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Friday, April 30, 2004

宗教と芸術

すべてのネイティブ・アメリカンの人たちは「宗教」という言葉を持っていません。ネイテイブ・ピープルは自分たちの信仰を宗教だとは認識すらしていませんでした。教義などというものもなかったし、文字で書き記された規則のようなものもありません。自然のなかで人は自分の道と正しい生き方とを探し求め、世界と正しく向き合うことを求められたのです。同じように「芸術」という言葉もありませんでした。自分たちは美のなかで生きていると認識していた人たちには、なすことすべてが美とつながっていたために、わざわざそれを表現する言葉を必要としなかったのです。

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Thursday, April 29, 2004

新しい時代を生きる君へ・再録

『ネイティブ・タイム--先住民の目で見た母なる島々の歴史』へのあとがき

▼あえて2004年4月の本日「みどりの日」に以下に掲載するのは、小生が3年前に上梓した本『ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史』のあとがきの全文です。1000ページ近くもあり、厚さも5センチをこえている(正確には5センチ4ミリの)書籍で、全体はいわゆる年表のスタイルをとっていますが、実はこれは年表などではなくて、今自分の立っている(立たされている?)場所の座標軸を自分の感性で確認するためのいうならば「時空間GPS」として機能するように考えて制作しました。この本を制作するのに、実質的な作業期間とは別に、わたしは15年ぐらいの年月をつぎこんでいますし、その本(時空間位置確認システム)の基礎データの部分は、4月1日付のネイティブ・ハートにも書いたことですが、今もなお、それは新情報に基づく改訂や訂正を加えつつ日々増え続けています。自分の腹づもりとしては2012年までには改訂増補版を刊行にもっていきたいと考えてはいるのですが。なお2001年以降の分は、時をにらんで「補遺」として、「pdf書類」で必要な方にインターネットを経由して年ごとに無料で配布してきました。このアップデート作業は、日本列島に生きる未来の世代にとって、日本という枠組みを超えて「地球に生きる人」となるためには、必要不可欠だと考えているからです。なにかの縁があって、同書をお読みになっていただいた方、あるいは新しく最近に『ネイティブ・タイム』を手に取り、その時空間位置確認システムが重要だと感じて、自分にも「補遺」というかたちでサポートが必要だとお考えになった方は、北山耕平宛に、必ず「ネイティブ・タイム補遺希望」というサブジェクトでメールを送ってください。時期をみて、あるいは忘れたころに、ネイティブ・タイムの補遺が配信されると思います。

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Wednesday, April 28, 2004

スピリット・ギバー・グレイン

「宇宙船地球号」というテレビ番組で、AIM(アメリカ・インディアン・ムーブメント)のかつてのリーダーとして次ぎの世代に「生まれてきた自分に自信を与えるために」活動してきたデニス・バンクス(アニシナベ)が、彼の生まれ故郷の北ミネソタのリーチ湖でワイルドライスの収穫をしている光景を見た。伝統的なカヌーに乗って----少しぎこちない手つきで----彼はワイルドライスの収穫をしていた。デニスとは、例の白いバッファローの仔どもが生まれた年(1994年)に、たまたま出会って話をする機会をもったことがある。彼が故郷に帰ってワイルドライスの農業をはじめたという話は風の噂で聞いていたので、映像はとても印象深いものだった。

実はこのビデオを改めて見たのは、昨日(4月27日)の午後六時から、横殴りの雨が吹きつける東京の浅草のアサヒビールのホールにおいて、食のデザイナーで「雑穀」再評価ムーブメントの立役者である大谷ゆみこさんが編集した『スローライフ、スローフード』(メタ・ブレーン刊)という本の出版記念会で小生が「スピリット・ギバー・グレイン(スピリットを与えてくれる穀物)」というタイトルで講演をし、その後大谷さんと公開対談をする機会を与えられていたからである。会場には手をかけて調理されたおいしい雑穀料理が山のように待ち構えていたために、講演は30分ほどの短いものとならざるをえず、その場でいいたりなかったことや補足を、昨晩の記憶が残っているうちにすこしまとめておくことにしたい。余談だけれど、みんながおなかを満腹にしておだやかな気持ちで帰途についたときには、雨もやんで月も顔をのぞかせていたことを報告しておきます。

