インディアンは地面の音を聞く
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
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タイの言葉で「ハイビスカス」を意味する「Chaba チャバ」という可憐な名前をもらった台風16号、デジタル台風で見ると、目が消えかけていてその左巻きの渦の勢いはピークを過ぎたようですが、それでも今年一番大きな台風のまま、九州を狙っていますね。進路にあたるところに暮らす人たちは、これから数日は、気を休めることができないでしょう。
ネイティブの人たちは、台風(アメリカだとハリケーンね)や洪水や地震や竜巻や雷などの自然現象を、グレイトスピリットからのメッセージだと受けとめます。グッド・メディスンかバッド・メディスンかはわかりません。バッドのなかにもグッドがあり、グッドのなかにもバッドがあるのが自然だからです。とくにシャーマンであるメディスンマンやメディスンウーマンの人たちには、自然界のなかにある動物や植物だけでなく、母なる地球の御働きの現れであるそうした自然現象に特別に近しいものを感じるようで、その結果、彼らは自然の発する言葉や自然の掟のようなものを理解しています。彼等は象徴的なものと現実が混ざりあった世界で自然とコミュニケーションをとって生きています。だからそうした自然現象も、いわゆる科学的な分析などとは次元の異なる理解の仕方をするのが普通です。自然界にあるあらゆるものが知と力の源であることを理解する方法を、残念ながら現代人のわれわれはあらかた失ってしまいました。
かつて熱海の上多賀というところでみかん畑のなかの一軒家を借りて暮らしていた頃、わたしは物好きにも台風が伊豆半島を狙っている時などに、わざわざその通路の真下を目指して横殴りの雨のなか車を走らせたこともありました。あまりおすすめできるようなことではありませんが。でもいつだったか天城山のなか、河津温泉大滝の近くで台風が頭上を通過していくところを体験したことがあります。川はとてつもない水の量で、人間の腕ほどもある木々の枝などが次々と滝の上流から流されてきました。三時間ほどして台風が通過した後は、嘘のように世界が一変し、山も森も光に満たされましたが、そのときの大滝は、ものすごい水量で、頭の中が滝の音で溢れかえるほどであり、後にも先にもあれほどの勢いでゴーゴーと水の流れ落ちる光景を見たことがありません。ただただこちらは口を開けたまま、いろんなものをのみ込んで流れていくいつもとは表情の違う川の水面をいつまでも見ておりました。
なお台風17号(アメリカ名前でAERE・アイレー・嵐)は、ハイビスカス台風の力が大きすぎて押し出されて、台湾島を北から巻き込むようにして、すでに中国大陸の福建(ふっけん)省・福清(ふくせい)市に上陸し、熱帯低気圧に変わったものの今後は進路を西に取り、広東(かんとん)省を直撃する模様。台湾ではすでに20人以上が亡くなりました。台風がこんな動きをするのは珍しいと、広東省気象台が伝えています。珍しいことが起こっているのです。
「アメリカは言葉の死にゆく土地とみなされている」という8月16日付けのニュースをThe State.com というサウスカロライナに暮らす人たちのためのニュースサイトで読みました。ニュースは南カリフォルニアのLAの南に位置するオレンジ郡(Orange County)のサンタアナという町から発信されています。
アクジャチェメン(Acjachemen)というインディアンの部族国家が南カリフォルニアのオレンジ・カウンティ(オレンジ郡)にあり、そこの国の人たちの母なる言語が絶滅しかかっているというニュースです。「アクジャチェメン」なんてインディアンの名前を日本に暮らしている人たちはまず聞いたことがないと思います。
*図版はアクジャチェメン・インディアンの国の部族会議のシールド
※以下は2年前に日本のクラブカルチャーの仕掛け人である桑原茂一さんの主宰する創造集団クラブキングの求めに応じて、その「ケーススタディ」というオンラインのメディアに発表したものの再録である。私の事情を言えば、ちょうどカルロス・カスタネダの『時の輪—古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索』という本を太田出版より翻訳刊行した頃で、その本の紹介をかねて書かせていただいた。若干手を加えたのでよければお読みください。
ほんとうの「物語」というのは人間の外側にではなくて内側に存在している。心のなかに。心のなかをのぞき込む作業を西洋の学問では心理学とか精神分析学などと呼んでいるが、そうしたことは「白人文明」にだけ特有のものではなく、地球の先住民たちはそれを魔法として長いこと大切にしてきた。今ではそうした技術は「シャーマンの技」「シャーマニズム」「呪術」などと名づけられている。
