Tuesday, July 22, 2008

わたしにつながるすべてのものたちよ!

「昔、あらゆるいのちあるものたちが人間の言葉を話し、人間たちもその言葉を理解したはるかな昔のこと・・・」そんなはじまり方をする昔話が北米大陸の先住民や、世界中のネイティブ・ピープルの間には伝えられている。われわれの知っている民話などにも動物たちが人間の言葉を話す物語がたくさんある。

動物だけでなく、植物や鉱物たちまでもが、ありとあらゆるいのちが人間の言葉を話していた時代とは、いったいどんなものだったのだろうか? これは想像するとかなり楽しい世界のようにも思える。しかし、誤解をおそれずに言うのなら、動物たちも、植物たちも、石たちですら、今なお人間の言葉を話せるのであり、問題があるとすれば、ほとんどの人間が昔の言葉を喪失し、そうしたものたちの発する言葉の聞き方を忘れてしまっていることの方にある。

われわれが子供のころから学ばされている西洋近代文明は、常に人間以外のいのちあるものと人間とを区別し、その間に線を引くことを教え続けてきた。人間と動物、人間と植物、人間と鉱物。人間以外のいのちあるものたちと人間の間の違いは、その用語にも端的に表現されている。人間だけが特別なのである。西洋の文明はなによりもまずその違いを明確にするところからはじまるからだ。

ところが、南北アメリカ大陸に暮らすネイティブ・ピープルの世界においては、その違いはそれほどはっきりとはしていない。自分と自分以外のいのちあるものたちとのあいだに、彼らは明確な線を引くことがない。このように、ほかのいのちあるものと自分とのあいだに線を引かないと言うことが、自分を浄化するさまざまな儀式などに参加するときに、「わたしにつながるすべてのいのちたちへ」「わたしにつながるすべてのものたちへ」「オール・マイ・リレーションズ」「ミタクェ・オヤシン」という挨拶の言葉を送ることとつながってくる。

Imagename

ぼくが学び続けているアメリカ・インディアンのストーリーテリングにおいては、しばしばすべての登場するいのちが「ヒト」として人間の言葉を話す理由もそこにある。4本足のヒト、羽根を持つヒト、根を生やしたヒト、水のなかを泳ぐヒト、地を這うヒト。アニマル・ピープル、バード・ピープル、プラント・ピープル、フィッシュ・ピープル、スネーク・ピープル、ストーン・ピープル。ネイティブの人たちの耳には、そうした人たちが自分たちが話していた昔の言葉を話しているように聞こえているのである。

アメリカ・インディアンの多くの部族の言語には「動物」を表す言葉がないという。今から70年ぐらい前、ジェイム・デ・アングロという言語学者で物語の研究家が、北カリフォルニアのピットリバー・インディアン(現在では彼らの言葉で「Achumawi[アチュマウィ]と呼ばれる)の人たちと共に暮らしながら、彼らの言葉と、その言葉で表現される物語世界を学んでいたことがある。彼が一族の人たちに「動物」についてたずねたところ、ピットリバー・インディアンの人たちの言葉には「動物」を表す言葉がないことを教えられたという記述を読んだことがある。ピットリバー・インディアンの物語世界においては、人間と動物が渾然一体としていてそのいのちの間に一切の線が引かれていなかったのである。ただ、強いてあげるならば、「この世界に存在するすべてのいのちあるもの」を意味する「qaade-u'ade toolol aakaadzi(クァアデ・ウアデ・トゥーロル・アーカズィ)」という言葉が「動物」もしくは「生きもの」のことを言い表しているらしいと言うことであった。そしてその「この世界に存在するいのちあるすべてのもの」のなかには、「人間」も「石(鉱物)」も「植物」も当然ながら含まれており、ピットリバー・インディアンの人たちは「いのちのあるすべてのもの」とのつながりを大切にしていたという。アングロは、ピットリバー・インディアンの友人の言葉として、貴重な言葉を書きとめているので紹介しておく。

ありとあらゆるものにいのちは宿っている。木々にはいのちがある。岩にもいのちがある。山にも、水にも、そうしたものにはいのちがみなぎっている。あなたは岩のことを死んでいるものだと思っているだろうが、それはまったくちがう。岩は少しも死んではいない。それにはいのちが満ちあふれている。わたしはあなたに会いにここに来る道すがら、まわりにあるありとあらゆるものたちと話をし機嫌をうかがいながらきたし、わたしはそうしたすべてのものたちのために煙を送る。そうすることであらゆるものたちと友だちになるためだ。夜の闇の中でそっとわたしをうかがっているものたちがたくさんいることが自分にはわかっている。彼らは彼ら同士でなにごとかを語りあっているのだ。石たちは石たちで、わたしたちのように互いに話しあっている。木と木も、山と山も、互いに話しあっている。注意深く耳を傾けてみれば、その話し声が聞こえることもある。とくに夜、表にいるときになど、話が聞こえてくる。わたしはだから彼らのことを忘れたりはしない。わたしは彼らの世話をするし、彼らもまたわれわれの世話をしてくれる。

ピットリバーの人たちが、いわゆるヨーロッパ人(白人)のことを指して言うときに「inallaaduwi」という言葉を使うが、この「イナルラドウィ」という言葉は「大地から切り離されている」「根無し草」の意味であるという。それは「ほかのいかなるいのちともつながりのない存在」「ほかのいのちの存在を信ずることなく勝手に死んでいる存在」のことだ。そしてその言葉の意味するものの世界[勝手に死んでいる存在の世界]のなかを、ほかならぬ現代のぼくたちも暮らしている。

そろそろ、すべてのいのちあるものたちが人間の言葉を話していた時代に帰る道を探すときではないだろうか?

わたしにつながるすべてのものたちよ!

