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Thursday, April 29, 2004

新しい時代を生きる君へ・再録

『ネイティブ・タイム--先住民の目で見た母なる島々の歴史』へのあとがき

▼あえて2004年4月の本日「みどりの日」に以下に掲載するのは、小生が3年前に上梓した本『ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史』のあとがきの全文です。1000ページ近くもあり、厚さも5センチをこえている(正確には5センチ4ミリの)書籍で、全体はいわゆる年表のスタイルをとっていますが、実はこれは年表などではなくて、今自分の立っている(立たされている?)場所の座標軸を自分の感性で確認するためのいうならば「時空間GPS」として機能するように考えて制作しました。この本を制作するのに、実質的な作業期間とは別に、わたしは15年ぐらいの年月をつぎこんでいますし、その本(時空間位置確認システム)の基礎データの部分は、4月1日付のネイティブ・ハートにも書いたことですが、今もなお、それは新情報に基づく改訂や訂正を加えつつ日々増え続けています。自分の腹づもりとしては2012年までには改訂増補版を刊行にもっていきたいと考えてはいるのですが。なお2001年以降の分は、時をにらんで「補遺」として、「pdf書類」で必要な方にインターネットを経由して年ごとに無料で配布してきました。このアップデート作業は、日本列島に生きる未来の世代にとって、日本という枠組みを超えて「地球に生きる人」となるためには、必要不可欠だと考えているからです。なにかの縁があって、同書をお読みになっていただいた方、あるいは新しく最近に『ネイティブ・タイム』を手に取り、その時空間位置確認システムが重要だと感じて、自分にも「補遺」というかたちでサポートが必要だとお考えになった方は、北山耕平宛に、必ず「ネイティブ・タイム補遺希望」というサブジェクトでメールを送ってください。時期をみて、あるいは忘れたころに、ネイティブ・タイムの補遺が配信されると思います。

『ネイティブ・タイム----先住民の目で見た母なる島々の歴史』
 2001年版へのあとがき・再録

新しい時代を生きる君へ

   「日本語で『国』という字はたんなる長方形である。
    このイメージはまた日本語では、牢獄を意味する」

     −−二十世紀を代表する文明批評家でカナダ人のマーシャル・
      マクルーハンが、一九六九年に発表した「再部族化した造物主
      たち」という論文の中に書き残した言葉


大地にはスピリットが存在する。そのスピリットはすべての生命あるものたちをひとつにつないでいる。こうしたネイテイブ・ピープルの視点に立てば、われわれは地球と一体であり、われわれの内なる自然のスピリットは太古から現在まで、なにひとつ変わってはいない。だがその自然のスピリットの外側を取り囲むように、感情や信仰という幾層もの固い殻がおおっているために、われわれはスピリットの源にまで到達できないようにされてしまっているのだ。

二千年ほど前、日本列島に新しい生き方を持った人たちが到来しはじめて以来、われわれは、ゆっくりと、だが確実に、われわれのほんとうのスピリチュアルな源と触れることがなくなっていった。やがてわれわれは自分の内なる声に耳を傾けることもなくなり、そのかわりに自然の法にそむくような、いくつもの偽りの法に従いはじめた。大陸から便利なものを持って新しく、続々とやってきた人たちは、先住の人たちが自然の法に従っているという理由で、その人たちをことごとく絶滅させるか内部にのみこんでいった。日本列島で完成しつつある「日本人」は、内側にたくさんの先住民のスピリットを抱え込み、そうしたスピリットが発動しないような、なんともやりきれない「しくみ」で、タテマエの上の文明の国を維持し続けてきた。

着る物など外見は、影響を受ける文化によってさまざまに変わったが、内側のスピリットを眠らせたままにしておく「しくみ」は、変わることがなかった。そして今、二千年ほど前に地球の各地ではじまった新しい生き方、生命よりも大切なものがあるという錯覚に立脚して本質に目を向けさせないシステムが、地球のすべての生命あるものたちの生存を脅かすようになっている。日本列島も例外ではなく、自然は不自然に場所を取ってかわられ、野生は潮が引くようにわれわれの前から姿を消しつつある。

