土地のほんとうの名前を語る 宮沢賢治小論
●以下の小論は、2003年の秋ごろに書いたものです。ハードディスクの整理をしていて見つけました。実はあるコマーシャル雑誌——某石油会社の発行するもの——のために書いたのですが、当然のようにクレームがつきました。いろんな理由を付けられて書き直しを求められましたが、わたしが手を入れられるぎりぎりのところはここまででした。自分に宮沢賢治の影響が全くないとは言えないし、東北地方を旅しているときに記念館にもたちよつて、様々なことを考えさせてくれているし、生前ほとんど評価されなかったとはいっても、彼が残したものはあまりにも大きくて今日的な意味を失っていません。宮沢賢治について書くことは、たってと求められないかぎりもうないかもしれないし、「自分のなかで宮沢賢治とインディアンをつないでいるもの」については、関心を抱いてくれる人もいるかもしれないから、公開しておこうと思います。この小論はその後、昨年の暮れか今年の始めに、WPPD2004のメーリングリストでたまたま賢治のことが話題になったときに流したことがあります。賢治が生きていれば、アメリカ・インディアンのことに興味を持ったに違いないでしょう。北山耕平 (0:20 PM, Sunday, August 15, 2004)
土地のほんとうの名前を語る 宮沢賢治小論
文 北山耕平
宮沢賢治が生きた時代と、われわれの生きている時代は、科学技術の発展とそれにともなう工業化の時代をはさんで、まさしく対極にある。賢治は伝統的価値観や世界観が崩れて、工業化へと突き進んでいく時代を見ていたし、われわれは脱工業化社会を模索する生態学的な世界観を、かつての伝統的な価値観や世界観のむこうに見つけようとしている。異なっているとすれば、それは、われわれが「地球の生態学的な死」を非常に近いものに考えている点かもしれない。彼が百年遅く生まれていたら、どんな詩や童話を書いたのだろう? 自然に対して心をひらくことのできた彼のことだから、木のように考え、山のように考えて、己の生活圏との新たなきずなを見つけるための環境学的な物語でも書いていたかもしれない。
賢治は自然と社会が工業化−−人間が化石燃料に依存し、利益第一主義で、大量に生産し大量に廃棄する科学技術社会−−の大波にのまれる直前を生きた。彼が半ば専門とした農業分野でいうなら、少量多品目栽培から収益最優先の単一栽培へ、家族農業から大規模集約農業へ、化学合成された農薬や肥料の時代へと突入していく矢先の時代である。
■ 自然は人間活動の背景なのか?
二十世紀前半が「戦争の時代」だったとしばしばいわれるが、それは本質的には「人間と自然の戦争」であり、人間は自然を−−有機生命体としての地球を−−我が物顔に蹂躙し続けた。伝統的に生態学的な世界の見方を守りつづけてきた世界各地の少数民族の精神的な指導者などの代表が、ストックホルムで開催された国連主催の人間環境会議で「地球の危機」を指摘したのが一九七二年で、この時期を前後して、われわれはゆっくりと脱工業化社会を模索しはじめることになった。そして同じ頃から宮沢賢治が再評価されはじめる背景には、自然を征服すべき敵としては見ない脱工業化社会のエコロジカルな(生態学的な)価値観の興隆がある。
つまり、大規模な工業化の大波に押し流されて、わたしたちは、人間中心主義に陥り、結果として土地や自然とのつながりを、まったく喪失してしまったのである。土地は支配し、利用し、売買し、戦って奪い取る対象と見なされるようになり、一切の聖なるものがおとしめられた揚げ句に、自然は人間活動の単なる背景にされてしまった。
わたしが学んできたアメリカ先住民的な思考では、生まれるべくして生まれてきた人間は、その人間が生まれて育つ大地と、強いきずなで結ばれている。それはその人間が、その土地の支配者になるということをまったく意味しない。その土地は彼のものではなく、彼が、その土地の一部なのである。その土地に、彼は支配者としてではなく、ひとりの地球に生きる人間としての、自分の場所を見つけることになる。さまざまな伝統的な体験や儀式を通して、彼は、自分の精神の根っこがその土地と堅く結ばれていることを確認する。その上に息づいている一切すべての命と、彼は全面的に相互依存の関係にあることを知るのである。
■ スピリットをつなぐ場所
ネイティブ・ピープルの世界観では、地球はひとりの女性として認識されていて、彼女はわれわれと同じように意識を持っていて、考えていて、苦しんでいて、悩むこともあれば、喜びをあらわにもする。病気になれば悪いものを排出しようとするし、死ぬことだってある。その母なる地球のうえにあるありとあらゆる生命は、すべてが地球の子供たちであり、相互に密接に関係しあっていて、その関係の全てが神聖なものとされているのである。つまり「わたし」というのは、その土地に生きるすべての「根を持つもの」「地を這うもの」「羽根を持つもの」「水の中を進むもの」「四本脚のもの」「二本脚のもの」と絶えざる相互依存の関係にあり、そのすべてが聖なる関係によってつながっていることを知覚している存在のことなのである。
一本の木に命を見るように、彼らは森にも、川にも、山にも、丘にも、洞穴にも、雲にも、風にも、葉っぱの一枚、石ころのひとつにも、自然現象の全てに生命活動を見る。そのいっさいがっさいが自分の一部であると同時に、自分もまた母なる地球の一部なのである。そうやってその土地のスピリットを受けて生まれてきた人間には、当然その土地のほんとうの名前もわかっている。なぜなら、地球の先住民の伝統的な社会では、アメリカ・インディアンも、オーストラリアのアボリジニーも、その土地の名前を語ることはその土地のスピリットについて語ることと同じ意味を持たされているからである。
彼らがしばしば「自分はこの土地から生まれ、わたしの父親はあそこの山から生まれたし、わたしの母親はこの川から生まれた」などと言うのは、彼らとその土地との切っても切れない関係を伝えるためのものなのであり、そうした土地にはその土地の名前にふさわしい物語があるのである。詩人は、詩人の感性を持つ人たちは、多くが直感的にその土地のほんとうの名前を理解し、名前にまつわる物語をイマジネーションの世界からつむぎだすことができる。宮沢賢治は東北の岩手の大地で来るべき工業化社会を見据えてその作業を押し進めた。
工業化の大波に洗われた後、一切の聖なるものがおとしめられた結果、私たちは土地のほんとうの名前も、その物語もうしなってしまうことになった。われわれのスピリットは、大地から切れている。大地の世話をする守護者を喪失し、日本列島は今、瀕死の状態にある。再び母なる大地の声を聞く者は現れるだろうか? われわれはもう一度、あらためて土地との関係を結びなおさなくてはならない。それがいかに大変なことであろうとも、自分と密接につながるすべてのものたちのために、われわれは自分のスピリット日本列島のスピリットとを結びつける場所を見つけなくてはならない。自分がスピリットとひとつになり、そこに息づくすべての命と交流できる土地を見つけ、その土地のほんとうの名前を知り、その土地の物語を伝えていく作業に取り掛からなくてはならないのである。
つまりわれわれは、それぞれのイーハトーヴを、見つけなくてはならない。
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