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Monday, July 21, 2008

ミタクェ・オヤシン

Turtle soup

ラコタの人たちはスウェットロッジなどさまざまな儀式が終わるときに、伝統的に「わたしにつながるものたちよ」という言葉を口々にとなえる。英語では「オール・マイ・リレーションズ」といい、ラコタ語では「ミタクェ・オヤシン」という。

1年前のクリスマスの時、あるラコタの年寄りが息子や娘や孫たちから電子レンジを一台贈られた。しかしその冬のあいだじゅう、爺さまはけしてそのレンジを使おうとはしなかった。年が明けて、少し寒さが緩んでくると、爺さまは亀のスープが飲みたくてたまらなくなったのだが、しかし捕まえた亀を殺してきれいにさばいたりするのを考えるだけで食欲も萎えた。

あるよく晴れた朝、表に散歩に出た爺さまは一匹の亀を見つけ、その亀を家に持ち帰った。

「うーん、亀のスープか、たまらんなぁ」と爺さまは独りごちた。「しかし、殺してさばくとなると、こりゃあ大ごとだ、どうしたものか・・」

そのとき爺さまの目があの電子レンジをとらえた。「そうだ!」爺さまの頭にひらめいたことがあった。爺さまは捕まえてきた亀を持ちあげるとそのまま電子レンジのなかにほうりこみ、タイマーを1時間にセットしてスイッチを押した。

25分に一度、爺さまはレンジの扉を少し開けてなかの亀の焼け具合を確認した。かっきり1時間たって、チンと音がしてレンジがとまった。「どれ、できたかな」と爺さまがレンジに近づいて、その扉を開きかけたとき、なかから亀がのっそりと現れ出て、こうつぶやいた。

「ミタクェ・オヤシン」「ミタクェ・オヤシン!」


Native jokesインディアンは笑う』北山耕平編・構成。(おそらく)世界で初めてのネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクションの本。笑うことで世界をひっくり返す書。笑いの百連発! 当ブログから生まれた本。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。好評発売中

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寝ぼけた女子中学生がキックでヒグマを撃退したというニュース

女子中学生、テント押すヒグマ撃退 知床、妹と思い蹴る

20日午前4時ごろ、北海道羅臼町にある羅臼温泉野営場にヒグマが現れ、北見市の女子中学生(12)らが寝ていたテントを襲った。ヒグマはテントを外から押し続け、中学生が内側からキックで応戦すると、ささやぶに逃げたという。テントは約50センチ裂けたが、中学生にけがはなかった。

同町などによると、家族5人でキャンプに来た中学生は寝ぼけていて、テントを押すヒグマを妹(10)のいたずらと勘違い。手で押し返していたが、あまりにしつこいのでキックしたという。そばにいた母(40)の目には、テントのシートの向こうにヒグマの影が見えていたという。

当時はテント二十数張りに約50人がおり、目撃者もいた。体重70キロ前後の若いヒグマとみられる。最初はシカの親子を追っていたが、においをかぐようなしぐさでテントに近づいたという。若いと人間の怖さを知らず、対処を誤れば非常に危険。町職員は「ヒグマだと思って大騒ぎしていれば危ないところだった」と話した。(神村正史)

「ヒグマが女子中学生(12)らが寝ていたテントを襲った」とあるが、記事を読むかぎり「襲った」という表現は言い過ぎではないだろうか。襲われたのはヒグマの方だし。ともあれ、クマたちの国(テリトリー)のなかのキャンプにおいては、一切の食料や匂いを出すものをテントに持ち込んで野営してはならないということを、人間にたいしてもっと徹底しなくては。新聞もそういうことも書いてくれよな。彼らのテリトリーに侵入しているのは人間たちなんだから、クマたちと人との共存のためにも、最低のエチケットとして。

Source : 女子中学生、テント押すヒグマ撃退 知床、妹と思い蹴る(asahi.com ニュース 朝日新聞社 2008年7月21日3時0分)

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Hawai'i Book of Days 7/21- 7/27

Hawai'i Book of Days
© 1991, 2002 by Debra F. Sanders
( Japanese translation by Kohei Kitayama)


イウネ/ジューン
水無月(みなつき)/カ・アオナ

七月はオヒアの赤い果実がようやく熟れはじめる月。


21日

なにかをひとつ学ぶごとに
ほんの少しだけ背の
高くなる自分がいる。

22日

手の届かぬ勝利など
ありえない。

23日

もしあなたが
新しい一日を存分に見定めたいのなら
夜明けとともに起きなさい

24日

神々の寡黙(かもく)な番人として
目を光らせる山々。

25日

魔法がとどまり続けているのは
この場所。

26日

驚きにみちた世界へは
子どもたちに
導いてもらおう。

27日

笑いはいのちの贈り物。


日々是布哇著者デブラ・サンダースさんの許可を得て、『日々是布哇(ひびこれハワイ)』(太田出版刊)から一週間分ずつ本文のみを掲載しています。原則として毎週月曜日に入れ替わり、過去記事としては残らず、コメントやトラックバックもつけられません。単行本について知りたいとき、コメントなどをつけたいときは「ハワイィはどこにあるのだろう?」の記事まで。まとめてお読みになりたいとき、全部をそばに置いておきたいときには、『日々是布哇』(太田出版刊)をご購入ください。左側の本の表紙をクリックするとアマゾンに飛びます。どこにでも持ち運べる単行本では長崎訓子(Kuniko Nagasaki)さんの素敵な日替わりイラストが日々楽しめます。ブログ版「日々是布哇」次回は7月28日(月曜日)に更新されます。

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Saturday, July 19, 2008

アイヌ文化の歴史を探る上で極めて貴重なお墓から

【厚真】アイヌの実力者か 副葬品に刀8本

厚真町幌内のオニキシベ2遺跡で、400—500年前のアイヌ文化期の墓から、日本刀を含め刀8本が出土した。町教委は「一つの墓からこれだけの刀が見つかるのは異例。とても裕福だったのでしょう」といい、銀と銅の円盤をあしらった矢筒の装飾も同じ墓から見つかり、「(矢筒は)道内でも最古のもの。アイヌ文化の歴史を探る上で極めて貴重」としている。

imagename遺跡調査は厚幌ダム建設事業の一つ。1370平方メートルを調査し、遺物は1万4000点にも及ぶ。5月にアイヌ文化期の墓4つが見つかり、うち3号墓から副葬品が集中して見つかった。地層は1667年よりも古い。