近年、文明のあり方に疑問を感じた人たちによって「シャーマニズム」に脚光があてられていることは、感覚の鋭い人たちはすでにご存じのことと思う。「テクノ・シャーマニズム」とか「ポップ・シャーマニズム」とか「脱工業化社会のシャーマニズム」「都会型(アーバン)シャーマニズム」などとそれぞれに呼ばれていたりする。ポップな神秘主義の延長線上にある限りなくイカガワシイものから、そうでないものまでそこにはいろんなものが---ミソもクソも---ごちゃ混ぜになっているのだが、多くの人たちが「シャーマニズム」に関心を抱きはじめていることだけは誰にも否定しようがない。そして私が求めている「物語」もまたそのシャーマニズムと不可分の関係にあるのである。今回はその話をしたい。
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
Cultural Tidbits from the Cherokee Nation
チェロキーは伝統的に整理魔であり、なんでもかんでもさまざまなものを分類し組み分けしてきちんときめられたところにかたづけておかないと気がすまない人たちが多い。例えば聖なるものとされているものだって、使われていないときには鹿革に包まれるか、もしくは白い布でくるまれることがきめられていて、そのうえで特別な箱のなかにおさめられるか、決められた場所にきちんとしまわれることになっていたりする。
おそらくすべての地球に生きる人たちにとってもそうなのだが、伝統的なチェロキーにとっても、一番身近なシンボルは「輪」「環」「円」である。大地を踏みしめる踊りの動きは円を描くように動いたし、大昔は部族が話し合いをする部屋で火をたくときには、燃える火が円を描くように、つねに新しくくべられる薪は「X」の字におかれた。
さらにチェロキーの人たちが必ず神聖なものと考えるものに、「川の流れ」がある。川は「長い人(ロング・マン)」と認識されていて、身を清めたりさまざまな儀式を行うために川におもむくことは、ごく日常的に行われた。今日でも、川だけでなく渓流など水が流れる場所は神聖なところとされていて、そうした流れる水のある場所に行くことを特別な儀式のように考えているチェロキーの人たちもいることにはいる。水はチェロキーの言葉で「アワ(AWA)」といい、水の中に存在するスピリットのことを、彼らは「ロング・マン」と呼んだ。
そうしたことからもわかるようにチェロキーの人たちは昔から大変に信心深い。そして自然のなかにあるものはなんであれ聖なるものとして信仰の対象にした。チェロキーの「神」にあたる存在は「ヨワ(YOWA)」と呼ばれ、この名前はあまりに神聖であるがために、声に出してこの名前を言うことは神官にしか許されなかった。
Olympic Events Actually Native American, Not Greek
オリンピック一色だね。なるほど古代ギリシャ人が「オリンピック」を発明したかもしれないけれど、今のオリンピックのなかで行われる競技のなかにはネイティブ・アメリカンに起源を持つものがかなりあると主張する人物の記事を読んだので、概略を伝えておきたい。
その人物の名はスージー・チャフィー(Suzy Chaffee)。ここに掲載する「SKI」という雑誌のカバーガールをしてる超セクシーなお姉さんだ。彼女は、60年代にアメリカで作り出されたいわゆるフリースタイル・スキー(当時はホットドック・スキーと言われた)のトップスターで、アメリカでは結構名の売れた女性アスリート。68年にフランスのグルノーブル冬季五輪に滑降のアメリカ代表として出場、77年に現役を引退したのちもスキー活動を続け、2002年のソルトレイク五輪のセレモニーで披露されたネイテイブ・アメリカンによるイベントをプロデュースしている。
事実コロラドなどのロッキー山脈のなかにあるスキーリゾートの大半は、低賃金の先住民の搾取の上に成り立っているのが現実だったわけで、彼女のそのイベントは新しい文化活動として動きはじめた。バーモント州生まれの彼女とネイティブ・アメリカンのつながりは5歳のときにはじめてスキーの手ほどきをしてくれたのがアベナキ・インディアンのコーチだったことから。90年代にはネイティブ・アメリカン文化にズッポリとはまって、その結果として「みながもういちどひとつになって子供たちのためにスポーツを通して母なる地球を癒す」ことを目的とした「ネイティブ・ヴォイス財団(Native Voices Foundation)」の副創設者となり現在に至っている。
彼女が調べたところによれば、オリンピック競技の少なくても10種が、ネイティブ・アメリカンが昔からやっていたゲームから発展したものという。それらのなかにはサッカー、フィールド・ホッケー、カヌー、カヤック、水球などがある。
チャフィー姉さんによればさらに「ラクロス」もネイテイブ・アメリカンの考えだしたものと言ってよいし、アメリカ人も日本の人たちも大好きな「野球」だって、もとをたどっていくと、今でもいくつかの部族の人たちが楽しんでいる「ロング・ボール」というゲームにたどり着くのだとか。
ヨーロッパ文化が到来する以前のアメリカの先住民たちにとって、そうしたゲームは部族間の紛争を解決する手段だった。文明国が戦争をゲームにするのとどっちが「文明的」なことだろうか?