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Monday, April 26, 2004

ネイテイブ・ノース・アメリカ(亀の島)最大の農耕文明遺跡

ミシシッピ河がミズーリ河とわかれるイリノイ州の南(北緯38° 39' 31" 西経90° 03' 41")に、ヨーロッパからの渡来人がやってくるはるか前、人口2万人ほどの「先住民都市国家」があったことがわかっています。メキシコの以北の「亀の島(先住民による北米大陸の古い呼び名)」では、最大の「都市」とされるもので、今から1400年ほど前から太陽信仰に基づいて都市計画がはじまり、600年後の12世紀ごろには120ほどのピラミッド状の大きな塚が構築されていました。(下の図は1150年ごろのカホキアの想像図)

Cahokia1150.jpg

16世紀にこの都市文明の遺跡が発見されて、その頃周辺で暮らしていた先住民の名前をとって「カホキア」と遺跡は呼ばれています。カホキア土塁群(Cahokia Mounds, the)と呼ばれる遺跡の案内には「メキシコ以北の先史ネイティブ文明において最も洗練された文明の遺跡」と謳われていたりします。なかでもピラミッドのうちで最大のものは「僧の土塁(Monk’s Mound)」と呼ばれるもので、19世紀にテラピスト修道院の僧たちがこのピラミッドの最下部のテラス状の土地で畑をつくっていたためにそう呼ばれているのですが、そのピラミッドはエジプトの最大のピラミッドよりも大きなものです。

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Thursday, April 22, 2004

生きるためのシンプルな教え

『アメリカ・インディアンに学ぶ――子育ての原点』の訳者後書き再録


          growingupindian.jpg


  「朝目を覚ましたときと、そして夜眠りにつくまえには、自らの内側
  で息づくいのちと、ほかのすべてのいのちにたいして、この世界をつ
  くられし存在から、汝と、汝以外のものたちにもたらされた良きもの
  にたいして、さらには日々少しずつ成長する機会のあたえられたこと
  にたいして、感謝をささげよ。過ぎ去りし日々の、汝の考えや行いに、
  深く思いをめぐらせ、より良き人間となるための、勇気と、力とを、
  探し求めよ。すべての人にとって、真に恩恵となるものを、探し求め
  よ」

         ――ネイテイブ・ピープルの普遍的な教えのひとつ


はじめてアメリカ・インディアンと呼ばれていた人たちの世界に足を踏み入れたときのことは、それから四半世紀が過ぎようとしている今でも、忘れることができません。彼らはわたしを遠くの部族からやってきたひとりの旅をする青年として受けいれてくれたのです。インディアンの社会には、神話や伝説の時代から、伝統的に若者が自分の生きる支えとなるものを探して放浪の旅にでることが、めずらしくありませんでした。

あのときインディアンの世界からわたしにかけられた第一声は「お腹はすいていないか?」というものでした。誰であれ遠方より訪れた友達や旅人を、腹をすかせたまま帰してはならないという掟のようなものが、彼らの社会にあることに気づいたのは、それからしばらくしてからのことです。どんなに貧しくて、家族が日々の食べものに窮していたとしても、彼らは最後の食べものを客人に振る舞うことをためらわない人たちです。(余談ですが、ヨーロッパから新大陸に逃れてきて環境に適応できず、食べるものもなくて死にかけていた渡来者たちに食事を与え、とうもろこしの栽培を教えたのも彼らでした)わたしはカップに注がれた温かいスープを口に運びながら、とてつもなくやさしい気持ちに包まれている自分を発見しました。わたしにとって幸いだったことは、文字どおりそのときの自分が放浪の旅の途中にあったことです。観光でアメリカに渡ったわけではなく、帰る予定もなにもなく、わたしは生き延びるための日々の暮らしを続けていたのです。そしてほんとうの偶然から、彼らの世界に足を踏み入れることになりました。

それまで長い間、都市文明社会のなかで育ちましたが、人里離れた高原の砂漠のなかであるにもかかわらず、自分の心があれほどなごむ空間にいたことはありません。雪の降るネバダの砂漠で、たまたまひとりのメディスンマンの老人と知り合ったのをきっかけに、わたしは足しげく彼らの世界に通うようになります。