刀8本納められており、内訳は日本刀1本、小刀2本、蝦夷太刀2本、ナイフ3本。町教委の乾哲也学芸員は「道内でアイヌ文化期のお墓は400カ所以上見つかっているが、刀は多くても3、4本」という。交易で手に入れたらしい。「裕福で力のある方のお墓だったことがうかがえる」と町教委。

矢筒は、一回り大きな円盤を中心に整然と並ぶ「九曜文(図版)」で構成し、木材部分は漆でコーティングされていた。このほか鉄製の鍋も同じ墓から見つかった。

町教委は「貴重な資料」とし、保存処理のため岩手県立博物館へ出土品を送った。

疑問点 こういうお墓の発掘にアイヌの人たちを立ちあわせていないのだろうか? アイヌの人たちは当然の権利として一族の祖先の墓を発掘するのに立ちあう権利があると思うのですが。あるいは発掘そのものに反対する権利とか。彼らの土地でおこなわれていることだから。

Source : 【厚真】アイヌの実力者か 副葬品に刀8本(苫小牧民報2008年7月18日)

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今日われわれはここであなたのお慈悲を求めています

Longest Walk 2008
photo by Nobutoshi Mizushima


偉大なる曾祖父よ、
今日、わたしはあなたの前に立っています。
もしわたしが弱ければ
どうかお許しください。
今日われわれはあなたのお慈悲を求めています。

偉大なる曾祖父よ、
あなたはおつくりになりました。
赤い人間を、黄色い人間を、
黒い人間を、そして白い人間を。

そしてそれぞれの人間たちに、
なすべきことと目的とを授けられました。

今日赤い人間として、われわれは、
黄色い人たち、黒い人たち、
白い人たちの前に立って祈ります。

偉大なる曾祖父よ、
その人たちがわれわれの目的を理解するように、
あなたがそれぞれの人たちのハートに直接触れられんことを。

ザ・ロンゲスト・ウォーク2の最終目的地ワシントンDCで
出された宣言の冒頭に掲げられた祈りの言葉の部分訳

*写真はニューヨーク在住の写真家水島伸敏氏が12日、13日にワシントンDCでひらかれたザ・ロンゲスト・ウォーク2の終了を告げるパウワウ(祝祭会)で撮影したもの。

8,000-Mile Walk for Native American Rights, Environmental Protection, and to Stop Global Warming Reaches Destination in DC

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Friday, July 18, 2008

ショップ・ネイティブ・ハートに来年のカレンダーの部屋を設置しました

shop NATIVE HEART 2009 calenderAmazon.co.jp のなかで開いている「shop NATIVE HEART」に来年のカレンダーのセレクションのページをつくった。たくさんあるカレンダーの中から、ネイティブ系、自然系、スビリット系のものを基本的に集めたが、なかには個人的な趣味のものも入っている。:-)

自分がほしいと思う翌年のカレンダーは、とくにネイティブ・アメリカンを扱ったカレンダーは、アマゾンでは毎年たいてい11月頃までには売り切れてしまうので、後で後悔しないように早めに手を伸ばしておいてください。またカレンダー以外にも、音楽や絵本や写真集、部族的な暮らし、非電化、お薦めの本などのページもときどき更新されていますので、そちらものぞいてみてください。

なおショップ・ネイティブ・ハートの売り上げは、当方のアフリエイトに反映され、このブログの管理維持費の一部になります。ご協力を感謝します。

next shop NATIVE HEART 2009 Calendar Section

next shop NATIVE HEART powered by Amazon

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この夏の「映画・ホピの予言」上映会のおしらせ

「現代は自然とひとつになる道と、物質文明を追いかける道の別れ目だ。私たちは平和へと続く道を歩かねばならない。」
—— ホピ族長老の言葉より

* 以下のインフォメーションはランド・アンド・ライフのブログ「ランド・アンド・ライフからの風」から部分転載したものです。

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『ホピの予言2004年版』上映会
アースブックス in 千葉

日時 2008年7月27日(日)28日(月)

   27日13:00~、 16:00~、 19:00~、 3回上映
   28日11:00~、 17:00~、 2回上映  
    
  ・開場は毎回30分前
  ・毎回定員20名ほど 満員になり次第締め切ります。   

場所 アースブックス Tel 043・204・1177
   千葉市美浜区高浜1-10-1

http://www.earth-market-place.co.jp/earth_books/earth_books.htm

参加費 大人500円(中学生以下無料)

お問い合わせ  080・5056・3623 坂井まで

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『ホピの予言2004年版』上映 in 加古川・兵庫
辰巳玲子トーク + 「ヘルマンハープ」ミニライブ

 2008.8.1(金) 

場所 : Cafe 花茶茶花 (カチャチャカ)
     加古郡播磨町南大中3-2-11
     Tel 079-437-7774

時間 : 1部  10:30~13:00
     2部  14:30~17:00
     3部  20:00~22:30
         開場はいづれも30分前

参加費 : 1,700円 (ドリンク&スコーン付き)
      ペアチケット 3,000円 (大人1名+高校生までのお子様)

申し込み : (1)氏名 (2)メールアドレス (3)電話番号
       (4)人数 (5)参加希望の時間
 以上を明記の上、メールかFAXで 7月27日 までにお申し込みください。
       Mail : nra37623@nifty.com
       Fax : 079-427-7812

お問い合わせ : わこころ 070・6684・3173

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●映画『ホピの予言2004年版』
北アメリカ大陸最古の民族といわれるホピ族から世界へ呼びかける平和のメッセージ。
 ランド・アンド・ライフ2004年制作100分
 本編 『ホピの予言』監督:宮田雪 1986年75分
 補遺版 『浄化の時代を迎えて~ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く~』撮影・構成:辰巳玲子 2004年25分