ギリシャのアテネでオリンピックがたけなわの今ほど、ネイティブ・アメリカンがこうした競技の創設にどれほど貢献しているかを振り返るのに最適なときはないかもしれないと、チャフイー姉さんは言っている。
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
Cultural Tidbits from the Cherokee Nation
太古より伝統的なチェロキー(ツァラギ)が動物界で最高の精神性に到達しうるフクロウとクーガーにたいして特別な敬意を払っていたことはすでに書いた。いくつかの異なるバージョンのチェロキーの創世神話においてもフクロウとクーガーは輝かしい存在として描かれている。万物創造の七日七晩のあいだ一度たりとも眠ることなく覚醒していられたのはフクロウとクーガーだけだった。ほかの生き物たちは皆眠りに落ちてしまう。ご存知のようにフクロウとクーガーが夜間に活動する習性を持たされている理由もそこにあるし、同じ理由で両者ともに夜の闇のなかで見えるだけの視力を持たされているとされる。フクロウは外見上はほかの鳥たちとは一線を画していて、その歩く姿はまるで人間の年寄りのようでもあるし、頭の羽がフワフワと逆立っているそのシルエットのせいで、しばしば猫にも見間違えられたりする。夜行性という点、夜に目が見えるという点ではクーガーはフクロウの兄弟といってもいい。フクロウの二つの目はとても大きく、人間のように顔の正面にその目はついていて、その目を片方ずつ閉じたり開けたりすることができるのだ。クーガーは動物界で、人間の女性のような甲高い叫び声を発することのできるただひとつの存在である。大変に秘密めかした行動形態をとり、その動きは予想だにつかない。松、杉(シダー)、トウヒ、ヒイラギ、そしてローレルは、どれも常緑樹で、一年を通して葉を保ち続ける。これらの植物たちもまた万物が創造された七日七晩のあいだ覚醒し続けて眠ることはなかったとされる。そしてそれがためにこれらの木々には特別な力が与えられており、チェロキーのメディスンと儀式においては、最も重要な植物とされているのである。
※チェロキーの創世神話は、地球が水に覆われていた時代からはじまっている。そして一匹のゲンゴロウ虫が海の底から陸地を引っ張りあげてきたとされる。動物と植物がその陸地(地球)の監視がまかされたが、最初の七日七晩のあいだ眠らずに起きていたのがフクロウとクーガー(一説ではパンサーとも)と、松や杉やひいらぎやローレルだった。
●以下の小論は、2003年の秋ごろに書いたものです。ハードディスクの整理をしていて見つけました。実はあるコマーシャル雑誌——某石油会社の発行するもの——のために書いたのですが、当然のようにクレームがつきました。いろんな理由を付けられて書き直しを求められましたが、わたしが手を入れられるぎりぎりのところはここまででした。自分に宮沢賢治の影響が全くないとは言えないし、東北地方を旅しているときに記念館にもたちよつて、様々なことを考えさせてくれているし、生前ほとんど評価されなかったとはいっても、彼が残したものはあまりにも大きくて今日的な意味を失っていません。宮沢賢治について書くことは、たってと求められないかぎりもうないかもしれないし、「自分のなかで宮沢賢治とインディアンをつないでいるもの」については、関心を抱いてくれる人もいるかもしれないから、公開しておこうと思います。この小論はその後、昨年の暮れか今年の始めに、WPPD2004のメーリングリストでたまたま賢治のことが話題になったときに流したことがあります。賢治が生きていれば、アメリカ・インディアンのことに興味を持ったに違いないでしょう。北山耕平 (0:20 PM, Sunday, August 15, 2004)
土地のほんとうの名前を語る 宮沢賢治小論
文 北山耕平
宮沢賢治が生きた時代と、われわれの生きている時代は、科学技術の発展とそれにともなう工業化の時代をはさんで、まさしく対極にある。賢治は伝統的価値観や世界観が崩れて、工業化へと突き進んでいく時代を見ていたし、われわれは脱工業化社会を模索する生態学的な世界観を、かつての伝統的な価値観や世界観のむこうに見つけようとしている。異なっているとすれば、それは、われわれが「地球の生態学的な死」を非常に近いものに考えている点かもしれない。彼が百年遅く生まれていたら、どんな詩や童話を書いたのだろう? 自然に対して心をひらくことのできた彼のことだから、木のように考え、山のように考えて、己の生活圏との新たなきずなを見つけるための環境学的な物語でも書いていたかもしれない。
