Monday, May 31, 2004
チーフ・シッティング・ブル ハンクパパ・ラコタ
『わたしはこれまでわが一族の者たちにこう忠告してきた。
白人の道のうえで、もしなにか「良いもの」を見つけた
ときは、それを拾いあげよ。反対になにか「悪いもの」
を見つけたり、あとでそれが「悪いもの」だとわかった
ときには、すぐにそれを捨て去り、二度と手で触れては
ならぬと』
※写真解説 1922年8月22日に撮影されたとても珍しい記念写真。前列左から「タタンカ・イヨタカ(シッティング・ブル)、ミネコンジュー(ラコタ)のチーフ」「マトロサハ(スウィフト・ベア)、アラパホのチーフ」「シントガリスカ(スポッテッド・テイル)、ブロウル(ラコタ)のチーフ」後列左から「ジュリウス・メイヤー、インディアンとの通訳、インディアンと中国人と日本人を相手にする貿易商」「マクピアロタ(レッド・クラウド)オグララ(ラコタ)のチーフ」シッティング・ブルのつまらなそうな顔がとても印象的です。
▼英語バージョンは以下にあります。
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Sunday, May 30, 2004
上の図はコヨーテの足跡、左が前足、右が後足
「火を盗んだコヨーテ」のお話を読んでくれた人のコメントに「これは、コヨーテから聞いた話ですか?」というものがありました。これでありありと思い出したのですが、わたしは沙漠でコヨーテおじさんとしばしば出会いました。とりわけ最初の出会いは記憶に焼きついています。あれはアメリカに暮らしはじめて三年ぐらいたったときのことです。わたしはアメリカの沙漠につかれたように暇を見つけてはひとりであちこちと通うようになっていました。カリフォルニアとネバダの州境に近い大きな沙漠のなかでのことです。
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Saturday, May 29, 2004
ラコタ族につたわるおはなし
むかし、ちきゅうが わかかったころ、まだ、さむい きせつは、ありませんでした。はるがきて、なつがきて、また はるがきます。あきも、ふゆも、ありません。
ところがあるひ。あたたかいのがだいすきなコヨーテおじさんは、てんきがいつもとちがうことに きづきました。くうきが つめたく なって きて いたのです。どうぶつたちも、よるになるとさむさが みに しみて、あたたかい けがわに くるまってねむるように なりました。
「にんげんには けがわもない。なんて かわいそうに。どうやってさむさから みを まもるのだろう。」
コヨーテおじさんは、しんぱいになりました。こおりの ように つめたいふゆの あいだに、たくさんのにんげんが こごえて しんで しまうにちがいありません。
「なんとか してやれない ものか。そうだ。」
コヨーテおじさんのあたのまなかで、なにかが、ひらめき ました。
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Friday, May 28, 2004
グランドファーザー・ローリング・サンダー チェロキー
「人間は自らの肉体を大切なものとして(敬意を持っ
て)扱うべきである。この地球の扱い方にも、同じこ
とがあてはまる。地球を傷つけていることが、そのま
ま自分自身を傷つけていることであると、わかってい
ない人間があまりにも多いし、同様に、自分自身を傷
つけることが、地球を傷つけていることであるとわか
っていないものがあまりにも多い。」
▼英語バージョン
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「三姉妹農園(スリー・シスターズ・ガーデン)」にはいろいろな種類があり、北米先住民のほとんどすべてがこれら三つを育てていたという話を前回した。北米大陸のネイティブ・ピープルの伝統的な農の世界では、春から冬の始めまでの「生物が育つ季節」においては、このスリー・シスターズが他の動物たちとならんで地域共同社会の生態系(エコ・システム)の中核に存在しつづけた。トウモロコシと豆とスカッシュの三つの作物の関係はまさしく自然の妙を絵に描いたようなものであり、人的な労力が少なくてもこの三者は互いに助け合って成長することができた。最近の農業用語では「コンパニオン・プランツ」などとといい、これは「一緒に育てると互いの成長を助ける植物の組み合わせ」「害虫の忌避効果や作物に良い影響を与える植物」のこととされていて「共生植物」などとほん訳されたりする。バラやトマトの根元にネギ科のニンニクやニラを植えたり、ダイコンやカブの畑の周囲にマリーゴールドを植えたりすることなどが、化学農薬や化学肥料などに頼らない農業を目指す農家や園芸家のあいだでは、だいぶ広まってきている。
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Monday, May 24, 2004
