです!
どうにかして にげようと しましたが もがけば もがくほど よけい みうごきが とれなく なって いきます。
そういう わけで そのひは うっすらと あかるくなったまま いつまでたっても よるが あけ ませんでした。
ちきゅうは うすぐらい まま です。
とりたちも どうぶつたちも はじめは そのことに まったく きがつきません。
「なんだ まだ あさじゃ ないのか」
めを さました ものの あたりが うすぐらかったので これ さいわいと もういちど ねむってしまった ものたちも いました。
「いやいや うれしいなあ!」
「こんなに ありがたいことはない」
ひょうや ふくろう などのように ひるよりも よるが だいすきな どうぶつたちや とりたちは みんな おおよろこびです。
「しめしめ いつまでも あさがこなければ えものが ぞんぶんに おいかけられるわい!」
でも しばらくすると さしもの とりたちも どうぶつたちも みんな なにかが おかしいことに きがつきました。
「どうしたの かしら?」
「なにが おきたの かな?」
「おかしいぞ! おかしいぞ!」
くらやみの なか みんなが いっかしょに あつまり かいぎが ひらかれました。
「おひさまは まいごに なったに ちがいない」
ワシが そう いいました。
クマが こたえます。
「みんなで さがしに いかなくては」
そこで とりたちも どうぶつたちも みんな てわけして おひさまを さがしに でかけることに なったのです。
どうくつの なか、ふかい もりの おく、いくつもの やまの うえ、どこまでも つづく ぬまち。
いくら さがしても でも どこにも おひさまは いません。だれ ひとりとして おひさまを みつけることが できませんでした。
そのときのことです。
いっぴきの ちいさな ちゃいろの リスが こんなことを かんがえました。
「そうだ! もしかしたら おひさまは せの たかい きの えだに ひっかかって いるの かも しれないな」
ちいさな ちゃいろの リスは どんどん どんどん ひがしに むかいながら せのたかい き という きを かたっぱしから いっぽんずつ しらべて いきました。
そして ついに あの たかい たかい きの うえで えだの なかに ひっかかって みうごきがとれなくなっている おおきな ひかり かがやく ひのたまを みつけたのです。
さっそく きに のぼって たしかめて みると その おおきな ひのたまは まさしく おひさま ではありませんか。
でもおひさまの ひかりは あおじろくて たいそう よわって いるようです。
すると おひさまが かぼそい こえで いいました。
「たすけて くれないか、そこの ちいさな きょうだいよ」
おひさまを つかまえている たくさんの きのえだをいっぽん いっぽん はで かみきり ながら リスは すこしづつ おひさまに ちかづいて いきました。
でも おひさまに ちかづけば ちかづくほど あつさも まして いきます。
「うう、あつい! でも まけるものか。ぼくが おひさまを たすけるんだ!」
リスが そうやって たくさんの えだを かみきればかみきるほど おひさまは すこしずつ じゆうになり、げんきを とりもどし かがやきを まして いきます。
ところが、あるとき、
「もう、だめだ」
と リスが いいました。
「あつすぎて これいじょうは いけません。ぼくの けがわが もえてしまう。もう、ほとんど まっくろに なっています」
「たすけて おくれ」
おひさまが また いいました。
「たのむから やめないでくれ。ちいさな きょうだいよ」
そうまで いわれたら あとには ひけないではありませんか。ちいさな リスは くるしみを こらえて えだを かみ つづけました。
そうこう するうちにも おひさまは さらに さらに あつくなり、かがやきも さらに さらに ましていきます。
いや その あついの なんのって!
いや その まぶしいの なんのって!
