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Monday, June 14, 2004

驚嘆すべき恩寵

6月11日(金曜日)の横浜青葉の国道246号線に面して建つ、まるでアメリカの大学町にあるような瀟洒でおしゃれなオーガニック・ライフ・ショップ「インターナチュラルガーデン PLANT'S」のなかのリラックスできる空間クーカラにおける夜は、わたしにとってはまことに魔法のような一夜でした。6月21日の「せかいへいわといのりの日」にむけてのとりあえず最後の集いでもあり、その日にむかってエネルギーが高まっているのを感じることのできた時間を持てました。つどいには多彩なゲストが集まってくれて、祈りあり、ゴスペルあり、ネイテイブ・アメリカン・フルートの演奏ありで、台風の影響で激しい雨が降っていたにもかかわらず、おおぜいの人たちがやってきてくれたことは、大きな力となりました。深夜すべてが終了したときには雨もあがっていたことが、正しい時と場所であったことを教えてくれていました。

みなさん、ありがとうございました。

その日の集いの冒頭に、世界各国の言葉で「Amazing Grace」を唄っている Myu さんという歌い手の方が韓国語、日本語、英語で賛美歌のひとつである「アメージング・グレイス」を歌ってくれました。わたしにとってその「どんなに悪いやつでも救われるのだ」というメッセージをこめたジョン・ニュートンという、18世紀前半にアメリカで長いこと奴隷商人をしていたロンドン生まれのイギリス人のならず者が1779年に作詩作曲した歌、「アメリカ人の心を動かした最もスピリチュアルな歌」と表現され、しばしば葬祭の時に奏でられる美しく心休まる癒しのメロディーは、特別な思いのあるものだったので、その魔法のような夜の幕開けにはふさわしいものでした。

「アメージング・グレイス」は「驚嘆すべき恩寵」「神さまの心は驚くほど広い」というほどの意味で、ろくでなしで悪いことばかりをしていた男がすべてを悔い改め改心して作った歌」という話にも妙に納得させられるものがあります。金曜日の夜に歌を唄ってくれた Myu さんは知らなかったのでしょうが、その歌はまた、ネイティブ・アメリカン・ピープルのチェロキーの人たちにとっては「ほとんど国歌」とされるぐらい今でも大切なものなのでした。わたしがその歌を聞いたのはチェロキーの言葉で唄われたものが最初です。だからずっとそれがアメリカ・インディアンの歌だと思っていたぐらいです。

お笑いぐさ(お笑い草!?)ですが「アメージング・グレイス」がアメリカ人なら知らない人のいない「葬祭」の歌だと知ったときには腰を抜かすぐらいに驚いたものです。アイルランド民謡のような心休まる旋律をわたしのハートに送り込んだのは、これもまたネイテイブ・アメリカンであり、伝統的なそして前衛的なインディアン・フルートの名演奏家であるカルロス・ナカイさんでした。アメリカ・インディアンのことを日本の人たちに広く知ってもらいたいという願いをこめて15年ほどまえにおこなわれたあるイベントで、モダンジャズの演奏家のひとりとして偶然来日が決定していたユテ族のナカイさんにお願いするかたちで、ネイティブ・アメリカン・フルートの単独講演の演奏をお願いしたのです。そのときに彼は木製のフルート一本で、演奏会の終わりを「アメージング・グレイス」でしめくくりました。(余談ですが私と彼との出会いはその数年前、1980年代初頭にアリゾナ州フラッグスタッフ市にある北アリゾナ博物館で開催されたホピの人たちの芸術作品の展示会の会場です)

チェロキー語で唄われる「アメージング・グレイス」は、他のどの言葉で唄われるそれよりも、音と言葉がひとつになっているように私には思えます。その歌を直接チェロキー語で聞くことのできるサイト−−キリスト教を研究する女性が作ったページ−−が「ここ」にありますから、どうかぜひお聞きください。そしてあらためてその歌詞を英語にほん訳したものと、英語の原曲の歌詞を比べてみると、メッセージがどのくらいシンプルになっているかがわかるでしょう。

Cherokee Amazing Grace を聞くことのできるページ

チェロキー語の「Amazing Grace」の歌詞と、その英語へのほん訳と英語の歌詞の比較をしているネット上のページを紹介しておきますから参考にしてみてください。歌詞を読むとチェロキーの歌ではこれが「世界が終るときに死んだ創造主の息子が帰ってくる」という歌になっていることがわかるはずです。

Cherokee Amazing Grace の歌詞のページ


「わが心のジョージア」ではないですが、その東部のジョージアの辺りを母なる国としていたチェロキーの人たちが「アメージング・グレイス」を知るのは、この歌がつくられて数年後の19世紀の前半のことでした。1830年にアメリカ合衆国で「インディアンたちを強制移住させるための法律」が成立します。ミシシッピ川の東にいたネイティブ・ピープルの大部分がこのときアメリカ大陸の中西部から西部に強制的に徒歩またはそれに準ずるかたちで着の身着のまま移住さらせれてしまいます。この法律の最大の被害者が、チェロキーの人たちでした。

男も、女も、若者も、子どもも、年寄りたちも、4000人ほどのチェロキーの人たちが、ろくな食べ物も与えられず、着るものもなく、1700キロも西にむかって強制的に移住させられていったのです。この強制移住の時にたどった道は、「涙の旅路( "The Trail of Tears" )」と今では美しく呼ばれていますが、「"Nunna daul Tsuny"」というチェロキーの言葉から正しく翻訳すると「ひとびとが声を上げて泣いた路」という意味です。「涙の旅路( "The Trail of Tears" )」についてはチェロキーの人がそれを後世に伝えるためのポータルサイトを開設しているので参考にしてください。その当時の模様を伝える絵画も見ることができます。

チェロキーの人たちはこの長く過酷な旅路のなかで、自分たちの言葉で詩を与えた「Amazing Grace」を唯一の救いとして口ずさみながら、西へと移動していきました。このとき以来、「アメージング・グレイス」はチェロキーの人たちにとっては忘れることのできない、忘れてはいけない歌となり、チェロキーの国の国家とさへ言われるぐらいになっているのです。以下にチェロキー語からのほん訳を掲載しておきますが、これを読まれるとその歌が賛美歌というよりも、19世紀末にネイティブ・アメリカンのあいだに広まった「ゴースト・ダンス(手つかずの自然とそれまでに死んでいった同族たちのよみがえりを希求する運動)」の歌と通じるものがあることがわかるでしょう。

チェロキー語のアメージング・グレースからの試訳 北山耕平


創造主の息子が
わたしたちのために
罪を ひきうけて
空の国に 行かれた

だが 昇天のとき
彼は こう言われた
「私は帰ってくる」と
彼は そのように 言われた

世界の すべてが 終るとき
彼は やってくる だろう
地球の どこにいる人も
彼の姿を 見ることに なるだろう

すべての 良き人々は 生きる
彼なら 探しだして くださるだろう
空のかなたの国では いつでも
ひとびとはみな 平和に 暮らしている


追伸 これから6月21日の夏至の日の富士山における「せかいへいわといのりの日」が終るまでの一週間、あまりひんぱんにアップデートできません。みなさまがたにおかれましてもなにとぞ「スピリット」をきれいに洗われて、その日を迎えられんことを。

     "Peace and Harmony with all Creation"

   May our Spirits continue to Travel together!

         Kitayama " Smiling Cloud " Kohei

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