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Wednesday, April 21, 2004

すべてのいのちのための「母の日」の集まり

5月の7日から10日までの三日間、ネバダの沙漠において、ショショーニの人たちが、祖先が土となっている大地における核実験と核廃棄物の貯蔵所を作るというアメリカ合衆国政府の蛮行に抗議をする非暴力の「すべてのいのちのための母の日の集まり(Mothers Day Gathering For All Life)」を呼びかけています。

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合衆国の地図では現在ネバダ州、ユタ州、アイダホ州、カリフォルニア州に色分けされている地域には、北アメリカ大陸が亀の島と住民によって認識されていた当時、西ショショーニの国である「ニュウイ・ソゴビア(Newe Sogobia ひとびとの母なる大地)」がありました。1863年にアメリカ合衆国政府とニュウイ・ソゴビアの住民である西ショショーニの人たちがルビーの谷で「平和と友情の条約」を結び、翌年にはニュウイ・ソゴビアのうえに便宜的に設けられていたネバダ準州がネバダ州へと格上げされることになります。問題は、ショショーニの人たちが合衆国政府と交わしたと信じていた「平和と友情の条約」が、その後のアメリカ議会によって一度も批准されることがなかった(無視されつづけている)という点にあります。それが原因で西ショショーニの人たちは一方的に自分たちの祖先が眠る大地を、アメリカの法律のうえで失ってしまうことになるのです。

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Monday, April 19, 2004

ネイテイブ・アメリカンの精神

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, April 17, 2004

あなたのなかのインディアンに

White Buffalo Teachings
日本語版『ホワイト・バッファローの教え』のためのまえがき再録

文・北山耕平

whitebuffalo1.jpg

今から十五年ほど前に、わたしの書いた『ネイティブ・マインド』(地湧社)という本が出版されました。この本を書くのに四年の歳月がかかっていますから、その本のもととなる文章を書いていたのは二十年ほど前の一九八十年代初頭のことです。その本は、それまでに日本で出版されたアメリカ・インディアンについてのどの本とも違っていたはずです。わたしが伝えようとしたのは「目には見えない彼らの世界」についてでした。

七十年代の後半に、わたしは偶然に導かれるように彼らの世界に足を踏み入れたのです。そこで見たり聞かされたり体験することになった世界は、それまでにわたしが知っていたものをことごとく否定しさりました。自分が教えられてきた知識が実にあやふやなものであったことを、否応なしに気がつかされました。

自分は誰なのか? どこからきて、いずこへ向かっているのか?

生きていくうえでほんとうに大切なものはなんなのか? 

世界の見え方がそれ以前と全く違ってしまった自分を、わたしは発見することになったのです。それまですごい速さで生きてきたわたしの人生に、あのとき急ブレーキがかかりました。

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Friday, April 16, 2004

忘れていた祈りの歌

どうかあなたの内側を祈りでいっぱいにしてください
小生がほん訳した本『聖なる言の葉』のあとがきの再録

   sunprayer.jpg
    Northwestern University Library, Edward S. Curtis's
    'The North American Indian': the Photographic Images, 2001.


   たいようが のぼってくる ひがしへ
   さむさの やってくる きたへ
   ひかりの もたらされる みなみへ
   たいようが しずみゆく にしへ
   ちちなる たいようの ために
   ははなる ちきゅうの ために

     ――ローリング・サンダー(西ショショーニ国メディスンマン)

この祈りの言葉をわたしに教えてくれたローリング・サンダーは、「一日二十四時間を宗教にすることの重要性」を常に説き続けた。そこで彼が口にする「宗教」とは、特定の組織宗教を意味するものではない。彼はこう言った。「もしもおまえが古き良きインディアンの道を歩みたいのなら、毎朝夜の明ける前に起きだして、昇ってくる太陽に向かって祈るがいい。わしは一日に二十四時間祈る。生活のすべてが聖なる儀式になりうるのだ」と。ここで重要なのは「インディアンにとって祈りとはなにか」ということである。

