スピリット・ギバー・グレイン
「宇宙船地球号」というテレビ番組で、AIM(アメリカ・インディアン・ムーブメント)のかつてのリーダーとして次ぎの世代に「生まれてきた自分に自信を与えるために」活動してきたデニス・バンクス(アニシナベ)が、彼の生まれ故郷の北ミネソタのリーチ湖でワイルドライスの収穫をしている光景を見た。伝統的なカヌーに乗って----少しぎこちない手つきで----彼はワイルドライスの収穫をしていた。デニスとは、例の白いバッファローの仔どもが生まれた年(1994年)に、たまたま出会って話をする機会をもったことがある。彼が故郷に帰ってワイルドライスの農業をはじめたという話は風の噂で聞いていたので、映像はとても印象深いものだった。
実はこのビデオを改めて見たのは、昨日(4月27日)の午後六時から、横殴りの雨が吹きつける東京の浅草のアサヒビールのホールにおいて、食のデザイナーで「雑穀」再評価ムーブメントの立役者である大谷ゆみこさんが編集した『スローライフ、スローフード』(メタ・ブレーン刊)という本の出版記念会で小生が「スピリット・ギバー・グレイン(スピリットを与えてくれる穀物)」というタイトルで講演をし、その後大谷さんと公開対談をする機会を与えられていたからである。会場には手をかけて調理されたおいしい雑穀料理が山のように待ち構えていたために、講演は30分ほどの短いものとならざるをえず、その場でいいたりなかったことや補足を、昨晩の記憶が残っているうちにすこしまとめておくことにしたい。余談だけれど、みんながおなかを満腹にしておだやかな気持ちで帰途についたときには、雨もやんで月も顔をのぞかせていたことを報告しておきます。
「スピリット・ギバー・グレイン(スピリットを与えてくれる穀物)」という言葉のもととなったのは、アニシナベという名前の北米先住民が自分たちにとって大切な穀物を「マァノォミン」と呼んでいることによる。
アニシナベは、ネイテイブ・アメリカンの部族のなかでは----チェロキー、ナバホ(ディネ)に次ぐ----現在三番目に大きな部族であり、北米大陸の五大湖地方、とりわけスペリオル湖周辺の湖沼地帯に長く暮らしてきた。もともとカバノキの樹皮で作ったカヌーを操って主にワイルドライスや各種のベリーなど野生の植物を採集したり、漁労や狩猟をする人たちで、いわゆるインディアン同士の戦闘において唯一スー族を打ち破った部族として、かつては勇名を轟かせたこともある。
アメリカ人はアニシナベの人たちのことを「チペワ」として知っているし、カナダでは「オジブウェ」もしくは「オジブウァウ」として認識されている。チペワはもともとフランス人の探検家がつけたとされる名前で、アニシナベの人たちはその名前を忌み嫌っており、それよりはまだましという程度で「オジブウェ」と呼ばれることの方を選択しているという。
オジブウェというのは、アニシナベの人たちのモカシンにみられる独得の縫い方で折り合わせたつなぎ目のことを、アニシナベもそのなかにふくまれる「アルゴンキン語族」のネイティブの人たちが呼ぶ名前からきたものだ。アニシナベの人たちは、カヌーと犬とを巧みに操って、季節を問わず遠くまで旅するアウトドアーズピープルの原点のような人たちで、日本語で「かんじき」と呼ばれるスノーシューズを作り使う術など右にでるものはいない。
このアニシナベの人たちがもっとも大切にしている伝統的な穀物が、デニス・バンクスが毎年秋になるとカヌーで出かけて収穫しているワイルドライスである。ワイルドライスは高級な食材として知られているが、日本ではあまり有名ではない。欧米などではターキーやチキンの詰め物などに利用されるが、小生はアメリカで暮らしていた際に、少量を米や玄米と一緒に焚きあげ、一味違った栄養価の増したごはんを堪能していた。最近では自然食品屋さんなどでも売られているから、機会があるならばぜひ、ネイティブ・アメリカンの人たちの手摘みのワイルドライスを、あえて選択してご賞味されたい。
で、アニシナベの人たちの言葉でワイルドライスは「マァ-ノォ-ミン」という。「ミン」は「種(シード)」のことだが「マァ-ノォ」の「マァ」は、彼らの信仰する偉大なる精霊グレイトスピリットである「マァニィドゥ」の「マァ」からとられたもの。全体としての意味は「スピリットを与えてくれる種(穀物)」となる。
