Friday, July 30, 2004
いくつかの不運が重なったか、誰かがバッド・メディスンを仕掛けたかは定かではありませんが、本日、小生のメインマシンであるマッキントッシュのハードディスクがあっけなく昇天しました。数日前から変な音をたててはいたのです。覚悟はしていました。今は急場をしのぐためのサブマシンでこれを書き込んでいますが、環境が完全復旧するまでは一週間ほどかかりそうです。とりあえずメールは読めるようにしました。機械自体が四、五年前に、二万円という破格の値段で買ったG3---Beige----のいちばん初期の物なので、そろそろ新しくせよとのおぼしめしなのかもしれません。でも痛いなぁ。とまれ、環境復旧に向けて、ない金をかき集めている最中です。できますればこの間に「かなしき印税生活」を送る小生の書いた本などを一冊でも多く御購入いただき、有意義な時間を過ごされんことを。BLOGに関しても定期的に書き込むことはむずかしい状況ですので、すでに書きためてあるネイティブ・アメリカンに残されたお話などを(繰り返し)お読みになるなどして、しんぼう強くお待ち願えれば幸いです。それではとりあえず、See You Soon! またお会いしましょう。
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英語で祈ると、同じ祈りでも違ったものになってしまいます。歌
も違ってくるし、世界の見方も同じではなくなるのです。言葉と
いうものは、まさしく文化の中心、ハートにあるものなのです。
言葉がなくなれば、あなたがたの文化はまるで貧しいものになる
ことでしょう。
--------リンダ・ロックレア ランビー族出身の社会学者
*ランビー一族は余り耳にしない部族だが、東南部大西洋岸のノース・カロライナの北に暮らす人たち。現在は4万人ほどがいて、ミシシッピ川の東では最大の部族とされている。ランビー族の公式ホームページによれば、アメリカ合衆国のなかでは9番目に大きな部族とされる。
森と川の人たちで、「ランビー」というのは彼らの土地を流れている「ランビー川」とも「ランバー川」とも呼ばれる美しい川の名前に由来し、彼らはこの川に生活を依存してきた。言葉は「スー族」のものに近い。もともと「スー族」(ラコタ・ダコタ・ナコタ)の人たちはこのノース・カロライナの近くで暮らしていた。コロンブスがカリブの小さな島に到達したころには、スーの人たちは東部の大西洋岸の現在のノース・カロライナ州にいて、農耕定住の民であり、まだ西にむかって移動を開始していなかった。以後200年ぐらいで彼らは、大平原に移動して、バッファローに全生活を依存する狩猟採集の民に変貌する。そのとき、スーの本体には着いていかずに、東海岸のノース・カロライナに残った人たちが、ランビーの人たちなのだろう。
▼言葉の英語版は以下にあります。
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Thursday, July 29, 2004
デジタル台風のサイトの台風10号のページによれば、台風10号は「ナムセーウン/NAMTHEUN」という名前だそうです。ラオス語で「川」という意味。ゆっくりと西進しつつ紀伊半島から四国をうかがっています。ご注意あれ。
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昨日の新聞に『あたりまえだけど大切なこと--子どものためのルールブック』(ロン・クラーク著 亀井よし子訳)という本の広告が出ていた。草思社刊、1470円(税込み)で「発売早々10万部突破!」とある。アメリカの小学校の先生が子供たちに教えた50の礼儀作法をまとめた本で、「大人の質問には礼儀正しく答えよう」「人の意見や考え方を尊重しよう」といったあたりまえだけれども大切な教えが集められているらしい。わたしはこの本を手に取ってもいないし、読むこともないだろうと思われるのだが、「すべてがそのまま日本の子どもにもあてはまる」(同書編集者の弁)と書かれてあり、そのなかの教えのひとつ、
「相手の目を見て話そう」
というルールがわたしにはひっかかったので、今日はそのことについて書く。実は、WPPD2004を前にして、ネイティブ・アメリカン・ピープルと呼ばれる人たちとの付き合い方について、いくつかまとめておこうと思っていて、結局目的は果たせなかったことに、この「相手の目を見て話すことのタブー」について、覚えておいてもらいたいことがあったのだ。
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Wednesday, July 28, 2004
去る16日の青山ブックセンター(ABC)の突然の倒産による閉店は、悲しい出来事でした。わたしにとってABCは六本木の麻布警察のそばの店が最も思い出深い場所です。昔、十数年前、東京の南青山で、友人の長野真とフライコミュニケーションズという会社をやっていたことがあり、会社から一番近くて深夜まで営業しているABCに、開店して間もないころのABCに、よく出かけました。