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Thursday, April 15, 2004

地球の多様性を守る知恵

ものの本によれば世界にはざっと数えただけでもおよそ75000種類の植物が何らかの形で葉や根や茎や実などに食べられる部分を持っていて、世界で先住民と呼ばれているネイテイブ・ピープルが、そのなかのおよそ70000種を食料にしているのだそうです。わたしたちが日ごろなにげなく食べている野菜や果物のなかには、6000年から7000年前に、南米のインカや、中米のマヤ、アズテク(アステカ)の人たちがもともと育てていたものが結構あったりします。

インカ、マヤ、アズテク(アステカ)の三つの文化は150種類以上の作物を栽培していたことが研究からわかっています。それらのなかでわたしたちがよく知っているものとしては「トウモロコシ」「カボチャの仲間のスカッシュ」「ピーナッツ」「ペッパー」「トマト」「ジャガイモ」などがあげられます。これらの種のひとつひとつが全部同じ種類かというと、けしてそうではなくて、本来の自然界における多様性の法則とでもいうのでしょうか、風土にあうようなかたちで何十、何百もの品種のトウモロコシやトマトやジャガイモなどが実際は存在しています。南北あわせたアメリカ大陸では、トウモロコシだけでも150種類以上が栽培されてきました。ネイティブ・ピープルの農にとって何よりも重要だったのがトウモロコシや豆やスカッシュやイモの多様性だったわけです。みんなが同じものを食べていたわけではないのですね。

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Wednesday, April 14, 2004

ネイテイブ・シード(種のインディアン)

「われわれが種の世話をするなら、種はわれわれの世話をしてくれる」ということわざが、亀の島(現在の北米大陸)の東部森林地帯に暮らすタスカローラの人たちに残されています。

食料となる植物の種(シード)の保管はネイテイブ・ピープルの生存を左右する重要なことでした。種の保管の仕方は、当然ながら気候にあわせてことなっています。ネズミや他の動物たちから食べられたりしないように地面に穴を掘り木の皮で内張りをした種の保管穴を持っていたのは東部の人たちで、南西の乾燥地帯の人たちは粘土で「種つぼ」をいくつも作り、密封できるフタで虫の入るのを防ぐようにして、さまざまな種子を種類ごとに分けて保存していました。いずれにしても種子は一年をとおして冷涼で乾燥している場所を選んで保管されていました。

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Tuesday, April 13, 2004

ハワイの掟十ヶ条

昔に南太平洋のかなたから、メネフネと呼ばれた「小さな人たち」の暮らす楽園のような島々に移り住んだポリネシアの人たちのことも、そこがアメリカに占領され州のひとつに組み込まれてしまって以来、ネイティブ・アメリカンと呼ばれています。ハワイの先住民の人たちのことです。ネイテイブ・ハワイアンにも、アメリカ・インディアンにとってのメディスンマンやメディスンウーマンのようなシャーマンがいて、彼らは「カフナ」とか「カプナ」南太平洋の島によっては「タフナ」と呼ばれています。それは「秘密をまもる人」を意味するポリネシア語ですが、医術、科学、法律、建築、教育、農業など万能に秀でた知者であり、なによりも優れた料理人でもあります。

あるカフナの言葉に「ハワイの文化のなかでは、われわれ人類はみな兄弟であり姉妹である」というものがありました。なんだ「人類みな兄弟」論か、もうひとつの「隠れ八紘一宇的発想」かと思われるかもしれませんが、その言葉には後段があります。「ハワイ人を決定づけるのは肌の色でもなければ血でもない。重要なのはハートの色である」と続くのです。誰かひとり特別な人の持つ傘のしたで人類が兄弟としてつながるというのではないのです。ハートの色は分け隔てなくみな同じなのですから。

だからぼくはハワイの風と土と光が好きで、十数年前にはハワイのそれぞれの島を時には野宿し、あるときはコーヒーのプランテーションの従業員小屋に転がり込んだりしながら、のんびりとまわった経験があります。ハワイ州観光局の公式ホームページを見ればわかるだろうけれど、あの風土を嫌いな人はまずいないよね。それからも何度かハワイを訪ねてきました。で、あるとき偶然に見つけた「ハワイの掟十ヶ条」とはこういうものです。

