ネイテイブ・シード(種のインディアン)
「われわれが種の世話をするなら、種はわれわれの世話をしてくれる」ということわざが、亀の島(現在の北米大陸)の東部森林地帯に暮らすタスカローラの人たちに残されています。
食料となる植物の種(シード)の保管はネイテイブ・ピープルの生存を左右する重要なことでした。種の保管の仕方は、当然ながら気候にあわせてことなっています。ネズミや他の動物たちから食べられたりしないように地面に穴を掘り木の皮で内張りをした種の保管穴を持っていたのは東部の人たちで、南西の乾燥地帯の人たちは粘土で「種つぼ」をいくつも作り、密封できるフタで虫の入るのを防ぐようにして、さまざまな種子を種類ごとに分けて保存していました。いずれにしても種子は一年をとおして冷涼で乾燥している場所を選んで保管されていました。
彼らが同じトウモロコシでもさまざまな種類のものの種子をきちんと分けて保存していた理由は、気候の変化に対応するためです。植物が成長する季節に悪天候が続いたりすれば、当然収穫できる量は減るわけで、このようなときには村人が総出で、成長の速い種類のトウモロコシの種などを植えつけるようになっていました。ひとびとは常にそうした種がなくならないように気をつけつつ、さまざまに多様な種類の種を万一に備えて保管していたわけです。
このようにその土地の風土にそくして成長できるような種類の種のことを彼らは「ネイテイブ・シード」といいます。種のインディアンですね。ネイティブ・シードとはただの「野生種」なのではありません。環境に適応するように先人たちが選んできたものの種のことなのです。
おもしろいことに、現代の日本では、日本列島にそくして長い経験によって育てられ集められてきている種のことを「伝統野菜の種」と言っています。大きな種苗会社が扱う種は、大量生産大量消費が前提となる、いうならば「科学的・文明的」な、あえてインディアン的にいうなら「白人」のような種です。
一方、「伝統野菜の種」はある地域に対応するように先人たちが自分たちの手で育てて採集し大切に保管されてきたものです。種子の世界にも、ふたつの世界があることをわかってほしいと思います。
12日の「ミタクエ・オヤシン」の項目のなかで、わたしは『いのちのつながりを学び、自分がいのちの輪の一部にいることを人間に気がつかせるためにもっとも重要で、かつ太古から伝わってきているのが「農」であるとわたしは信ずる』と書きました。自分がいのちの輪の一部にいることを知るための農において、「種のインディアン」たちの果たす役割は極めて大きいと思われます。
「伝統」といい「ネイテイブ」といい、どちらも「その土地で生まれて育った」「その土地に根をおろした」というもうひとつの意味を与えられている言葉です、農の世界に入るときには、まずは「ネイテイブ・シード」「伝統野菜の種」を手に入れたいものです。
ところで、ぼくはこのブログ用の原稿を毎朝早くに書くことを日課にしています。書き上げたら一日放っておいて、ときどき読み返したり、書き直したりして、深夜、日がかわっていちばんにアップロードするようにしているのです。で、この記事を13日の早朝に書いて、たまたまテレビをつけたとたん、なんという偶然でしょうか、家庭菜園のために「伝統野菜の種」をインターネットで販売している店(埼玉県飯能市にある野口種苗)が紹介されているではありませんか。うれしくなりましたよ。日本列島の「インディアンの種」たちと、出会えるかもしれません。自家採種できる伝統野菜純系固定種のカタログのなかには「奥武蔵地這胡瓜」からはじまる春まき野菜の種がずらっとそろえられていました。愛知県産の「黒もちトウモロコシ」も岩手県ネイテイブの「ヒエ」も「アワ」も「イネ」も、信州ネイテイブの「ソバ」もあります。自分の土地の風土にあった種を見つけられそうです。さっそくブックマークに入れておかなくては。
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