『ネイティブ・マインド---アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊 1988)という本をだした当時、ネイティブ・ピープルについての本はそれほど多くもなくて、まだまとまって陳列されることもなく、ばらばらに歴史や文化や文学の棚に埋没していました。『ネイテイブ・マインド』をわたしが知るかぎりよく目立つところにおいてくれて、のちに「ネイティブ関連の書籍」の棚を最初に作ってくれたのが、他ならぬABCでした。今ではかなりの---とはいっても少ないことに変わりはないのですが---そこそこの数の書店が、アメリカ・インディアンの書籍の棚を設けてくれるようになってはいます。
書店にとって必要なのは、旧態依然たる分類に基づいた陳列ではなく、その店独自の判断に準拠した分類ではないかとの思いを強くわたしはもっています。たとえば今はまだ小さいかもしれないけれど、「TOKYO RANDOM WALK」という書店が、神田神保町、赤坂などにありますが、ここは次世代の書店になる可能性が伝わってくる珍しい店で、今のところ東京を散歩するときのお気にいりではあります。普通の街の書店に入る楽しみがなくなってしまったのは、きっとどの店もおなじような本----漫画、三文小説、ベストセラー、雑誌----を同じように並べて売っているように思えてしまうからでしょうか。
最近は「面白い本が見つからない」という嘆きの声をよく耳にします。わたしにとって本は常になにかの「道具」でしたし、これからもそうでしょう。でそこでわたしがこれまでに手にした本という道具のなかで、みんなにすすめたいと思ったものを、今回は第一弾ということで、かなりまとめてリストアップしてみました。これらの本は多分普通の町の書店では棚にもはいっていない本たちばかりだと思われますが、すくなくてもこのBLOGを読みにきてくれている兄弟や姉妹たちには、読まれれば得るものが多いだろうし、あるいはすでになかの幾冊かはお持ちになっているものがあるかもしれません。夏休みで時間がたくさんとれる時などに、自分の頭と心を耕すために読んでみてください。おすすめです。
▼本屋には読みたい本がないとお嘆きのあなたのためのブック・リスト #01
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Tuesday, July 27, 2004
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝
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Monday, July 26, 2004
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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Sunday, July 25, 2004
日本の国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らが5月23日の日本考古学協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は紀元前十世紀後半」と発表した。春成教授によれば佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器の炭化物は、前930から前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼一式」は前900—前790年だった。その結果、弥生早期初めは前945から前915年と推定されるという。水田稲作が各地に広がった弥生前期のはじまりは、北部九州島が前九世紀末で、四国島や本州島の大阪湾周辺では前八から七世紀ごろと。
* * * *
▲上の記事は共同通信が発信元となって日本経済新聞が「弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半」というタイトルで5月24日に記事にしたものの要約。小生の本『ネイティブ・タイム』(Native Time Version 3. 地湧社刊 2001年)では「1,000 B.C.を入植地の時代」のはじまりと設定してあるが、これが「学問の世界」で裏づけられたことになる。
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韓国の壇国(タングク)大学・生物学科のキム・ウク教授が、人類学的な系統の分類に使う方法で、血縁関係のない韓国人百八十五人のミトコンドリアDNAの塩基配列を分析したところ、十人中四人程度が中国中北部の農耕民族と塩基配列が似ているという結論が出たという。キム教授によれば、韓国民族のルーツは「中国中北部の農耕民族」であり、遺伝的に見て、韓国民族はモンゴル人より中国の漢族および日本人に近いということであるらしい。
* * * *
▲上の記事は「朝鮮日報」のペク・カンニョン記者が5月11日に報じた「韓国人のルーツは中国中北部の農耕民族」という記事を要約したもの。
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せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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Saturday, July 24, 2004