  • 天気でその日を判断してはならない。

  • 人生における最高のものは「もの」ではない。

  • 真実を話せ−−忘れてはいけないことは少ないのがよい。

  • 話す声はおだやかに、着るシャツは派手に。

  • 目標はあてにならない−−狙わずに射た矢ならはずれることもない。

  • たくさんのおもちゃとともに死んでも、死ぬことにかわりはない。

  • 年齢は相対的なもの−−山を越して下りになればスピードもでる。

  • 金持ちになる方法はふたつ−−働くのをふやすか、欲しいものをへらす。

  • 美とは内側のもの−−見た目にはなんにも意味がない。

  • 雨が降らなければ、虹は見れない。

やはりいいなあ。ということで今後もネイティブ・ハワイアンのことも、ネイテイブ・アメリカンとしてぼくのブログではとりあげていきます。

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Monday, April 12, 2004

ミタクエ・オヤシン

先日朝日新聞のコラムに「ミタケ・オヤシン」という言葉が掲載された。ラコタ(スー)の言葉なら「Mitakuye Oyasin」とアルファベットで表記され、「ミタクエ・オヤシン」とも聞こえるものだ。英語では「All My Relations」とか「We Are All Related」と翻訳されている。「すべてのわたしにつながるものたちよ」もしくは「わたしたちはみんなつながっている」と訳すことが可能である。

ラコタの人たちがすべての儀式のはじまるときと終るときにこのフレーズを口にする。朝日新聞の記事では、人間の行為について書かれるなかでこの言葉が使われていた。日本の政府関係者のすることがイラク情勢に影響を与えるというように。しかし、正しく言うなら、その言葉は人間の世界にとどまらない広がりを持っているのである。あらゆるインディアン文化の根底にある基本的な考え方は「この世界(自然界)にあるありとあらゆるすべてのものは全部がつながっている」というものである。世界認識の仕方で言うなら、エコロジーが一番近いのではないかと思う。

異なる部族の人たちなら「われわれは偉大ないのちの輪のなかでみんなつながっている」というかもしれない。ここでいう「われわれ」のなかには「人」も「植物」も「動物」も「鉱物」もすべてふくまれている。「鉱物にすらいのちがある」と彼らは見ている。そうでなければ誰が地球は生きているなどということが得心できるだろうか? 

世界を構成しているありとあらゆるものがどのようにつながりあっているかを学びなおし、そのつながりあっているいのちの輪がより壊れにくい、しっかりとしたものになるような生き方をしはじめるのに、遅すぎるということはない。いのちのつながりを学び、自分がいのちの輪の一部にいることを人間に気がつかせるためにもっとも重要で、かつ太古から伝わってきているのが「農」であるとわたしは信ずるものである。「農」とは自分が口にするものを自分の手で育てる行為をここでは言う。

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Sunday, April 11, 2004

リスに種を植えてもらう

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、「種を植えていたのは誰か」とタイトルをあらためてた加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, April 10, 2004

偉大なるいのちの輪の一部になる

ジェームス・マディソン博物館農業館」の「ネイテイブ・アメリカン」のセクションには、イギリス帝国から亀の島への入植がはじまってすぐのころの「ニューイングランド」の絵地図と、前述のネイテイブ・アメリカンの教えの言葉、遺跡から発掘されたかのような先住民の矢じり数個の写真、そしてネイテイブ・アメリカンのアメリカの農業への貢献を賛えるふたつの文書が掲載されている。そのひとつは昨日紹介したので、今日は「農業技術」のところを読んでみた。

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Friday, April 09, 2004

1492年以来テロと闘いつづける

terrorism1492.jpg

     こういうメッセージTシャツがあります。
  「ホームランド・セキュリティー(国土安全保障)
     「1492年以来テロリズムと闘いつづける」

     ちょっとしたユーモアなんだろうけどさ、
        不屈の精神がいいじゃない。
    アメリカの歴史を逆さまに見ている人たちの。

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地球はていねいに扱うべし

ネイティブ・アメリカンのことを狩猟採集の人たちと思いこんでいる人たちが多い。海の人たちや川の人たちや草原の人たちは、狩猟や漁撈に重点を置いていたことは間違いないが、それでもほとんどすべてで農耕がおこなわれていたという事実を知ってほしいと思う。われわれが口にする野菜や果物の多くがネイティブ・アメリカンの農耕に起源を持っている。ヨーロッパから逃げ出して亀の島であるアメリカ大陸にわたった人たちに農耕の技術を教えたのは他ならぬ東部森林地帯のインディアンたちだった。