一人のチェロキーの年寄りが、孫たちを集めて、人生について、つぎのように教えたそうです。
「よいかな、人間の心なかには、オオカミが二匹、すみついている。その二匹のオオカミが、わしのなかでも、つねに悲惨な戦いを、くりひろげている。一匹は、悪いオオカミだ。それは、恐れであり、怒りであり、ねたみであり、嘆きであり、後悔であり、強欲であり、ごう慢であり、自己憐憫であり、あやまちであり、敵意であり、劣等感であり、嘘であり、うぬぼれであり、自尊心であり、競争心であり、優越感であり、そしてエゴだ。で、もう一匹の方は、よいオオカミで、それは、よろこびであり、平和であり、愛であり、希望であり、分けあいであり、おだやかさであり、謙遜であり、優しさであり、思いやりであり、慈悲の心であり、友情であり、共感であり、寛大で広い心であり、真理であり、哀れみであり、そして信頼だ。わしのなかでこの二匹のオオカミがたえず争いあっているように、おまえたちのなかでも、おなじ闘いが起きているんだ。それはまた、すべての人たちの心なかでも起こっていることなんだぞ」
孫たちはしばし黙ったまま、その言葉の意味を、考えていた。
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アニシナベ族につたわるお話
再話 北山耕平
(1.)
むかし、むかしの、そのまた むかし
ちきゅうが うまれて まだ
まもないころの おはなしです。
あるあさ まだくらいうちに
いつものように おひさまが
ゆっくりと のぼり はじめました。
ところが そのひは いつもとは
ちがって いたのです。
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Sunday, May 23, 2004
「スリー・シスターズ」というのは、トウモロコシと豆とスカッシュ(註)の三つの異なる農作物のことです。三姉妹という言葉が当てられている通り、北米先住民の伝統的な農耕においては、ほとんどすべての地域で、北東部大西洋沿岸から南西部沙漠地域、そして中米までで、太古からこの三種類は一緒に育てられてきました。驚くべき農の情報ネットワークと言ってよいでしょう。北米先住民のほとんどすべての文化のなかで、トウモロコシと豆とスカッシュは栽培されていましたが、これら三つの作物に「三姉妹(スリー・シスターズ)」という名前を与えたのはイロコイという呼び名で知られているホーデノサウネの人たち------長い家に暮らすひとびと------でした。
註・カボチャもスカッシュの仲間
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グランドファーザー・ローリング・サンダー チェロキー、1981
「自分たちの出すゴミでこの惑星を汚す権利など
われわれには与えられていない。したがって、
地球をきれいにすることは、おわかりのことと
思うが、まずは自分の頭のなかの汚れを取り除く
ことからはじまるのだ。この大地をきれいにす
ることに取りかかる前に、われわれはまず、自
らのスピリットの大掃除をする必要がある」
▼英語バージョン
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Friday, May 21, 2004
グランドファーザー・ローリング・サンダー チェロキー、1979
「なにごとにも正しい場所と時間がある。口に出
して言うのは簡単だが、それを理解するのは至
難の業だ。理解するためにはそのことを生きな
ければならない」
▼英語バージョン
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「すべてのものごとに正しい時と正しい場所がある」とローリング・サンダー(チェロキー/ウエスターン・ショショーニのメディスンマン)は語っていました。植物栽培というか、土いじりにも、同じことが言えます。農のなんたるかを知る専門家は、一年をとおしてすべてのものごとが正しい時におこなわれなくてはならないことを知っていなくてはなりません。伝統的な北米先住民は、季節の移り変わりと栽培している作物の変化に、常に気をとめていました。自分たちが耕している畑でいくつもの祝宴や儀式がおこなわれてきたのもそのためです。月の満ち欠けを見ながら彼らは「種をまくとき」「耕すとき」「収穫するとき」を判断したのです。
「月が空にのぼるのは、ひとびとにそのお姿を見せて、ものごと
を規則正しくさせるためであり、すべては月の満ち欠けにした
がって動いていく。特に女性には月の動きにあわせて生理とい
うものがもたらされているが、同様に男性も月に影響を与えら
れており、満ち欠けに応じて男は、強くなったり、弱くなった
りする」
--------レウセニョ(註)の長老
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Thursday, May 20, 2004