「スリー・シスターズ #04」で紹介したニューヨーク州立博物館バーチャル・イロコイ展示館のジオラマをご覧になりましたか? その時代に生きていたわけではないので確証はないのですが、雰囲気はよく出ていると思います。右側にずっとスクロールしていくと木の台があって上に子どもがいますが、これは畑の監視台です。たいてい子どもがその台のうえにはのぼらされて、歌を唄うことになっているのです。そうやって自分の存在を歌で教えることで、カラスや、カササギや他の作物を狙ってくる動物たちを追い払うのが仕事なのです。同時に、そこで子どもが唄う歌が作物をより元気に成長させてくれるのだと、ネイティブ・ピープルは信じていました。
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Friday, July 23, 2004
もともとトウモロコシと、トウモロコシの茎につるを巻きつけて育つインゲン豆と、スカッシュやカボチャを「創造主から授けられた三人の姉妹」と呼んで物理的かつ精神的に大切にしてきたのは、イロコイという名前で知られたハウデノショウネ(長い家の人々)の女性たちです。コロンブスが到来する300年ぐらい前にはこのライフスタイルが確立していて、イロコイの女性たちにとって大地と植物をつなぐ「農」は、女性に与えられた特権と思われていました。(余談ですが、畑を整えるのは男性の仕事です。女性が種を植えて収穫するのです。新しいいのちをもたらす力が女性にはあると信じられていたからなのです。)
ニューヨーク州立博物館が、ヨーロッパからの渡来人文明以前の、収穫月を目前にひかえた夏の終わりのある日のイロコイの人たちの畑の様子を、ジオラマで作ったものを写真で公開しているので、一度ゆっくり見てください。
AN IROQUOIS AGRICULTURAL FIELD at the NEW YORK STATE MUSEUM
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Thursday, July 22, 2004
農耕をするネイティブ・ピープルにとって自分たちの庭や畑の世話をすることは、ただ食べるものを生産するということにとどまりません。庭も畑も、食べ物を生産する工場ではないのです。庭や畑の世話をすることは、人間が「偉大なるいのちの輪(あらゆるいのちは、生き残るために互いに依存しあっているとする自然観)」の一部になるためにどうしても欠かすことのできない営みのひとつでした。種を植えるとき、土にたい肥をいれるとき、種を埋めた土のうえに水をやるとき、余計な草を手でむしるとき、なににつけても彼らは植物たち(根のある人たち)にむかってやさしく話しかけたり歌を唄いかけたりして「感謝の意」を伝えて、花の咲くことを願い、捧げものをしました。なぜそうしたのかというと、おそらくそうすることで、人間は、植物たちから知識と、心の平安と、肉体を強くする食べ物とをもらいうけ、自分からすすんで与える精神を育み、今このときを精一杯生きているという感覚を得ていたからだと思います。そのとき彼らがどういう歌を根をもつ人たちにむかって唄いかけていたのかは、小生がほん訳した『聖なる言の葉—ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い』(マーブルブックス 発売・中央公論新社)のなかにいくつか収録されていますので、ぜひそれらを参考にされて、自分が植物たちに話しかけるときの言葉を、「偉大なるいのちの輪」にはいるための言葉を、新たに創造されんことを。
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Tuesday, July 20, 2004
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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Monday, July 19, 2004
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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Saturday, July 17, 2004
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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Friday, July 16, 2004
写真は今は亡きジェリー・ガルシア。この写真で重要なのはジェリーが「ピース・サイン」をだしているところだ。そう、今回はその「ピース・サイン」の話をしたいと思う。
よく「ピース・サイン」と「Vサイン」は同じじゃないかという人もいるし、なるほど見ただけではわからない。「戦いに勝利したときにだすのがVサイン」で、「平和をうったえるときに思わずピースするのがピース・サイン」という具合に、それを世界にむかって示す人間の心の在り方はだいぶ違っている。当然ながら、わたしが話題にするのは「ピース・サイン」の方である。
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Thursday, July 15, 2004