アメリカがイギリスから独立したころの偉人にトーマス・ジェファーソンという人物がいる。彼は第三代目の合衆国大統領になった人物で、その彼が「世界でいちばん優れた農民」と評したのが、ジェームス・マディソン(James Madison)という人。たまたま別の機会に世界の農業の歴史を調べていて、この人物に興味を持っていたら「ジェームス・マディソン博物館」というのがあることがわかった。アメリカ開拓当時の暮らしを今に伝えるようなものが並べられているが、そこに「ジェームス・マディソン博物館農業館」というのがあり、そこのホームページの、アメリカの農業の歴史のはじまりは「ネイティブ・アメリカンの農業」とされている。そこを見ると初期の移民たちが先住民の農業に真剣に学ぼうとしていたことがわかる。

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Thursday, April 08, 2004

あなたがたの文明などいらない (対訳)

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事の翻訳の部分は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝
"We did not ask you white men to come here. The Great Spirit gave usthis country as a home. You had yours. We did not interfere with you. The Great Spirit gave us plenty of land to live on, and buffalo, deer, antelope and other game. But you have come here; you are taking my land from me; you are killing off our game, so it is hard for us to live. Now, you tell us to work for a living, but the Great Spirit did not make us to work, but to live by hunting. You white men can work if you want to. We do not interfere with you, and again you say, why do you not become civilized? We do not want your civilization! We would live as our fathers did, and their fathers before them." __ Chief Crazy Horse, Oglala

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Wednesday, April 07, 2004

毎日の祈り(対訳)

ビッグ・ロッジ・ポール ブラックフィート

「わが指導者たちに智恵と理解をおさずけください。わが戦士たちには、守護
 と無事の帰還とをおさずけください。若者には愛と充足感とをおさずけくだ
 さい。いつまでもかたわらにいてもらえるように、わが年寄りたちには健康
 と長命とをおさずけください。わが敵には、たとえこちらが負けたとしても、
 恥じ入ることのないような、勇気と力とをおさずけください。そしてわたし
 には、すべてのものに優しさを持てるような智恵をおさずけください。自分
 の祈りが無駄に終らないような日々を、どうぞこのわたしに一日一日おくら
 せてください」

▼英語バージョンは以下にあります。

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Tuesday, April 06, 2004

え、あの人も、ネイティブ・アメリカン!?

続・知ってましたか、ネイティブ・アメリカン
ネイティブ・アメリカンにまつわるおもしろい真実「人物編」

差別が厳しかったために実際20世紀前半までは公表していなかっただけで、かなり多くのアメリカ人とされる人たちのなかにネイティブ・アメリカンの「血」が流れていることを、知っていましたか? 

100パーセントがインディアンの人を、インディアンの人たちは「フル・ブラッド」と呼びます。で、混血するというのはどういうことかというと、いきなり次ぎの世代で半分になり2分の1、三世代目には4分の1、四世代目には8分の1、五世代目には16分の1、六世代目には32分の1、七世代目には64分の1というぐわいになります。

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Monday, April 05, 2004

知ってましたか、ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカンにまつわるおもしろい真実

○今、アメリカに暮らしている人の130人に1人がネイテイブ・アメリカンだってこと、知ってましたか?

○パラグアイ、ボリビア、ペルーは、スペイン語だけでなく、ネイティブの言語も、きちんと公用語にしているって、知ってましたか?

