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Thursday, April 22, 2004

生きるためのシンプルな教え

『アメリカ・インディアンに学ぶ――子育ての原点』の訳者後書き再録


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  「朝目を覚ましたときと、そして夜眠りにつくまえには、自らの内側
  で息づくいのちと、ほかのすべてのいのちにたいして、この世界をつ
  くられし存在から、汝と、汝以外のものたちにもたらされた良きもの
  にたいして、さらには日々少しずつ成長する機会のあたえられたこと
  にたいして、感謝をささげよ。過ぎ去りし日々の、汝の考えや行いに、
  深く思いをめぐらせ、より良き人間となるための、勇気と、力とを、
  探し求めよ。すべての人にとって、真に恩恵となるものを、探し求め
  よ」

         ――ネイテイブ・ピープルの普遍的な教えのひとつ


はじめてアメリカ・インディアンと呼ばれていた人たちの世界に足を踏み入れたときのことは、それから四半世紀が過ぎようとしている今でも、忘れることができません。彼らはわたしを遠くの部族からやってきたひとりの旅をする青年として受けいれてくれたのです。インディアンの社会には、神話や伝説の時代から、伝統的に若者が自分の生きる支えとなるものを探して放浪の旅にでることが、めずらしくありませんでした。

あのときインディアンの世界からわたしにかけられた第一声は「お腹はすいていないか?」というものでした。誰であれ遠方より訪れた友達や旅人を、腹をすかせたまま帰してはならないという掟のようなものが、彼らの社会にあることに気づいたのは、それからしばらくしてからのことです。どんなに貧しくて、家族が日々の食べものに窮していたとしても、彼らは最後の食べものを客人に振る舞うことをためらわない人たちです。(余談ですが、ヨーロッパから新大陸に逃れてきて環境に適応できず、食べるものもなくて死にかけていた渡来者たちに食事を与え、とうもろこしの栽培を教えたのも彼らでした)わたしはカップに注がれた温かいスープを口に運びながら、とてつもなくやさしい気持ちに包まれている自分を発見しました。わたしにとって幸いだったことは、文字どおりそのときの自分が放浪の旅の途中にあったことです。観光でアメリカに渡ったわけではなく、帰る予定もなにもなく、わたしは生き延びるための日々の暮らしを続けていたのです。そしてほんとうの偶然から、彼らの世界に足を踏み入れることになりました。

それまで長い間、都市文明社会のなかで育ちましたが、人里離れた高原の砂漠のなかであるにもかかわらず、自分の心があれほどなごむ空間にいたことはありません。雪の降るネバダの砂漠で、たまたまひとりのメディスンマンの老人と知り合ったのをきっかけに、わたしは足しげく彼らの世界に通うようになります。

その老人があるとき「コロンブスがやってきたときにはじまった戦争はまだ終わっていないのだ」とほつりとこぼしたことがありました。彼はいたずらそうな目でこちらをのぞき込んでいます。わたしはショックを受けました。あらためてそういわれるまで、そんなことを考えたことすらなかったからです。合衆国政府は数百年間にわたってアメリカ大陸の先住民たちを絶滅しようと武力を用いてきましたが、それが事実上不可能だとわかると次には、インディアンのアメリカ人化が画策されました。伝統的な宗教活動をことごとく禁止したうえに、子供たちを強制的に親元から引き離して、十年以上寄宿舎に軟禁して、徹底的なキリスト教に基づく英語教育を施すことで、親と子の肉体的精神的な絆を断ち切り、彼らの家族のつながりを基盤にした社会を、内側からなきものにしようとしたのです。

わたしがたまたま訪れることになったインディアンの社会は、アメリカ人化教育をかろうじてまぬがれた最後の世代が、ところどころにまだどうにか生き残っていた時代でした。それはまた、帰るべき場所を探し求める多くのインディアンの青年たちが、もう一度インディアンであるとはどういうことなのかを、そうした年寄りたちのもとを訪れて一から学びなおそうとする気運が高まりを見せた時代でもあります。わたしはそのなかで地球の先住民とはどういう人たちで、なにを考え、どう生きているかを学ぶ決心をします。