インディアンの人たちの暮らし方の基本に常にエコロジーがあるということに「文明社会の人たち」がうすうす気がつきはじめたのは60年代後半から70年代にかけてのことだった。『仮面の神々 Masked Gods (1950)』とか『ホピの書 Book of the Hopi (1963)』といった先駆的な本を書いてネイティブ・アメリカン・ピープルの精神性の高さの貴重さを世界に知らしめた作家・ジャーナリストのフランク・ウォーターズ(Frank Waters 1902 - 1995)は1973年当時「現代心理学(Psychology Today)」という雑誌のインタビューに応えてこう言っていた。
「インディアンにとって地球はただの物などではありません。それはまさしく生命体なのです。すべてのいのちの母親であり、わたしたちの母なる地球です。彼女の子どもたちはなにもかも、自然界にあるものことごとくすべてが、生きているのです。石も生きているし、山だって偉大な呼吸をしています。木々や、その他の植物も、鳥たちや、動物たちや、人間たちとおなじように、生きているのです。そうしたすべてのいのちたちが全体で調和のなかでひとつにつながっている。そのなかのひとつのものに起ることは、他のすべてのものに影響をおよぼします。部分どうしが実に巧みに変化しながら連動しあいつつ全体を形作っているのです」
*図版はフランク・ウォーターズ著『ホピの書 Book of the Hopi』のペンギンブックス版の表紙。『ホピの書』は『ホピ宇宙からの聖書—アメリカ大陸最古のインディアン』というタイトルで徳間書店から抄訳が1993年に刊行されている。結局彼の著書が完全な形で翻訳されたのは『仮面の神々』(上下巻 上村哲彦訳 科学情報社 1974)のみでこれも現在では古本屋以外では手に入らない。もし見つけたら買って損はありません。
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Wednesday, July 14, 2004
今月にはいってすぐアリゾナ州にあるグレアム山(Mount Graham)の山頂付近で山火事が発生し、火の手が山頂にある合衆国の大型望遠鏡施設に迫っているという。
グレアム山はもともとネイティブ・ピープルからは「鹿の多い山」と呼ばれていた。この山を昔から聖なる山として信仰してきたサン・カルロス・アパッチの部族のひとりはその火災を「当然の報いだ」と話した。「メディスン・ピープルは必ずお山に良くないことが起きるにちがいないと語っていた」そう言うのはアパッチ生存同盟の会長のマイケル・デービス氏である。デービス氏は十数年前にグレアム山の山頂に天体望遠鏡と観測施設が設置されたときにアパッチ生存同盟を結成した人物だ。
アパッチの信仰においては、すべての山の頂は「聖なるもの」とされている。「お山は、大昔からいのちの源の力だったのだ」とデービス氏。「グレアム山には長いあいだ人間が登ることはなかった。その聖なる山の頂や木々や動物たちをあの連中が破壊しはじめるまでは、ほとんど処女峰だったといっていい。なにより大切なのは、あそこが聖地だってことだ。非インディアンには理解できないことだろうが、聖地が破壊されると、深刻な影響がもたらされるだろう」
デービス氏によれば、メディスン・ピープルも長老たちも、お山の自然破壊によってもたらされる「良くないこと」の中身については特定はしていない。だが、彼によればそれは「お山そのものの、母なる自然そのものの逆襲となる」ということである。
サン・カルロス・アパッチの隣の部族であるホワイト・マウンテン・アパッチの前部族会議議長であるロニー・ループも、「われわれアパッチはひとり残らず聖なる土地がどうなるかを心配している」とこの件に重大な関心を表明した。「自然はわれわれひとりひとりにそれなりのやり方で語りかけてくるものだ。今回の火事は聖なる土地に望遠鏡のようなものを設置したわれわれへの創造主からの答えなのかもしれない。自然の裁きにゆだねるしかない」
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Monday, July 12, 2004
Native American DNA Verification Testing
「ネイティブ・アメリカンのためのDNA証明検査」というサイトがある。自分がネイテイブ・アメリカンのDNAを持っているかどうかをビシッと正確に調べあげてくれるサービスを提供する「GeneTree(遺伝子の樹)」という民間会社が、いまインディアンの人たちのあいだで話題になっているという。まあそれだけ自分がインディアンであることに自信のないインディアンたちが増加しているという現実がこれには投影されているわけだ。mtDNAというDNAを調べて自分のルーツをはっきりさせてくれるサービスが245ドルというから、けっこうな値段である。興味深かったのは地球規模の遺伝子の移動経路を示した最新の研究による図。ここに掲載してあるのがそれだが、「mtDNAのL」は、人類が生まれたとされるアフリカに顕著であるるし、「mtDNAのMとN」はユーラシアとオーストラリアで突出している。「H、I、J、K、T、N、U、V、W、X」は西ユーラシア(現在のヨーロッパ)に多く、「A、B、C、D、E、F、G、M、P、Q、Z」はアジアとオセアニアに、南北アメリカでは「A、B、C、D、X」に集まっているところ。べつにだからといってどうのこうのというわけではないのだけれど、興味深いのは「A」「B」「C」「D」「F」「X」「G」の遺伝子を持つ人たちの移動ルート。とりわけ「B」の遺伝子グループの人たちは、日本列島と南北アメリカの間をつないでいる存在なのだ。