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Sunday, April 04, 2004

聖なるものが消えてゆく

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, April 03, 2004

少年と大きなおじいさんの岩(物語)

シャイアン一族につたわるお話

再話 北山耕平


  むかし むかし、あるところを、ひとりの おなかをすかせた
  かりうどの しょうねんが、えものを さがしながら、たびを
  つづけて いました。
  
  さいごに しょくじを してから、もう なんにちも、なにひ
  とつたべて いません。
  
  とにかく おなかが ぺこぺこです。
  
  しばらく あるくと、ちいさなやまが ありました。
  
  この やまに のぼれば、どこにえものが いるか、みわたす
   ことができるかも しれません。
  
  「ようし のぼろう。」
  
  
  やっと やまの いただきにたどりつきましたが、えものなん
  かどこにも みえません。ちょうじょうには おおきないわが、
  ひとつだけ ありました。
  

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Friday, April 02, 2004

ローリング・サンダー「平和」を語る (対訳)

PEACE STATEMENT BY ROLLING THUNDER


I have been working for PEACE all my life,
but not the sided peace like breaking treaties.
The kind of peace I'm looking for,
I have seen and will see in the future,
is armies without guns, riding horseback
because there will be no other transportation moving.
These armies will be bringing food and medicine to the people.
They will be saving what people they can,
mostly babies and old people --
because all the young people will be been wasted
and gone to war, young men and women both.
They were unable to get back to their homes in this country.


わたしは「平和」のために働くことに全生涯をついやしてきた。「平和のため」といっても、条約を破るというような「平和にそむくため」にではない。わたしが求めている「平和」、過去に見た覚えがあり、未来にも見るであろう「平和」とは、武器を持たない軍隊、他の移動手段が失われたために、馬で移動する銃なき軍隊といったものである。この部隊は、ひとびとのもとへ、食料や医薬品を運んでいる。彼らは、赤子と年寄りがほとんどを占めるひとびとを救おうとしている。なぜ、赤ん坊と老人しかいないのかというと、若者たちがみな、男子も、女子も、両方ともがいたずらに戦争に狩り出されてしまったからだ。若者たちはこの国の自分たちの家に帰ることができない。

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Thursday, April 01, 2004

ネイテイブ・ハートへの旅

『ネイテイブ・タイム補遺2004年版』をパブリッシュしました

*以下の草稿は『ネイティブ・タイム』という1000ページ近くあるおそろしく厚い単行本の刊行時(2001年)に、小生の友人が編集する「名前のない新聞」という月刊新聞に掲載されたものです。そのときアパッチというニックネームを持つその友人は「ある日この本が届いた時にはあまりの厚さに本とは思えなかった」と書いています。これは年代順に先住民の目で見直した日本列島の歴史を年表に書き直したもので、日々書き直したり書き加えたりして、小生のハードディスクのなかで毎年、今もさらにさらに成長を続けています。単行本刊行から3年が過ぎて、今回pdfで発行した『ネイテイブ・タイム補遺2001―2004年版』を、かねてよりの希望者にメールで配布したことをうけ、以前に書いて公開したままになっていたこの文章を、改行をふやすなど若干手を加えて、ここに今一度再掲載することにしました。

**なお地湧社刊行の『ネイティブ・タイム』(書籍版)の読者の方で、『ネイテイブ・タイム補遺2001―2004年版 pdf』をご希望のかたは、必ずサブジェクトを「ネイティブ・タイム補遺希望」としたメールをくだされば、無料でお送りします。小生にメールを出すときには左の欄プロフィールの下にある「メール送信」をクリックしてください。

(以下本文)

いまから20年近く前、ネイティブ・アメリカンのあるエルダー(長老)に「人間が自分の足で辿らなくてはならない、もっとも長く、かつ神聖な旅路は、おのれのマインドからハートに至る道だ。そのことを生涯忘れてはならない」と言われたことがあります。

「マインドからハートに至る長い道」という言葉がその時以来わたしの頭に焼きついています。英語の「マインド」について、例えば研究社の英語中辞典は「身体と区別して,思考・意思などの働きをする心,精神」と解説していますが、C+Fの創設者で、日本のニューエイジのゴッドファーザー的存在の吉福伸逸氏(現在はハワイ島に在住)に、かつて筆者は、

「ねえ、北山君、マインドという言葉は〈頭〉と翻訳した方がいい場合が多いのだよ」

と教えられたことがあり、目からうろこを落とした体験があります。

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