●辰巳玲子 『ホピの予言2004年版』を製作し、アメリカインディアン・ホピ族のメッセージを伝える「ランド・アンド・ライフ」の活動している。

 http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/

☆「ヘルマンハーブ」ミニライブ
ダウン症を背負ってこの世に生まれた息子のために、ヘルマン・フェー氏が生み出したバリアフリー楽器。この楽器は今、ヨーロッパなどで障害者のみならず、高齢者・子供・健常者へと広がり、まさに音楽のバリアフリーの世界を実現させている。演奏:渡辺幸子(日本へルマンハーブ協会講師)・渡辺楽・花田葵

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Monday, July 14, 2008

ニッポンを笑おう

kiss my ass日本国がアイヌの人たちから奪い取った大地でおこなわれたサミットが終わった。自分勝手なお祭り騒ぎに、日本の自民党政権が、アメリカ・インディアンの世界でいわれる「部族会議」「部族議会」であることをあらためて確認させられて、なんだかなーの思いに囚われた。今回のサミットをきっかけに、地球温暖化やエコの問題がいつの間にか気がつけば「原子力発電所のセールストーク」に使われるようになったことを、覚えておこう。化石燃料の使用を減少させるライフスタイルに人間の生き方の舵を切るべき時がきているのに、「太陽熱、風力、原子力」の3つを同じように「クリーン」なエネルギーとして宣伝するなんて、とても姑息なやり方であるし、悪い冗談としか思えない。結局アル・ゴアの宣伝した「不都合な真実」は地球規模の原子力発電所の拡散に道を拓いたようだ。日本国が、自民党部族会議が支配する一種の巧妙な奴隷国家であることを改めて確認したサミットの終わった夜、「ネットゲリラ」というサイトに「アメリカ様が大変だ!」という記事が掲載され、そこに名無しの読者による書き込みで、久々に笑えるジョークを読んだ。このジョークは、小生がコレクションしている「インディアン・ジョーク」と通底する精神を伝えているので、ここに収集しておく。こういうジョークがもっと出てくるといいなあ。では笑ってください。なお「空を見あげよ!」というタイトルは小生がつけたもの。


空を見あげよ!

普通なら上を見れば空が見える。

日本で空を見上げると、アメリカ様のケツが見える。
日本政府は国民にアメリカのケツを舐めろという。

暫くは国民は黙ってアメリカ様のケツを舐めていたが、
そのうちアメリカ様のケツから糞が降って来た。

国民は汚れて困り果てた。

そして日本政府が国民に言った。

「アメリカ様のケツが糞で汚れている!一致団結してアメリカ様のケツから糞を舐め取ろう!!」

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Saturday, July 12, 2008

南北アメリカで最古、5500年前の建造物が出てきた

古代アンデス文明に光、5500年前の円形広場跡…ペルー

【リオデジャネイロ=小寺以作】ドイツとペルーの考古学チームは11日、ペルー中部にある古代アンデス文明のセチン・バホ遺跡で、約5500年前の紀元前3500年ごろ造られた円形広場の跡を発見したと発表した。

米州大陸最古の人工建造物となる。スペイン国営EFE通信が報じた。

古代アンデス文明は、ペルーを中心に祭祀(さいし)を行う共同体として発展。紀元前3000〜2500年ごろには文明が形成され始めたとされるが、正確な起源はわかっておらず、同チームは今回の発見が、文明の起源を解明する上で極めて重要としている。

ペルー文化庁などによると、広場は直径10〜12メートルで、社交の場だった可能性がある。紀元前2100〜1600年に建造された建物の下から見つかった。(2008年7月12日21時23分 読売新聞)

Source :  古代アンデス文明に光、5500年前の円形広場跡…ペルー

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6000年前の石の笛が貝塚から出土したと共同通信が伝えている

縄文時代の貝塚から石笛 熊本県宇土市、西日本で初

stonewhistle

縄文時代前期の轟貝塚(熊本県宇土市)から人が加工したとみられる石笛が見つかったことが12日、同市教育委員会の調べで分かった。縄文時代のものは全国でも数例しか確認されておらず、西日本では初めて。日本の音楽史の上でも貴重な発見で、当時の風習を知る手掛かりにもなるという。

石笛は黒色石灰岩で、長さ6センチ、幅2・9センチ、厚さ1・6センチ、重さ44グラム。人が研磨したとみられ、平たい長方形状で内側がくりぬかれている。

上面中央部の穴から息を吹き込むと甲高い音が鳴る。両端の穴を親指と人さし指で押さえて使ったとみられる。

宇土市教育委員会は「神聖な儀式で使用された可能性があり、神楽や能にも通じるものがある」としている。これまでは東北地方を中心に発見されている。

轟貝塚は約6000年前に形成され、轟式土器や貝の腕輪など約2万点が出土している。

2008/07/12 17:06 【共同通信】

Source :  縄文時代の貝塚から石笛 熊本県宇土市、西日本で初

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ネイティブ・アメリカンになにを求めているのか? ネイティブ・アメリカンはなにを求めているのか?