それは「コロンブスが来た時にはじまった戦争」という言葉が、わたしにひとつのひらめきを与えたからでした。新大陸の先住民たちは、しばしばアメリカ大陸のことを、伝説に基づいて「亀の島」と呼びますが、その亀の島ではつまり「600年前まで縄文時代が続いていた」のです。それ以前にはあらゆるものの価値を貨幣や金銭的なものに置き換えることもありませんでした。「まったくお金のない世界」が続いていたわけです。なかったのはお金だけではありません。学校も、牢屋も、病院も、巨大建築も、ゴミの問題も、なにもありません。それでも数万年の間、人々はたいへんながらもやってきたわけです。なにがそういう生き方を可能にしたのでしょうか? 

わたしたち−−日本列島にくらしている人たちの遠いご先祖さまたち−−が、ネイテイブ・アメリカン・ピープルと共通の地点に立っていたのは、縄文時代までのことでしょう。ものの価値を金銭的なものに置き換えるようになり、作物を換金作物として見るようになると、人間の価値観とそれを基盤にした生き方は激変します。今ではあまりにも遠い過去のことなので、わたしたちには縄文時代の人々の暮らしぶりは想像しにくいものがあります。彼らがなにを考え、どういう生き方をして、どのような価値を次ぎの世代にに伝えつづけたのか?もとよりもう二度とそんな時代に帰ることはできないことぐらいわかっていますが、どういう価値観や生き方が、数万年という長いサイクルの「人間としての生き方」を可能にしたのかを、1000年たらずで地球を瀕死の状態にしてしまった「文明人」のわたしたちも、考えてみる必要があるかもしれません。近年アメリカ・インディアンにたいする関心が高まってきた背景には、いくつかの理由があります。ひとつは環境問題の研究者サイドからのアプローチです。本書の原著者であるエベリン・ウォルフソンさんも、生態学を学ぶことから先住民文化に深い関心を抱くようになったひとりです。彼らが数万年間にわたって実践してきた環境に負荷を与えない生き方とその哲学が、あらためて脚光を集めています。また、エコロジーはエコロジーでも、精神のエコロジーという観点から、先住民の精神文化に着目する人たちもたくさんいます。人間の心のあり方と、その人間を取り巻く環境のあり方とは密接に関係しているからです。「この宇宙に存在するすべてのものは、なにであれすべてつながっていて、相互に影響を与えあっている」とするネイティブ・ピープルの世界の認識の仕方に、現代的な問題を解決する鍵があると主張する人たちもいます。

この本『アメリカ・インディアンに学ぶ−−子育ての原点』は、もともとのタイトルをそのまま直訳すると『インディアンとして育つ』というものです。伝統的な部族的生活を送る地球に生きる人たちが、どのように子供たちとつきあい、彼らの子供たちはどんな自然環境のなかで育ってきたのか」について、専門に流されることなく、これほど総合的にわかりやすく書き記した本をわたしは知りません。この本を翻訳しようと思った理由もそこにあります。ただ、この本に若干たりないものがあるとしたら、それはアメリカ・インディアンと今ではひとまとめにして呼ばれる人たちが、子供たちに「人が生きていくうえでほんとうに大切なこと」としてなにを伝えてきたかという部分でしょう。

かつて亀の島には、600を越える先住民の国がありました。それぞれに風土も言葉も信仰も食事の内容もことなっていて、言葉の違い方をある研究者はわかりやすく「今の中国語とドイツ語ぐらいの違いがあった」と表現しています。では、みんなに共通していたものはないのでしょうか? ある、というのがわたしの答えです。それは彼らがなにをほんとうに大切にしているか、どのような考え方が倫理・価値・道徳の基準になっているかということです。彼らがとにかく重要視したのは「なにかを、あるいは人を、大切なもの、尊敬すべきもの、あがめるもの、頭をさげるものとする日常の心のあり方」でした。敬意を払うこと。尊敬すること。うやまうこと。リスペクトすること。それは、人、もしくはなにかのものをたっとび、その「ありがたさ」を心で感じて、身体で表現することです。人、もしくはなにかものの安寧をおもんぱかり、人、もしくはなにかのものを、特別なものとして丁寧にとりあつかうことです。人、もしくはなにかのものを、誰の目から見てもはっきりとわかるぐらいに、にぎにぎしくうやまうこと。心からの敬意。リスペクト。それこそが地球のうえで生きる人の人生において、基本的かつ最も重要なことであり、ネイテイブ・ピープルの教えの中心にあるものだと、わたしは信じます。