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Friday, July 09, 2004
グランドファーザー ダン・カチョンバ
(1865-1972) ホピ 太陽氏族
「われわれにはわかっている。いずれ時がきて、ホピの
数が減っていくだろうことが。ひとりになるか、ふたり
になるか、さんにんになるか。伝統に反対する人たちか
らの圧力に、もしその人間たちが持ちこたえることがで
きるのなら、世界は破壊から生き延びることもできるだ
ろう。わたしは自分の一族の者たちを引き連れて偉大な
る精霊によってわれわれのために敷かれた道のうえをど
こまでも進んでいかなくてはならない。誰であれわたし
は無視することはない。グレイトスピリットの道を信じ、
確信を持って歩む者は、自由に同じ道を進んでよい」
▼英語バージョンは以下にあります。
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Thursday, July 08, 2004
喜納 昌吉 &チャンプルーズのメールマガジンである「花」(2004/07/08 発行第138号)に、今回の参院選比例区の候補のひとりであるキナ=喜納昌吉本人のインタビューが掲載されている。そのインタビューのなかから、このblogを読まれている方たち、そしてわたし自身にも関心のある部分を抜き書きしてみた。
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アンテスとカチーナ人形展
暑いですね。北アリゾナのホピの国ではいまちょうどニーマンという夏至の日から16日間つづく例大祭がおこなわれています。今日か明日には終るはずです。冬至の日に聖なる山から降りてきた神々(カチーナ)が、半年間ひとびととともに暮らして生きものにいのちと育つ力を与えてくださった後、再び家に帰られるための儀式です。儀式は神々の帰還を寿[ことほ]ぐ踊りが主で、ヘミスというカチーナが主役となって踊ります。
おりしもこの7月23日(金曜日)から8月29日(日曜日)まで、香川県高松市の高松市美術館で「アンテスとカチーナ人形----現代ドイツの巨匠とホピ族の精霊たち」展が開催されます。日本でこれほど多くのカチーナ人形が一度に見れる機会はおそらくこれがはじめてかもしれません。
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グランドファーザーの教え
ひとりの若者がグランドファーザーにたずねた。
「どうして人生には時として大変なことが起きるのですか?」
その質問を受けて偉大な年寄りがこたえた。
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Wednesday, July 07, 2004
先住民族の祈りを継いで
ーー「せかいへいわといのりの日」がひらくもの
W O R L D P E A C E & P R A Y E R D A Y 2 0 0 4
Rember Mt.Fuji June 21st Summer Solstic
ストーリーテリングとトーク
浦川治造(アイヌ エカシ)・古屋和子・北山耕平
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夏至の日の前日に、富士山麓朝霧高原の朝霧アリーナで「せかいへいわといのりの日」の聖なる輪を修復するための儀式の場に集って、馬たちに乗ったネイティブの人たちが霧というか雲のむこうから影のように行進してくるのを息をのんで見守っていた人たちは、アーボル・ルッキング・ホースの野太い声が「ホッカ・ヘイ!」「ワット・ア・ビユーティフル・デイ!」と何度も叫ぶのを耳にしたはずだ。この「ホッカ・ヘイ!」はアルファベットでは「Hoka Hey!」と記され、ラコタの戦士たちが戦いに突入するときに伝統的に口にする雄叫びである。彼らはこれを叫ぶことによって気持ちを引き締める。
普通「ホッカ・ヘイ!」は「it is a good day to die.」の意味とされている。「今日は死ぬには良い日だ」と。だが、詩人のジョン・ナイハルト(John Neihardt ラコタの聖者ブラック・エルクの教えを書きとめた人物)は、別のラコタの聖者であるイーグル・ヴォイスとのインタビュー集である『聖なる木に花が咲いていたとき(When The Tree Flowered)』のなかで、この「ホッカ・ヘイ!」についてもともとの言葉の意味を聞き出している。それによるとこの「ホッカ」という言葉を忠実に翻訳すると「しっかりとまとまれ」という意味であるらしい。
いろいろと調べてみると、「ホッカ・ヘイ!」は、その人によってさまざまに意味が訳されていた。あるラコタのミュージシャンはそれを「On Your Way to One」「ただひとつの存在へ向かってすすめ」と解釈していた。日本語にこれを翻訳するときにふさわしい言葉は、たとえば「あたって砕けろ」「われに続け」「遅れるでないぞ」「突撃!」そして「撃ちてしやまん」「死ぬ気でやれ!」であるだろう。
霧に包まれ、雨に打たれながら「なんて美しい日なんだ!」と叫んだチーフ・アーボル・ルッキング・ホースの「ホッカ・ヘイ!」はその場に居合わせたわれわれひとりひとりの心をひきしめ、奮い立たせるにじゅうぶんな働きをしていた。
ホッカ・ヘイ!