Last Modified Monday, July 14, 2008


End of Trailネイティブ・アメリカンに関心を持つ人が世界的に増えてきていることは間違いないのだが、その関心の向かう先がどこにあり、なにを目的にしているのか、とても見えにくくなってきている。町を歩くと、インディアン・グッズを扱う店も良く目にするようになったし、ネイティブ・アメリカンをテーマにした書籍の数も増加してきていることがわかるし、スウェットなどのインディアンの儀式を自己啓発のツールとして使ったり、ネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティーをエゴトリップに利用するビジネスはあいかわらず盛んなようだ。

つい先日も、土屋アンナ(24)という女性タレントが、ネイティブ・アメリカンに関係してNHKとトラブルを起こしていたと、「週刊現代」が報じた。それによれば、アンナさんはNHK・ハイビジョンで放送された「宿坊ココロとカラダ満ツル旅」という精神世界を扱うドキュメンタリー番組(昨年7月放送)に出演して好評を博し、第2弾をネイティブ・アメリカンでという運びになったらしい。以下、内部関係者の言葉を引用する。

「今度は舞台をアメリカに移し、ネイティブ・アメリカンと触れ合いながら彼女が神秘体験をするという企画がうまれ、スタッフとともにロケに行ったんです。ところが、ロケ中にディレクターが出した指示が気にくわなかったのか、アンナさんがそのディレクターに一発食らわせてしまった。しかも、そのパンチが目に入ったようで、撮影はすぐに中止され、ディレクターは病院に直行するハメになったんです」
「ネイティブ・アメリカンと触れ合いながらの神秘体験」などという台詞は、まさしくネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティをビジネスにする人たちが好んで使う表現であり、そのような企画を立てるメディアのあり方そのものを疑わざるをえないものではある。幸いアンナさんに殴られたそのディレクターの怪我の程度は軽いものだったようだが、撮影はそのまま中止となり、一行は日本へと帰国したという。その後のNHKと土屋サイドのトラブルについて、同記事のなかで別のNHKスタッフは語っている。
「結局番組はお蔵入りになり、アンナさん側にはギャラも支払われなかった。NHKとの仕事がしばらくできない、いわば“出入り禁止”状態になったという話もあります。この番組はドキュメンタリーだったので、トラブルの最中もカメラは回っており、事件の一部始終を収めた映像はいまも残っているそうです」

いったいネイティブ・アメリカンの大地でどんな騒動があったのか、この記事からは見えてこない。なんとなくわかるのは、ロケ中にディレクターが、「出してはいけない指示を出した」ということぐらいのもの。指示の中身は想像できるが、想像の域を出ないので省く。

昔も今もぼくのところにときどき、ネイティブ・アメリカンの取材をしたいのだがと日本のテレビ局やテレビ番組の製作会社の人から連絡が来ることがある。ぼくはそういうとき遠回しにであれ、あなた方が望むような番組を撮影することはおそらく出来ないと伝えてきた。

四年間ほど通って気心が知れてからならまだしも、なにも友好的な関係を作りあげていないインディアンの人たちのところにいきなり撮影機材を持ち込むなんて、リスペクトを第一義に考える人たちにとっては、およそ考えられないことだからだ。しかも「ネイティブ・アメリカンと触れ合いながら(テレビで)神秘体験」となると、さらに困り果ててしまう。神秘体験なんていうものは、超個人的な神聖な体験であり、マスメディアでおもしろおかしく見せるエンタテインメントではないのだから。常識ある人であればまずそんなことは考えたりはしないものだが、考えられないことをするのが、しかしえてして自分勝手なメディア関係の人間だということも、ぼくはよく知る人間である。

この人たちがどのインディアンの国に取材に訪れたのかなどということすら、記事からはうかがい知ることができない。アメリカ・インディアンとされる人たちが今どのような状況にあるのかなどということは、日本のメディアの人間にはどうでもいいように思われているようだ。おりしも、昨日はロンゲスト・ウォーク2が3600マイルもを歩き通し、道中で3800袋もにのぼったゴミを拾い集めつつ、サンフランシスコからワシントンDCに到達した日であった。このウォークに参加したネイティブやノン・ネイティブの人たちがアメリカ大陸を太平洋から大西洋まで歩くことでなにを世界に問いかけたのかについては、かなりの数の「日本人」が自発的に参加したにもかかわらず日本のメディアからはまったくと言っていいほど無視された。

たいていの日本の人たちがアメリカ・インディアンと聞いて頭に思い描く平原インディアンのスー族、正しくはラコタ、ナコタ、ダコタの人たちの居留地で、今子どもたちが大量に自殺していっているという現実を世界に訴えかける一族のチーフの言葉が、これも一昨日友人から送られてきた。なんとか全文をここに訪れる人たちに伝えるべく、翻訳をしてつぎの記事「ラコタの精神的指導者で長であるデイビッド・スワローがリザベーションにおける危機的状況を語る」として立てておいた。ぜひその声をハートで聞いていただきたいと思う。

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ラコタの精神的指導者で長であるデイビッド・スワローがリザベーションにおける危機的状況を語る

われわれの子どもたちは死につつある

デイビッド・スワロー
ラコタ・精神的指導者そしてラコタ国ヘッドマン

編集発行 ステファニー・M・シュワーツ
ネイティブ・アメリカン・ジャーナリスト協会(NAJA)会員
Text and Photo © July 09, 2008 Porcupine, South Dakota


David_Swallow
デイビッド・スワロー
われわれの子どもたちが死につつある。われわれラコタのリザベーションの中では、記録的な数のわれわれの子どもたちが、自らいのちを絶っていっている。悲しみにうちひしがれ、混乱と絶望のなか、子どもたちは自殺だけが唯一の答だと理解している。

多くの研究が子どもたちの抱えるそうした絶望は、連邦政府による過去の対インディアン政策がもたらした、何世代にもおよぶ大量虐殺の結果であると指摘する。だが現在とられている政策もまた、まさるとも劣らないほどのダメージをインディアンに与えつつあるのである。それらの政策は結果的に「同化かもしくは死を」というシステムを作り出しており、これは大量虐殺がかたちを変えたものに過ぎない。

わたしは人種差別主義者ではない。この話も、憎悪や人種差別についてのものではない。ラコタではない人たちの中にも、良い人たちはたくさんいる。だが、今の政府および文化の本流によってもたらされるダメージと、なんでも買えてしまう万能のお金が、ラコタ、ダコタ、そしてナコタの国々の子どもたちを殺していっている。主流の文化から解決策を探すことは、つまるところさらなる混乱をもたらすのみであり、さらに多くの人たちの虐殺と、われわれの文化と一族のものたちのさらなる破壊に、つながるだけである。