スピリット・ギバー・グレインとしてのマァノォミンは同時に彼らの暦のうえの月の名前である「収穫月」(8月下旬から9月上旬)を指し示す言葉にもされている。伝統的なワイルドライスの収穫は、夫婦一組がカヌーでワイルドライスの生えているところまで出かけ、男性がカヌーを操り、女性が州各様の棒を二本もって、その棒でカヌーのなかにはらい落としていくもので、見た目は楽しそうではあるが、けっこうな重労働である。ワイルドライスは日本では「真菰(まこも)」として知られている沼のなかや湖の岸縁に生えている葦に近い植物の実のことである。
アニシナベの人たちが、自分たちにとって最も大切な食料に、「スピリットを与えてくれる穀物」という名前を与えていることは、実に示唆に富んでいる。わたしはほとんどすべての民族集団に、そうした「スピリットを与えてくれる穀物」があるのではないかと考えているからだ。そしてそうした自分たちにとって重要な穀物にたいする信仰を失ったとき、大地とのつながりを喪失してその集団はくずれはじめるのである。
日本列島に暮らしていた「日本人以前の人たち」にとって「スピリット・ギバー・グレイン」はなんだったのだろうか? そのことは自分が北米先住民の世界から日本列島に帰還して以来ずっと考えつづけてきたことでもある。そして三内丸山や各地の縄文遺跡の発掘結果や、北海道島のネイティブ・ピープルであるアイヌの人たちのライフスタイルから、太古の日本列島人たちにスピリットを与えていた穀物は「ヒエ」「アワ」に他ならないと確信するにいたった。
大方の人が考える「コメ」は、もとより日本列島にネイテイブのものではなく、のちに持ち込まれたもの--日本列島はコメのプランテーションとして開発されたの--であり、日本列島がコメの国になってからずっとそれは「いのちをつなぐ食べ物」というよりは「国家を豊かにするための貨幣」としてあつかわれてきた。もちろんコメをスピリット・ギバー・グレインとして見ていた人が東南アジアや極東アジアに居なかったわけではないだろうが、それでもそれは千年を経た今もなお日本列島においてはネイティブのスピリットの象徴としての扱いを受けているとは言いがたい。二千年ほど前に弥生時代に入って以来「コメ中心主義(ライス・ショービニズム)」が、その裏返しとしての拝金主義が、日本列島のうえを席巻してきているところに、この国が隠しつづけてきている秘密のようなものがあるに違いないと、小生は考えている。
10年ほど前、外圧によるコメの市場開放によって国家によるコメの管理が終わりを告げた(弥生時代の終焉)今、わたしの願うところは、食デザイナーである大谷ゆみこさんのような人たちの登場と活躍によって、われわれの無意識のなかに深く根をおろしている「コメ中心主義」にはっきりと終止符が打たれ、コメがその他の穀物や野菜のひとつとして応分の場所におさまることである。当然ながら一般の人が自由にコメを食べられるようになった今、コメをお金として生産するのではなく、これをいのちをつなぐ穀物として愛情を注いで育てる農業者が出現するのであれば、あえてコメを否定する理由はどこにもない。コメはトウモロコシと並んで地球の二大穀物であり、穀物--たなつもの--は、どんなものであれ、それが育つ大地と環境と風と水と人からのエネルギーを引き受けてで大きくなるものなのだから。
その結果「雑穀」などという尊敬をみじんも感じさせない差別的な言葉が食生活のなかから消えうせて、ひとびとが晴れやかな心ですべての穀物を等しく扱い、そのなかからもう一度自分たちのスピリットといのちとを日本列島の大地につなぎあわせることのできる穀物、わたしたちのスピリット・ギバー・グレインたちの権利が回復されて、神聖なものとして扱われるようになっていくことを祈りたい。
Love, Peace & Justice (Still)
北山耕平
Last update 9.49AM 4/29/2004
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