アラスカ北東部からカナダの北西部にかけて広がる先住民族グウィチン人の国( The Gwichユin Nation )のひとびと----正確には「グウィッチィン・アサバスカン・インディアン」と呼ばれるひとたち----が、石油の利権に目のないジョージ・W・ブッシュに率(ひき)いられる合衆国政府による大規模な油田開発によって、カリブーや渡り鳥やホッキョクグマに代表されるあらゆる生命のはじまる場所といわれているその聖なる大地から立ち退きを求められている。石油会社は沙漠の下に眠る石油と一緒に、凍土の下にある石油も同時に狙っているといわれているが、合衆国地質調査所はそれでもアラスカのこの地域からは「今後十年間のうちにアメリカ人が使う石油の六か月分ぐらいしか供給できないだろう」という報告を提出している。だが太古以来、全生活をこの聖なる生態系(主にカリブー)に依存してきたグウィチンの人たちにとって、この地域を手放すことは死ねといわれているにひとしい。グウィチンは、すでに地球から姿をあらかた消した太古の生活スタイルと文化とを今に伝える数少ない人たちであり、彼らは今世界中の心ある人たちに、自分たちとアメリカ合衆国との生存を賭けた闘いを支援してくれるように求めている。コロンブスが来たときにはじまった戦争がここではまだ続いている。
「神話的な時間のなかでは、グウィッチィンとカリブーは仲良く平和に暮らしてきた。すべてのカリブーが人間のハートを少しだけ持っていて、すべての人間がカリブーのハートを持っていると言われている」
------グウィッチィンの長老
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Wednesday, May 19, 2004
『春の終わるころになるとわれわれはトウモロコシと豆とスカッシュを植える。それらはただの植物などではない。われわれはトウモロコシと豆とスカッシュを「三姉妹」と呼んでいる。「スリー・シスターズ」と。植えるときにはこのみっつはいつも一緒なのだ。穴をひとつ掘ってそこに三種類の種を植える。三人はいつも一緒にいることを好む。スリー・シスターズがわれわれとともにあるかぎり、自分たちがけして飢えることがないことを、われわれは知っている。創造主は毎年その三人をわれわれのもとへ送り届けてくださる。そうした贈り物をくださることにたいして、なんとありがたいことかと、われわれは日々感謝を忘れない』
------チーフ・ルイス・ファーマー(オノンダガ)
▼
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チーフ・シッティング・ブル ハンクパパ・ラコタ
「わたしがまだ幼かったころ、世界はスー族のものだった。
太陽がのぼってくるところから沈んでゆくところまで、す
べてスーの土地だった。そして万という数の男たちが戦闘
におもむいた。いま、戦士たちはどこにいるのか? 彼ら
を虐殺したのは誰なのか? われわれの土地はどこにある
のか? 誰がその土地の所有者なのか?」
「あなたはわたしを馬鹿だと思っているかもしれないが、あ
なたの方が、そのわたしよりはるかに大馬鹿者である」
▼英語バージョンは以下にあります。
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Sunday, May 16, 2004
5月22日(土曜日)に「6・21せかいへいわといのりの日」のためのストーリーテリングの会を横浜でひらきます。女優でひとり語りの第一人者でもあり、ストーリーテリングの復権のために自分の道をすすんでおられる古屋和子さんと、小生がストーリーテリングをします。古屋さんは今回、この会のためにわたしが翻案した『虹の戦士』を彼女のアレンジで語ってくれます。わたしは『聖なる場所』について、自分のなかにあるものをみんなと分け合えたらと思っています。
「6・21せかいへいわといのりの日」のための
ストーリーテリング
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語り 古屋和子さん 「虹の戦士」(北山耕平翻案から)
講演 北山耕平 「聖なる場所について」
会場 SPACE ALTA(スペース オルタ)
〒222-0033 横浜市港北区新横浜2-8-4
オルタナティブ生活館B1 地図
日時 5月22日(土曜日)
時間 午後6時30分開場 午後7時開演
参加費 1500円(高校生以下1000円)
主催 SHOW、ピース・ウォーク in 神奈川有志
協賛 スペース・オルタ
問合せ 045-472-6349
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▼今回の会のなかみと、そのことでわたしが考えていることは、以下にあります。
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Friday, May 07, 2004
ビーグッドカフェ東京 Vol.65 5月16日 開催!