われわれの子どもたちは助けを必要としている。それは間違いない。だが必要なのはそれだけではない。子どもたちには仕事が必要だ。子どもたちは働く必要がある。そして自分たちは生き残れるのだとする希望を持つ必要がある。ほんとうの市民のように扱われ、誰もが自分のなりたいものになれる自由を必要としている。

現行のプログラムは機能していない。われわれのリザベーションでは酒類の持ち込みが禁止されているが、われわれ住民の60パーセントから70パーセントが、にもかかわらずアルコール中毒やドラッグ中毒の影響下にある。わずかではあるけれど、非営利の団体の中にも、われわれのリザベーションにおいて良い仕事をしてくれている組織はある。彼らはなんとか力になろうとしてくれてはいる。だが、われわれの名前を使って金儲けだけをもくろむ、さらにたくさんのグルーブが存在するのだ。その人たちにとっては、われわれは商品に過ぎない。その連中はわれわれを使って、われわれの子どもたちが苦しんでいるまさにそのときにも、さらにもっと、自分たちの利益のためにたくさん金を稼ごうとしている。部族会議や政府がおこなおうとしているプログラムのいくつかもまた、同じようなものだ。お金はけして人々のところには届かない。そうしたお金は誰も助けることにはならない。

われわれの子どもたちはいま混乱と混沌の世界に暮らしている。われわれは自分たち自らの文化の内側でわれわれ自身が与えうるあらゆる助けを必要としている。ラコタの文化に無知な暴力集団やカルトやプログラムでは答にもならない。ラコタの子どもたちは、自分たちがラコタであることを知ってはいるが、知っているからといってどうなるものでもなく、役に立つのはその自らのアイデンティティーを破壊するときだけである。連中はわれわれの子どもたちを洗脳し、自分たちを尊敬し理解させるよりは、同化させようと仕向ける。子どもたちは主流のものとされる偽りの考え方や価値によって汚染される結果、さらに自暴自棄の度合いを深めることになる。

われわれにはわれわれの病を治療することができる。われわれはわれわれの病を治療する必要がある。

祖父の時代にも、自殺はあった。だがそれも今日ほどではない。今では、自殺はどこにでもある。われわれの子どもたちが、孫たちが、姪っ子や、甥っ子たちが、われわれに泣きながらいのちを助けてほしいと言っている。しかしその子どもたちは、われわれの助けもないままに死んでいくのだ。

伝統的な精神生活があればそれなりに効果をもたらすこともできたかもしれない。だが文明化した世界とキリスト教によってわれわれの手は縛りあげられている。われわれの一族のメディスンマンやメディスンウーマン、精神的指導者たちはすでになんの役にも立たない。もはや誰も相談にすら来ることがなくなっている。

けれども、伝統的な精神生活がもはやまったく無力なわけではない。

伝統的なスウェットロッジの儀式なら、そうした、社会によって傷つけられた子どもたちの頭のなかを浄化するぐらいの力にはなるかもしれない。その人間の内側に留まるスピリットの目を覚ますこともできる。頭と、体と、スピリットとに癒しをもたらして、家族をまるごと癒す力にもなれるかもしれない。しかしそのためには、その儀式はリアルなもの(ほんもの)でなくてはならない。いくつかの素敵な言葉が交わされるサウナなどではなく、正当な、伝統的精神指導者によって導かれる儀式でなくてはならない。

食べるものを伝統的なやり方で調理することを学ぶだけでも子どもたちを救えるかもしれない。良きやり方で準備された食事が良き家族を育てることを理解するのは重要なことである。怒りや憎しみと共に調理された食べ物は、結果的に病気をもたらすものであることを彼らは知らなくてはならない。

そうした子どもたちに癒しと希望をもたらすのに効果的な伝統的な方法はほかにもたくさんある。そうしたものなら彼らに、アイデンティティーを回復させ、人生の道をたださせることもできる。いかにすれば良き暮らしをおくれるか、良き道のうえを進んでいけるかを、子どもたちに教えることもできる。子どもたちにどちらに進めばよいのかその方角を示し、理解を与えることができる。

しかしそのためにはまず、われわれは、われわれの仲間内の争いに終止符をうたねばならない。解決方法を求めて本流とされる文化の中を探し回るのを止める必要がある。治療をしてくれる部外者を捜すのを止めなくてはならない。われわれがすべきなのは、われわれの祖先たちの道を眺めて、そこに導きを見つけることだ。われわれラコタ、ダコタ、ナコタのものたちは自分たち自身の孫たちのいのちを救うのに力を発揮しなくてはならない。

わたしはここで金銭を要求しているのではない。われわれの自由にさせよといっているだけで、ほかには政府やBIAになにかをしてもらおうつもりもない。われわれの自由にさせてくれるだけでいい。どうかわれわれに本流の生き方を無理強いしないでいただきたい。同化を強制するのを止めてもらいたい。われわれが自分たちの生き方で生きられるように、そしてわれわれが自分たちとわれわれの子どもたちや孫たちを癒せるように、好きにさせてほしい。

ホ・ヘ・チェトゥ・イェロ。 わたしはこれらの言葉を口にした。

デイビッド・スワロー、ウォウイタン ユハ マニ
サウスダコタ州ポーカパイン、パインリッジ居留地


*著者とソースをあきらかにしたうえで、いっさいの手を加えないかぎり、利益を求めることなく、教育のため、ニュースのため、あるいは資料とするための目的で本記事の複製、再利用、または再配信を認めるものである。

Source :  Our Children Are Dying

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Wednesday, July 09, 2008

ローリング・サンダーが感謝を捧げるときに口にしていたシンプルな祈りの言葉


To the East where the Sun rises.
To the North where the cold comes from.
To the South where the light comes from.
To the West where the Sun sets.
To the Father Sun.
To the Mother Earth.