われわれは、すべての生命の絶滅という、きわめて危うい瞬間に立ち会っているのだ。そしてこの生命への危機がひきがねとなり、ようやく自分の内なる声に耳を傾けようかという気運も、世界的に起こりはじめた。こうした時代が来ることを、地球上に残った先住民の文化では「不思議な夢」として語り継いできた。ネイティブ・アメリカン・ピープルの伝承でいえば、「ホピの予言」「ブラック・エルクの幻視」「虹の戦士の教え」などがそれにあたる。

そうした予言的な夢に共通しているのは、母なる地球の聖なる自然にたいして、人間がいっさい思いを払わなくなって、それを平気で汚すようになり、すべての生命が危機にさらされる時が到来するということである。生存のための希望がことごとく失われていく。しかし、すべてが終わると思われたそのとき、新しい世代があらわれると、予言はそろって伝えている。これまで母なる地球に加えられてきた危害や損傷を回復させ、傷を癒す力を持った癒しと学びの世代が登場するだろうと。彼らは地球に残された古代からの知恵を集め、愛と調和の内にそれらを地球の新しい知恵として再生させるだろうと。

世界の中でもわたしたちの国は、差別を人間支配の道具として使ってきたという点において、筋金入りの特別な存在である。われわれが自分の内側の声を素直に聞けるようになるためには、内なるほんとうの自然を取り囲んでいる差別という何層もの強固な殻を溶かしていかなくてはならない。教育の名のもとに、差別をより強固なものにする道具として長いこと使われてきた「彼らの歴史」を、今度は差別を溶かすための道具として、逆さまに使いはじめなくてはならない。わたしがこの本を作ろうと思い立ったのは、「日本という国」を、ではなく、「母なる日本列島」を、もっと愛する世代の到来を夢に見たからであり、もう一度日本列島の自然の声を直接に聞く世代の出現こそが求められていると確信したからである。

われわれは、われわれの生命にたいして責任を持たなくてはならない。どうすれば力を自分のものにできるかをすすんで学び、成長し、偉大なる精霊と母なる地球の語る声に耳を傾けなくてはならない。地球そのもの、母なる日本列島そのものに触れることで、曇りのない頭で直接学びはじめる必要があるだろう。母なる島々のエネルギーに波長をあわせ、われわれの思考や生命力を増幅させていかなくてはならない。そうすれば不変と思われている「しくみ」そのものを変えるための力も、与えられるだろう。

しかし力を与えられるということは、当然ながら責任も伴う。いにしえの武芸の達人のごとく、行動のすべてにたいして、過ちを犯さないようにすることが求められるようになろう。日本人としてではなく、ひとりの「人間」として、プライドを持って母なる島々の上に立とうと思ったら、まずは地球を救うという責任を持たなくてはならない。そして二番目には、あなた自身を救う責任も持たなくてはならない。そのためには、ほんとうに必要な知識を守る人間にならなくてはならないのだ。あなたを日本人にするための歴史を学校は教えてくれるが、その歴史は、絶対にあなたを日本列島そのものに触れるところまでは連れていかない。

わたしは、もう一度「人間」として日本列島に触るための「われわれの歴史」を編纂したつもりである。あなたが日本という名前の絨毯をくるくると巻きあげ、その下で息づいている日本列島に直接触れ、その声を聞くようになったら、この本はその役目を終える。

われわれは日本列島に帰らなくてはならない。


北山耕平 二千一年、蛇の年の初春 津久井にて
     イヤー・オブ・ザ・スネーク

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  ■ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史
  北山 耕平 (著)価格: ¥5,040 (税込)
  単行本: 925 p ; サイズ(cm): 182 x 128
  出版社: 地湧社 ; ISBN: 4885031583 ; (2001/02)

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