Cultural Tidbits from the Cherokee Nation
チェロキー(ツァラギ)の世界ではまた数字の「7」は、神聖さもしくは純粋性において到達しうる最高のレベルを表している。言い換えれば、その段階まではなかなかいくことができないということである。もちろん、そこに到達することができないというものではない。昔は動物界においては、フクロウとクーガーだけが、このレベルにまで到達できると信じられていた。だからこそフクロウとクーガーのふたつの存在は、チェロキーにとって常に特別な意味を持っている。植物界においては、松、杉(シダー)、トウヒ、ヒイラギ、そしてローレルがこの高みに到達しうるとされてきた。それらの木々はチェロキーの儀式のなかでは大変に重要な役割を与えられている。なかでも杉の木は最も神聖なものとされていて、その赤と白の色合いは他にかなうものがないぐらいに見事なものとされる。そうした木々から切り出された材木もまた大変に神聖なものとされ、古代には名誉ある死を遂げた者の遺体を運ぶときに用いられた。
Cultural Tidbits from the Cherokee Nation
地球に生きる人たちのさまざまな部族においては、ある特定の「数」が儀式などにおいて重要な役割を与えられていることが多い。ネイティブ・アメリカンのラコタ(スー)やチェロキー(ツァラギ)ではとりわけ「4」と「7」の二つの数字が神話や物語や儀式の中でしばしば使われる。ラコタの人たちにとっての「4」と「7」の意味は、レイム・ディアーが本(『インディアン魂』河出書房新社刊)の中でおもしろおかしく語ってくれているのでそちらをお読みいただくとして、ここではチェロキーの話をしばらく連載という形で続けようと思う。なぜならわたしに今の道を指し示してくれたローリング・サンダーは、そのチェロキーの出身だったから。
チェロキーの人たちにとって「4」はなによりもまず自分たちを支配している四つの大きな力、大地と火と水と風の力であり、東と西と南と北の四つの方角を意味している。これら東西南北の方角は、それぞれ限定された色で区別されている。数字の「7」はラコタ一族と同様に、チェロキーを構成する七つの氏族をあらわし、この七つの氏族もまたそれぞれが世界の方角と関連づけられている。世界には方角が東西南北の四つしかないわけではない。東西南北以外にさらに三つ、上(上の世界)と下(下の世界)と中心(われわれのいるところ。あなたがいつもいるところ?)がある。だから世界に方角は七つあるのだ。
(上図)チェロキー(ツァラギ)の人たちは自分たちのことを「アニ・ユン・ウィヤ」と呼ぶ。これは「大本の人」という意味である。チェロキーはもともと現在のジョージア、アラバマ、ノース・カロライナ、サウス・カロライナ、テネシー、ケンタッキー、ウエスト・バージニアの北米大陸南東部を自分たちの国にしていた。図版は1871年に部族議会によって承認されたチェロキーの紋章。真ん中の七望星(七方向に向かって輝く星・seven-pointed star)はプレアデス(すばる)の象徴だともいわれているし、チェロキーの昔からある七つの氏族であるともいわれているが、ここでも「7」が鍵になっている。
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
エルビスがニクソンと会った日
キング・オブ・ロックンロールであるエルビス・プレスリーは何分の一かは公開されていませんがチェロキー・インディアンの血を受け継いでいました。そのロックンロールの王様が1970年の12月にホワイトハウスに時の大統領を訪問したときの記録が細かく公開されています。
エルビスがニクソン宛にホテルで飛行機会社のレターヘッドに書いた「最初に自己紹介をします。わたしはエルビス・プレスリーで、あなたのお仕事を大変に尊敬しています」という書き出しではじまる手紙の原文も全文が文字と実物写真で公開されているので、こいつは一読一見のの価値はあります。
また二人が談笑する光景の28葉の写真も公開されていて、けっこう笑えます。もちろんこれはでっちあげでもやらせでもないのだけれど、見ているとなにかおかしい。
10th BIRTHDAY EVENTS FOR MIRACLE, THE SACRED WHITE BUFFALO