--- Rolling Thunder


たいようの のぼる ひがしへ
さむさの やってくる きたへ
ひかりの やってくる みなみへ
たいようの しずむ にしへ
ちちなる たいようへ
ははなる ちきゅうへ


—— ローリング・サンダー


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Tuesday, July 08, 2008

なに、ノース・アメリカン・コンチネントだって? そんなものはないのだよ

North America?大統領が頂点に君臨するアメリカ合衆国の子どもたちは、学校で「北米大陸」があると教わる。その場合の北米大陸は、「北」からはじまるのである。北は地図上では常に上部に当たる。この上の部分はかつては氷でわけられていて、アジアやヨーロッパと向かいあっていたのだが、北極の氷が融けはじめて、ここのところ上の境界もはっきりしなくなってきた。地図の上でカナダと呼ばれるグレイに塗り分けられたエリアを抜けると、そこにいきなり、活気にあふれ、さまざまに色分けされた50の州が出現する。そして南のリオグランデ川を越えた途端に、また色が褪せはじめる。だから合衆国の子どもたちは両親によく「北米大陸の南の境界はどこなの?」とたずねるらしい。両親も南の境界がどこかわかっていないから、たいていは肩をすぼめるだけだという。

一方、メキシコでは子どもたちは学校で、北アメリカと南アメリカはひとつの大陸だと教わるのだという話を聞いた。メキシコの子どもたちの頭のなかではアメリカとは南北アメリカ大陸をあわせたひとつのつながりとして認識されているのだと。彼らにとってはだから「アメリカ人」という言葉は意味をなさない。南北アメリカに暮らすすべての人が「アメリカ人」なのである。ボリビア人も、チリ人も、ペルー人も、ブラジル人も、ベネズエラ人も、エルサルバドル人も、グアテマラ人も、コスタリカ人も、エクアドル人も、その他すべてのラテンアメリカの国々の人たちも、それぞれの土地に暮らす先住民たちも、そして当然ながら合衆国の人たちも、みんなアメリカ人なのである。

ぼくはメキシコのノリが好きだなあ。

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Monday, July 07, 2008

ハワイの自然がもたらす魔法・アロハの体験



Messages of Aloha

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日本のイネ・ジャポニカの故郷は遺伝子によればはるか南方の島々に

日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明

日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員らが、もみの大きさを決める遺伝子の変異を手がかりに突き止め、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表する。

もみの幅が広くて米粒が大きいジャポニカは、これまでの考古学的な調査によると、約1万年前の長江中・下流域が起源との説が有力だ。

研究チームは今回、ジャポニカの「日本晴」とインディカの「カサラス」の2品種を比べ、米粒の大きさの変化にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異してジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする遺伝子変異の計3種類について、アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のないものと、もみを大きくする変異のみをもつものが見つかった。このため、この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ半島や中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の話 もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえたことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。考古学資料とのすり合わせが必要だろう。(米山正寛)

Source :  日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明(asahi.com ニュース 2008年7月7日3時0分)

日本米の起源は東南アジア?米の大きさ決める遺伝子を発見

農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井沢毅主任研究員らのグループは、古いイネ品種の遺伝子変化を調査した結果、日本米(ジャポニカイネ)の起源がインドネシアやフィリピンなど東南アジアであると発表した。7日、英国の科学雑誌「ネーチャー・ゲネティックス」オンライン版で公開した。

井沢主任研究員らは、コメの粒の幅を細くすることに関与する遺伝子を世界で初めて発見。ジャポニカイネの米粒の幅が広いのは、この遺伝子が栽培化の過程で、次第に機能を失ったためだと結論づけた。

さらに、約200種のイネの在来種の遺伝子を調査。(1)コメの粒を細くする遺伝子(2)イネの脱粒性に関する遺伝子(3)炊いたコメのモチモチ感を決める遺伝子−の3点を比較したところ、ジャポニカイネの原型が、インドネシアやフィリピンの在来種(インディカイネ)に多く見つかった。

ジャポニカイネの起源をめぐっては「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある。今回の調査では、中国のイネもジャポニカイネと同じような遺伝子変化をたどっていることが判明。

井沢主任研究員は「現在、東南アジアで栽培されている『熱帯ジャポニカイネ』が中国に伝わり長江付近で水田化され、『温帯ジャポニカイネ』が誕生し、さらに日本に伝わったと考えられる」としている。

Source : 日本米の起源は東南アジア?米の大きさ決める遺伝子を発見(産経ニュース 2008.7.7 02:03)

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The Longest Walk 2 - URGENT MESSAGE



The Longest Walk 2 - URGENT MESSAGE

*ロンゲスト・ウォーク2はこれまでに4800キロ以上を歩き抜いて昨日ボルチモアを通過した。11日にはワシントンDCに予定どおりはいる。これはモチベーションを鼓舞するために数日前に公開された緊急ビデオ。

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Wednesday, July 02, 2008

人々を幸福な気分にさせる理髪店

ある日、花屋の主人がヘアカットに出かけた。散髪が無事に終わり、料金を支払おうとすると、理髪店の主がこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

花屋の主人はなんだか幸福な気分になってその店を後にした。

翌朝、理髪店の店主が店を開けると、店のドアの前に山のようなバラの花束が積まれ、そのうえにカードが1枚添えられていた。

この日も、ひとりの警官が散髪にやってきた。散髪を終えて支払いの段になると、理髪店の主がこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

警官は幸福な気分につつまれて店を出て行った。

そして翌朝、理髪店の店主が店を開けると、感謝状の添えられたたくさんのドーナッツ入りの箱が店のドアの前に置かれていた。

この日は珍しくインディアンが店を訪れた。散髪をしてほしいという。理髪店の店主が散髪をすませると、そのインディアンも料金を支払おうとした。理髪店の店主はこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

その翌朝、理髪店の店主が店をオープンしたら、ドアの前でいったいどんな驚きが彼を待っていたと思う?