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Tuesday, July 06, 2004
あなたはどこに住んでいるのか?(地理的な説明ではなく)
あなたのしていることはなにか?
ひととひととのつながりはどうなっているか?
あなたは地球と正しい関係状態にあるか?
あなたの飲んでいる水はどこからきているか?
自分の畑、庭、とりまいている自然環境を知りなさい。
あなたの真実を語りなさい。いまはその時。
互いにやさしくあれ。
指導者を自分の外側に探し求めてはならない。
今を良い時にすることは可能である。
※わたしがエルダーたちから学んだ教えで、ときどきひとりで考えてみるようにしているものです。「自然のレッスン II」というカテゴリを立ちあげる最初に、これを多くの人たちと共有したいと思いました。「自然のレッスン I」は、15年ほど前に角川書店より刊行され、長く絶版でしたが、2001年に太田出版より新装ペーパーバックで復刻されています。
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Native American spiritual path of peace
6月26日の「The Tennessean」という「テネシーに暮らす人のためのニュースと情報」を提供するオンライン新聞に「ネイテイブ・アメリカンのスピリチュアルな教えを教育の現場で活かしている先生」のインタビューが掲載されています。パット・ニコルソン(Pat Nicholson)先生は57歳の白人女性ですが、カナダのケベックにいる今年で御年90歳になるアルゴンキン族のグランドファーザーであり精神的指導者であるウィリアム・コマンダ(William Commanda)によって、1995年にキリスト教徒からネイティブ・アメリカン・スピリチュアル・ウェイへと生き方を改宗させられたそうです。小学校で子供たちどうしのもめ事やあらそいごとをあいだにはいって仲裁したり、生活相談に応じるのが仕事。「わたしの辿っている道は平和の道です。その道のうえで自分以外の人の力になるために自分にできることは、自分のスピリチュアルな価値を保ちつづけることなのです」と彼女は言います。あらゆる組織宗教が行き詰まり、ひとびとに進むべき道を指し示すことができなくなっている現実からすれば、ひとりの人間としての子供たちと日常的に接するところにいる人たちが、つつましく質素で欲にとらわれないネイティブ・アメリカンのスピリチュアルな生き方についての知識を持っていることが求められる時代が来るのかもしれません。
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Monday, July 05, 2004
Utah High Court OKs Non-Indian Peyote Use
6月23日にソルトレイクシティ(ユタ州)からAP電が伝えたところによれば、ユタ州高等裁判所でネイテイブ・アメリカン・チャーチに属する非インディアンの儀式におけるペヨーテ使用が認められた。1994年の「AMERICAN INDIAN RELIGIOUS FREEDOM ACT(アメリカン・インディアンの宗教の自由を認める法)」いわゆる「ペヨーテ法」により、これまで部族に属しているかもしくはネイティブ・アメリカン・チャーチに属するインディアンだけに限定されてきたペヨーテの宗教儀式における使用が、はじめて非インディアンにたいしても認められた画期的な判決。
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せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝
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虹の小径を歩こう
歌の小径を歩こう
そうすればあなたのすべてが美しくなる
すべての暗い霧には抜け道がある
虹の小径を渡っていこう
------ナバホの詠唱歌
▼英文は以下にあります。
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