今から10年前、アメリカ合衆国のウィスコンシン州のジェーンズヴィル(Janesville, Wisconsin)という田舎町にあるハイダー牧場(Heider's Ranch)で一頭の白いバッファローの雌の赤ちゃんが誕生した。今年の夏至の日に富士山麓朝霧高原でもたれた「せかいへいわといのりの日」の儀式につながりを持った人は、その白いバッファローの女の子が、ラコタの人たちのみならず全米のネイティブの人たちにとっての待ちに待った予言の実現であり、それ以後彼女は「ミラクル(奇跡)」と名付けられてネイティブの人たちに見守られながら大切に育てられていることをご存知かと思う。
真っ白いバッファローの子供として生まれ、後に毛が生え変わって黒毛、赤毛、黄毛と、予言のとおり4回毛の色を変えてきたミラクル。この8月20日は彼女の10歳の誕生日にあたっている。これまでに一度彼女は妊娠して子供をもうけたが、今回誕生日を前に再び彼女の妊娠が確認されており、出産が彼女の誕生日である8月20日前後に予定されていることを、ここに報告しておこう。
で、その誕生日にあたる8月20日には、ウィスコンシン州のジェーンズヴィルで彼女の10歳の誕生日を祝う儀式が行われることになっている。もしかして行きたいと思われる方があるかもしれないので、そのスケジュールなどを少し。また参加できない方達のために電子的に彼女にお祝いのカードを送れるサイトもあわせて紹介したい。
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
前略
ようやく新しい環境で動きはじめました。年式落ちのAppleのMacintoshのG4を入手しました。選択肢はこれしかなかった。OSは「X(Mac OS X v10.3 “Panther”)」です。画面がきれいなので、気にいりました。前から使っていた同じディスプレー(EIZO FlexScan T761)とは思えませんねえ。日本語のフォントが読みやすくなっていて満足。そういえば、昔のハードディスクが使えなくなる前に、そこにためていた物語を、この間いくつかアップロードしました。それからわたしがネイティブ・アメリカンのストーリーテリングにこだわり続ける理由を、かつていちど文章にしたものをみつけましたので、それにもう一度手を入れたものを明日にはアップロードできるでしょう。インディアン・ジョークなどは、もう少し環境が落ち着いてから、そろそろと出していきます。
これまでと同様、これからもよろしくおつきあいください。
なお「ネイティブ・タイム」(デジタル版 Version 4)のファイル5.4M分のファイルは友人に預かってもらって無事でしたので、今後もアップデートを続けて、公開を目指します。
北山耕平
ディネ(ナバホ)族につたわるおはなし
再話 北山耕平
これは ちきゅうが わかかったころの おはなしです。
キツネが かわで さかなを つっていました。
つりあげた さかなが 10ぴきに なると キツネは さかなを まとめて せなかに せおい もりの みちを いえに むかって あるきだしました。
てくてくてく。
ホピ族につたわるおはなし
再話 北山耕平(きたやまこうへい)
アメリカ・インディアンのくらすところには かならず イヌが います。インディアンのひとたちと イヌたちは とてもなかのよい ともだちなのです。でも このおはなしは まだ イヌたちが アメリカ・インディアンのひとたちと ともだちになっていなかったころの おはなしです。
ちきゅうが まだ わかかったころ、あるむらに ひとりの しょうねんが いました。
しょうねんの くらすむらでは むらびとたちが かおをあわせれば いつでも おたがいにわるぐちをいいあったり ののしりあったり けんかをしたり していたそうです。
みんなが もっと なかよく できればいいのに と しょうねんは むねを いためていました。
ぼくが かならず みんなの けんかを やめさせてやる と しょうねんは まいにち じぶんに いいきかせていました。
あるひ しょうねんが たびにでる けっしんをしました。
オノンダガ族につたわるおはなし
再話 北山耕平
※オノンダガ族 アメリカ大陸の東部森林地帯の北部をテリトリーにする部族で、モホーク、オネイダ、カユガ、セネカ、タスカローラなどの同じように長い家に暮らす人たちとイロコイ連合(長い家に暮らす人たちの連合)を構成していた。オノンダガ族というのは、自らを呼ぶときに使うもので、「丘に暮らす人びと」の意味。
むかし むかしの そのまた むかし、ちきゅうが うまれて まだまもないころの これは おはなしです。
せかいはいちめんの みずにおおわれて いました。
どっちを みても、みず みず みず。