わかるかな? インディアンのように考えてみるのさ。


・・・・?・・・・・


そう。ドアの前には何十人ものインディアンたちが列を作って散髪の順番を待っていたんだ。

ホ!


Native jokesインディアンは笑う』北山耕平編・構成。(おそらく)世界で初めてのネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクションの本。笑うことで世界をひっくり返す書。笑いの百連発! 当ブログから生まれた本。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。好評発売中

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ロンゲスト・ウォーク2はいよいよ最終ストレッチに

Longest Walk 230年ぶりのロンゲスト・ウォーク2に参加して徒歩でアメリカ大陸を西の外れから東の外れまで横断中のみんなが、多くの困難を乗り越えて最終目的地であるワシントンDCに近づいている。アメリカン・インディアン運動(AIM)の活動家(75歳)であるデニス・バンクスが先導役を務めて、今年の2月11日にカリフォルニア州サンフランシスコ市のアルカトラズ島を出発した一行は、このまま予定どおり7月11日にアメリカの首府に到着するという。

デニス・バンクスとその一行は先週末の日曜日にはヴァージニア州に入り、環境問題とアメリカ先住民の聖地について人々に訴えかけた。北回りルートの参加者は昨日1日にペンシルバニア州カーライルに残されているカーライル・インディアン工業専門寄宿学校(1879年設立ー1918年廃校)の歴史的建造物を訪問している。

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Monday, June 30, 2008

夏至の日・富士山・スピリットの帰還、そして5年目に入ったネイティブ・ハート

Fuji Medicine Wheel

    「一度も登らぬ馬鹿、二度のぼる馬鹿」

——富士山についての昔の言い伝えのひとつ

夏至の日が終わり、太陽は新たに黄道を辿る旅をはじめた。作物が順調に育っているのを確認して、精霊たちは無事に山の家に帰られただろうか?

ぼくがこのブログをはじめたのは2004年の夏至の日に富士山の西の朝霧高原において「せかいへいわといのりの日(WPPD)」の集いと儀式がおこなわれることが決定し、WPPDの提唱者がネイティブ・アメリカンのラコタ(スー)の精神的指導者の一人であり、一族に伝統的に伝わる聖なるパイプの守護者だったことから、自分も呼びかけ人の一人に名を連ねたことが直接のきっかけだった。

地球で生き残っているネイティブ・ピープル、とりわけ北米大陸で「アメリカ・インディアン」と呼ばれてきた人たちの考え方や世界の見方について自分が見聞覚知してきたものを、同じようなルーツをもちながらそうしたもののほとんどをあらかじめ奪われて「日本人をしている自分の同胞たち」と分けあう場として、どうしてもこういう場が必要だと考えたからだった。

そしてこのブログ「ネイティブ・ハート」を立ちあげてから4年を経過したことになる。これまでの記事の数は1400件を数え、日々の訪問者数はほぼ1000を前後し、総アクセス数も100万を越えた。文化系のこのようなサイトにしては、すごいことだし、ありがたいことでもある。

2004年を契機として富士山をメディスンホイールとしてその山麓を廻ることになった日本のWPPDの夏至の巡礼の集いも、南(富士市)、東(山中湖)、北(西湖)、そして今回の西(富士宮)と一巡した。ひとつの大きな輪は閉じたが、輪そのものにはもともと始まりもなく終わりもないものなわけで、その輪はぐるぐると回りながらかたちを変えつつ続いていくことになるだろう。2004年の雷の母と名づけられた台風の雨の中の奇跡のようなWPPDは「母なる富士山の声に耳を傾ける世代」のスピリットの帰還を予感させた。ぼくたちはあのときに集団で観たヴィジョンを具現化させ続けなくてはならない。

個人的には夏至の日は「各人が自分の聖地に意識を集めて地球と会話をする日」として定着していくことを願っているわけで、ぼくにとってはWPPDがやって来る前からずっと関東に生まれた自分にとっての聖なる山は富士山以外にはないと信じてきた。80年代前半にアメリカから帰還したぼくを日本列島にソフトにグラウンディングさせてくれた土地は富士吉田登山口入口に鎮座する北口本宮富士浅間神社であり、縁あってその山梨県富士吉田市に4年ほど過ごし、山麓を徘徊して山麓をひたすら歩き回って不思議な体験をいくつもし、東富士五湖道路の工事がはじまったころに静岡県に移り住んで、それ以後ものべ十数年を東や南など富士山の気を感じる土地で暮らしてきた。ぼくにとって聖地とは富士の山以外のなにものでもなく、その聖なる山の扱われ方についてはいつどこで暮らしていても常に気にしないわけにはいかないのだ。どこにいても目の端にあの山のかたちがシルエットとして写った瞬間に、ぼくは自分のなかでなにかが動くのを感じる。

聖なる御山としての富士山の扱われ方は「日本という国家の今」を常に写しだしてきた。今では富士山の存在を知らない人などまずいないだろうが、いつの時代にも富士山が人々によってどんな扱われ方をしているかを知っている人は少ない。それは仏教がこの国に入ってくるまでは普通の人ならまず登ることなどない畏れ多い山だった。山頂にはスピリットが立っていた。世界には人間の登ることを禁止している神聖な山がまだいくつか残されている。だがそうした神聖さは、当然人間の欲望によって打ち壊される。最初はそれでもおそるおそると、そしてあるときからは堰を切ったかのように雪崩を打って。

誰もが日本でいちばん聖なる山というと「富士山」の名前を挙げるが、自分たちの聖なる山に演習と称して大砲を撃ち込んだり戦車で山麓を走り回っている軍隊はいったいどの国の軍隊なのか? 彼らはなにを守るというのか? 限りない人間の欲望のためにかくもひどい扱われ方をしている国立公園が他にあるだろうか? 北富士本宮浅間神社の龍の口から流れる出る水が湧き水ではなくいつのまにか水道水となり、富士山頂に最も近い水源だっ