アメリカ・インディアンが子供たちにとにかくまず教えるのは「相手を尊敬すること」でした。たとえば口がきけるようになるはるか前から、子供たちはあらゆる局面で「他を思いやること」を求められます。よく赤ん坊を抱いたりすると、その子がいきなり手で抱いている人間の顔に触れてくることがありますし、子供のほうも悪気があってそれをしているわけではないのですが、もしひざのうえに抱えた赤ん坊が顔に手で触れてくるような時には、自分以外の人の顔にいきなり手でさわるような−−他を思いやらない−−失礼なまねはしてはならないと、早い時期に徹底して教えこまれることになっています。そうしたことはいわゆるしつけとされるものの一部で、全体を語りつくすのは大変なことなのですが、ちょうど10年ほど前に「インター・トライバル・タイムズ」というネイティブ・アメリカンの部族を超えて読まれている新聞に「ネイテイブ・アメリカンの伝統的な倫理とは」という記事があり、部族を超えて共通する生きるためのシンプルな教えがまとめられていました。切り抜いて取っておいたので、それをいくつか紹介して、訳者後書きの結びとします。

この本とともに、どうかあなたが自分の生き方を組み立てなおす時の参考にしてください。


●相手が年端のいかない子供であれ、年寄りの長老であれ、つねに相手を思いやり、尊敬の念をもって接しなさい。

●相手が長老であったり、両親であったり、先生であったり、共同体の指導者である場合には、さらに一層の尊敬の念が求められます。

●言葉や行為によって、相手を打ちのめすようなまねをしてはなりません。死に致る毒物を避けるように、誰かのハートを傷つけることも避けなさい。

●相手の許可を得ることなく、またあなたとそのものとのつながりが理解されないうちは、他人の持ち物に絶対に触れてはなりません。特にそれが「聖なるもの」である場合はなおさらです。

●すべての人のプライバシーを大切にしなさい。ある人の静寂の時のなかに進入したり、個人的な空間のなかに踏み込んだりしてはなりません。

●話をしている人たちの間に、割って入ることは許されません。

●いかなるかたちであれ、会話をしている人たちの会話をさえぎるような真似は、してはなりません。

●年寄りや、見知らぬ人や、特別な配慮が必要な人の前にいる時には、けして声を荒げてはなりません。話す時はくれぐれも穏やかに。

●長老たちが参加をするような集まりにおいては、話を求められない限り、自分から話を切り出してはなりません。

●面と向かってであれ、影にかくれてであれ、相手が誰であろうと、特定の人物の悪口を口にしてはなりません。

●地球とそのあらわれの一切すべての相を、実の母親としてあつかいなさい。鉱物の世界、植物の世界、動物の世界のそれぞれにたいし、深い尊敬の念をあらわしなさい。

●空気や、土壌を汚染するようなことは、なんであれしてはなりません。万一誰かがわれわれの母親である地球を破壊しようとしたら、彼女を守るために知恵を持ってたちあがりなさい。

●他人の信仰や宗教に、常に深い尊敬の念を示しなさい。

●他人の話すことに真剣に耳を傾けなさい。たとえその話の中身が自分にとってまったく意味のないものであったとしても、心で聞きなさい。


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『アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点』
著者    エベリン・ウォルフソン 著
ウイリアム・サウツ・ボック 画 北山耕平 訳
出版社  アスペクト ISBN   4-7572-0982-7
発売日   2003年8月12日 税抜価格  952円
判型    B6判 ページ数  120ページ

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