「やや、なんてことだ、ぼくの しっぽが、やけおちたぞ!」
ちいさな リスが うめきました。
「もう だめだ! ほんとうに もうだめ! もう これいじょうは すすめません」
すると おひさまが いいました。
「たすけて おくれ、ちいさな きょうだいよ。あと もうすこしだ。もうすこしで わたしも じゆうに なれる」
しかたなく ちいさな リスは がまんに がまんを かさねて さらに えだを かみ つづけます。
おひさまは すでに あかあかと ひかり かがやいていて、リスが いっしょうけんめい かみ すすむ につれ その かがやきも いっそう まして いきました。
「うーん、まぶしい。このままでは めが つぶれる!」
リスは おもわず さけびました。
「もう、やめても いいですか!?」
おひさまが こたえます。
「あと すこし。もう すこしだ!」
そうやって リスが さいごの えだをなんとか かみきった その とたん。
じゆうに なった おひさまは はじきだされたように ひろいそらに いっきに かけ のぼって いきました。
あれよ、あれよ。
いきなり せかいに よあけが おとずたのです。
そうやって ちきゅうの あたらしい いちにちが また はじまりました。
せかいじゅうの とりや どうぶつたちも あたらしい あさが きたので また みんな しあわせになりました。
でも あの ちいさな リスだけは すこしも しあわせなんか では ありません。
おひさまの きょうれつな ひかりに りょうほうの めを やられて めが まったく みえなく なっていたのです。
ながくて ふさふさしていた しっぽも ひどいねつで やけおちて しまい ました。
かろうじて やけることを まぬがれた けがわも いたるところが まっくろけ。
ひふなんか ねつで だらりと のびきって いました。
リスは ぜんしん ぼろぼろのまま さきほどまで おひさまが ひっかかっていたあの きの たかい えだの ところで じっと うずくまったまま うごけませんでした。
そらの たかい ところからしたを みおろしていた おひさまの めが、ちいさな りすの あわれな すがたを とらえました。
じぶんを たすけるために いのちすら なげだそうとした ちいさな リスを おひさまは ほんとうに いとおしく おもいました。
「ちいさな きょうだいよ」
そらから おひさまが リスに こえを かけました。
「よく たすけて くれた。おれいを あげよう。なんでも ほしいものを いいなさい」
「ぼくは むかしから そらを とびたかったんです。でも、もう めも みえないししっぽも やけて なくなってしまいました」
ちいさな リスが かなしそうに いうと、おひさまは にっこりと ほほえみました。
「ちいさな きょうだいよ。しんぱいは いらない。いまから おまえさんを どんな とりたちよりも うまく そらを とべるように してあげよう。それに あれほど わたしの すぐ ちかくに までちかづいたのだから おまえさんの め には わたしの かがやきは もはや まぶし すぎるだろう。かわりに くらやみの なかでも みえる めを さずけよう。きょうから おまえさんは そらを とびまわりながら まわりの おとを ぜんぶ ききわけることが できるはずた。わたしが そらに のぼったときに ねむりにつき わたしが せかいに さようならを つげるときにおまえさんは めを さます ことに なるだろう」
たかい きの えだに つかまっていた リスが そのてを はなしたとき リスは もう さきほどまでの リスでは ありませんでした。
てを ひろげると そこには おおきな つばさが あります。その ひろい つばさを ひろげて リスは、いや もと リス だったちいさな どうぶつは、じゆうに そらを とびまわり はじめました。
しっぽが なくなったことも ちゃいろの けがわが なくなったことも もう くよくよなんか しません。
よるに なればじぶんの じかんが きたことも はっきりと わかります。
おひさまの すがたを もうみることは できませんが、おひさまの あたたかさはいつも こころの なかに あります。
むかし むかしの その また むかし、おひさまは そうやって ちいさな ちゃいろの もともとは リス だった けれど いまは もはや リスでは なくなってさいしょの コウモリに なった ものに ふかい かんしゃの きもちを あらわされた のだ そうです。
「Storytelling Stone」カテゴリの記事
- ストーリーテリング・ストーンと教え(2011.01.29)
- ジャンピング・マウスの物語(全文)(2010.01.01)
- サーモン・ボーイ(鮭だった少年)の教え(2009.10.30)
The comments to this entry are closed.
Comments