どこまでも みずがつづいて います。
とりたちも どうぶつたちもみんな みずの なかをおよぎまわって いました。
アニシナベ(オジブウェイ)族につたわるおはなし
再話 北山耕平
※「アニシナベ」とは「はじめの人」「最初の人間」あるいは「もとからいた人間」という意味。北アメリカ大陸の五大湖の北側からカナダにかけてもともと暮らしており、オジブエイ族とかチペア族という名前でも知られている人びと。アルゴンキン語族に属する。樹の皮で作ったカヌーを足のかわりに使って水のうえを旅し、雪のうえはスノーシューズをはいて歩いた。ワイルドライスを「スピリット・ギバー・グレイン」として大切にし、魚や肉と一緒に食べた。この「オジブエイ」とか「チペア」という名前は、オリジナルの名前ではなく、ここ数百年ほどの間にひろく使われるようになって定着したもの。「オジブエイ」は近隣部族による呼び名で「絵文字をのこす人びと」という意味であるともいわれているが、同時に彼らが日常的にはいていたモカシンという革製の靴のスタイルから「前にしわを寄せる」という意味もあるとか。「チペア」は「オジブエイ」とほぼ同じ意味と言っていい。アニシナベ族は、アメリカとカナダに現在16万人ほどが暮らしており、アメリカの先住民の中では最大級の---正確には2番目に大きな---グループ。
これは むかし、むかしの、そのまた むかし ちきゅうが うまれて まだ まもないころの おはなしです。
あるあさ まだくらいうちに いつものように おひさまが ゆっくりと のぼり はじめました。
ところが そのひは いつもとは ちがって いたのです。
ラコタ(スー)族につたわるものがたり
再話 北山耕平
どこまでもひろがるくさのうみです。
だいへいげんとよばれる このみどりいろのうみに、にひきの のねずみが くらしていました。
いっぴきは はたらきもので、あさはやくから のにでて、へびのぬけがらで つくったふくろに まめをせっせとあつめては、ずっしりつまったふくろを はでくわえて、いえまでひきずってかえります。
もういっぴきは、うまれついてのおきらくな なまけもので、いつも たきびのまわりでおどり、よるおそくまでぺちゃくちゃしゃべりっぱなし。あさになると、すっかりつかれはてて、まめあつめどころではありません。
ピマ族につたわるおはなし
再話 北山耕平
ちきゅうが わかかったころの おはなしです。
むらじゅうの イヌたちが むらはずれの トウモロコシばたけに あつまって おまつりを ひらきました。
ふだんは あったこともない ともだちの ともだちの ともだちの イヌたちまでもが きています。
イヌたちは みんな じぶんの しっぽを はずして トウモロコシの くきに ぶらさげると おまつりの わに くわわりました。
イヌたちが おどりを おどるときには みんな そうするのです。
しばらくすると トウモロコシばたけの はんたいがわから なにやら おそろしい ものおとが きこえて きました。
おとを きいただけで みんな ふるえ あがりました。
イヌたちは いちもくさんに にげだします。
にげるとき みんなは とうもろこしの みきに ぶらさがっていたしっぽを だれのものかも かまわず どれでもいいから さいしょに つかんだものを おおあわてで にぎりしめて かけだしました。
イヌたちが いまだに そこらで であうと おたがいの しっぽの においを かぎあうのは そうやって じぶんの しっぽを さがしているから なのですね。
ヤキマ族につたわるおはなし
再話 北山耕平
※【ヤキマ族】大平洋岸北西部地域のワシントン州東部の高原森林地帯に最大の居留地をもつ部族。ロングハウスと呼ばれる大きな家を持ち、そこで儀式をとりおこないます。
とりたちにも どうぶつたちにも まだ なまえが なかったころの おはなしです。
「うーむ、なんとか しなくては いかんなあ。」
と、かみさまは かんがえました。
「そうだ。すべての どうぶつたちに なまえを あげよう。いいか、みんな。よく おきき。あしたの あさ、ひが のぼる じかんに なったら、みんなに なまえを つけることにする。はやく おきた ものから、よい なまえを じゅんばんに さずけてあげよう。」
それを きいて コヨーテは おもいっきり、こうふん しました。あまりに こうふんしたので あいてが とりであれ どうぶつであれ、かおを あわせれば、だれに むかっても ぺらぺらぺらぺら はなしかけます。
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