ネイテイブ・ハートへの旅
『ネイテイブ・タイム補遺2004年版』をパブリッシュしました
*以下の草稿は『ネイティブ・タイム』という1000ページ近くあるおそろしく厚い単行本の刊行時(2001年)に、小生の友人が編集する「名前のない新聞」という月刊新聞に掲載されたものです。そのときアパッチというニックネームを持つその友人は「ある日この本が届いた時にはあまりの厚さに本とは思えなかった」と書いています。これは年代順に先住民の目で見直した日本列島の歴史を年表に書き直したもので、日々書き直したり書き加えたりして、小生のハードディスクのなかで毎年、今もさらにさらに成長を続けています。単行本刊行から3年が過ぎて、今回pdfで発行した『ネイテイブ・タイム補遺2001―2004年版』を、かねてよりの希望者にメールで配布したことをうけ、以前に書いて公開したままになっていたこの文章を、改行をふやすなど若干手を加えて、ここに今一度再掲載することにしました。
**なお地湧社刊行の『ネイティブ・タイム』(書籍版)の読者の方で、『ネイテイブ・タイム補遺2001―2004年版 pdf』をご希望のかたは、必ずサブジェクトを「ネイティブ・タイム補遺希望」としたメールをくだされば、無料でお送りします。小生にメールを出すときには左の欄プロフィールの下にある「メール送信」をクリックしてください。
(以下本文)
いまから20年近く前、ネイティブ・アメリカンのあるエルダー(長老)に「人間が自分の足で辿らなくてはならない、もっとも長く、かつ神聖な旅路は、おのれのマインドからハートに至る道だ。そのことを生涯忘れてはならない」と言われたことがあります。
「マインドからハートに至る長い道」という言葉がその時以来わたしの頭に焼きついています。英語の「マインド」について、例えば研究社の英語中辞典は「身体と区別して,思考・意思などの働きをする心,精神」と解説していますが、C+Fの創設者で、日本のニューエイジのゴッドファーザー的存在の吉福伸逸氏(現在はハワイ島に在住)に、かつて筆者は、
「ねえ、北山君、マインドという言葉は〈頭〉と翻訳した方がいい場合が多いのだよ」
と教えられたことがあり、目からうろこを落とした体験があります。
だから「マインドからハートに至る道」とは「アタマからココロに至る道」ということであります。
わたしがアメリカ・インディアンについての最初の本『ネイティブ・マインド――アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊)のもととなる原稿を書いていたのは1980年代の後半のことでした。70年代後半にわたしがアメリカで知りえたアメリカの先住民のことを、日本列島で生きている人たちに知ってもらいたくて、考えた末にそのタイトルを選びました。
アメリカ大陸ではコロンブスが到来するまでは「そうか! 日本でいうところの縄文時代が続いていたわけか!」という自分にとって「腰をぬかすほど」の発見と、「日本人は白人と商売がいちばん上手なインディアンだな」というディネ(ナバホ)の青年に言われた言葉に触発されて書き綴ったものです。
われわれはもともとインディアンでありながら、なぜかインディアンの道から遠く離れたところにきてしまっていると、実感したのです。思えばその本以後の十数年近くを、わたしは文字どおり「マインドからハートへの旅」を続けてきたということになります。
2001年に同じ地湧社から本にしてもらった『ネイティブ・タイム――先住民の目で見た母なる島々の歴史』は、まさしくその旅のサインポスト(道案内)として、またその旅の記録として書き残したものです。この本は、自分がなぜ日本列島に生まれたのかということに疑問を感じたすべての人の手に渡ることを願いつつ形にされたロードマップです。
なぜ日本列島の自然が極端に矮小化されてしまったのかについて疑問を感じた人のための本でもあります。われわれはいつどのような形でネイティブであることをやめて日本人になったのかについての考察ともなっています。
日本列島に生まれた「ネイティブ」としてもう一度母なる島々に、その自然に直接触れ、その声を聞くためには、どんなにたいへんであろうとも、われわれは少なくても数千年から数百万年の時間を遡るための想像力を持たなくてはなりません。
その想像する力の助けとなる様々な情報を、無数に集めて年代別に編集整理したものがこの日本列島で生きた先住民の年代記(年表)なのです。といっても無味乾燥な情報の羅列ではありませんから安心してください。わたしはこの本を「読むもの」ではなく「浸るもの」として編集しました。勉強じゃないのですから、一字一句を読み落とさずに真剣に読むためというよりは、さながらお風呂にでも浸かるように200万年の昔への旅を体験してみてください。必ずや「日本列島」を見る目が変わるでしょう。
わたしたちが学校で習い、わたしたちの子供たちがあいかわらず学校で学ばされている日本の歴史というものは、偏狭で好戦的な愛国主義者たちが望むように、日本という国家を愛する子供たちを多く作り出した/出すかも知れませんが、日本列島とその自然を愛する子供たちを生み出すことはいまだかつてなかったし、今後もないだろうと推測されます。
言い換えれば、日本国の歴史とされるものは、それをもくろんだ勢力によって、作られていると言っても良いのです。
世界中の先住民は、自分たちが偉大なる精霊から与えられた大地の上に作られた征服民による国家を「一枚の絨毯」と認識しています。その絨毯をくるくると巻きあげると、その下には手つかずの自然が息づいていて、祈ることによってその自然をよみがえらせることが出きるという予言が多く残されていたりします。
今、日本列島の自然は沈黙しつつあります。
なぜなら彼女の声を聞く人たちが急速にいなくなりつつあるからです。わたしたちは200万年の旅路をさかのぼり、時空を越えて、地球のネイティブであるとはいかなるものであるかを自分のアタマとココロとカラダで体験し、絨毯の下で息づいているものに触れなくてはならないときがきているのかも知れません。
日本人の歴史を越えて、日本列島人の歴史をよみがえらせましょう。
この長い旅は、実に発見と驚きに満ちた旅です。あたりまえだと思っているものがほんとうはあたりまえでもなんでもないことを知ることが出きるかも知れません。どうかネイティブ・ジャパニーズとしてのもう一人のあなたを発見してください。
この本がその旅の道案内としてお役に立てば幸いです。
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