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BeGood Cafe Vol.65 @ラウンジ カオス
テーマ「聖なる言の葉」
ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い
ゲスト:北山耕平(作家、翻訳家、編集者)
細野晴臣(ミュージシャン)
海老原美恵(World Peace & Prayer Day実行委員長)
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「大学の先生がたは原子などさまざまなエネルギーの源についてたくさんのことを教えているようだが、生きていくエネルギーの源としての稲妻について教えることはとんと忘れてしまっている。稲妻がどのように形成されて地球に運ばれてくるか、そしてある種の岩がそのエネルギーを貯えるかを発見しさへすればよいだけなのに。すべていのちというものは、そのなかに稲妻を持っている。いのちあるものは、だから電気的な力を内部に秘めているということになる。エネルギーの流れはある方向に定まっていなくてはならない。もしその流れが乱されたり、バランスが狂えば、それはわれわれの肉体にも影響をおよぼし、当然病気にもなるし、麻痺だって引き起こされる。人間の体の内部のエネルギーの流れほど大切なものはない」
------ ローリング・サンダー
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Wednesday, May 05, 2004
「蝦夷の地」に争乱の世紀
鉄やじり、縛られた人骨出土 (05/05 06:40 朝日新聞asahi.com より)
青森県八戸市の平安時代後期の集落跡・林ノ前遺跡(10〜11世紀)から、前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土した。激しい戦いの跡と見られる。蝦夷(えみし)の地とされた北東北から北海道南部の集落は、近年の発掘でこの時期百数十年にわたり、平地を避けて山頂や環濠(かんごう)の中に作られていたことが判明しており、今回の発見でこの特異な集落形態は敵の襲撃に備えたものだったことが確定的になった。吉野ケ里遺跡で知られる倭国(わこく)大乱や戦国時代に匹敵する長期の争乱社会が見えてきた。
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ミレニウムをランダムハウスの辞典でひくと「キリスト教 至福千年期 千年王国:キリストが再臨し最後の審判の前日までこの世を統治するという千年間 (いつか来るとされる)正義と平和が世を支配する至福の時代 黄金時代」とある。もとより日本列島(弓の島)も南北アメリカ大陸(亀の島)もキリスト教国などではなかったし、誰もそれが千年紀にあたるなどとは認識もしていなかったにちがいない。亀の島ではまだ縄文時代が続いていたわけだが、日本列島では−−とりわけ本州島の東北地方においては−−縄文的なライフスタイルを色濃く引き継いだ「エミシ」と呼ばれる人たちと、弥生的なライフスタイルを持つ人たちとのあいだで、「生き方」の決定的な違いによる、圧倒的な軍事力による侵略と征服の時代が最終段階を迎えていたと、わたしは認識している。
そのころをイメージしていただくために「Native Time」Version 3 (『ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史』地湧社刊 2001年刊行) の日本列島における西暦1000年から1051年までの部分をここに再録してみよう。できうれば、これに目を通されてから、もう一度うえの<「蝦夷の地」に争乱の世紀>という本日付の朝日新聞の記事をお読みいただきたい。学校では教わることのない日本列島の歴史の一部が垣間見れるかもしれません。日本列島の歴史を逆さまに見ると、今起っていることのはじまりが見えてくるはずだというのが、小生が今も『ネイティブ・タイム』のアップデートを続けている理由でもあります。
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Saturday, May 01, 2004
かんしゃくをおこせば友だちを失い
嘘をつけば自分を失う
------ホピの格言
*ホピはアリゾナの美しい沙漠のなかにある自分たちの国で暮らす信仰の深い人たち。北アメリカで連続して人の暮らす最も古い村がある。非暴力を生き方の規範とする。ホピとは「平和の人」の意味。
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