アニシナベ一族 夢歌 ドリーム・ソングス

愛 す る も の は
わ た し の 歌 声
頭 上 に 従 え
わ た し は 空 を
歩 い て い る
Nodin Press, Minnesota, 1965.
Japanese Translation by Kitayama kohei, 2010.



[ Tweets Log from Jan 15th, 2010 to Jan 30th, 2010 ]
以下はぼくが公開したものがほとんどだが、文字の色が変わっているものは、ぼくの書いたものへの意見や返事への返答だつたり、他の人たちの発言の引用だつたりする。なれるまでには当然時間がかかるが、始まりも終わりもない媒体としてのTwitterにぼくは少なからず期待するところ大である。なお、引用したものは、読者の読みやすさを考えて、時間の流れが逆になっている。つまり、旧いものが上で、下に行くほど最近のものになる。現実のTwitterでは、常に最新のものが上に来る。念のため。
ぼくのTwitterを読むときには「http://twitter.com/smilingcloud」にアクセスすればいつでも読めるけれど、自分で発言したり感想を書いたり、ニュースなどを読むためには各人がTwitterに自分を登録してもらわなくてはならない。ものの5分もあれば、登録はできるし、始まりも終わりもない世界に自分の場所が確保できる。発言を世界に向かって公開する設定にすれば、すべての人があなたのつぶやきというか短文による発言を目にする可能性はできるし、その段階でぼくをフォローしていただければ、ぼくのTwitterにおける発言のすべてが、聞くに耐えるものも耐えないものも包み隠さず、あなたのところに自動的に届くようになる。
ありったけの時間を費やして金を作るのもいい、ありったけの愛を費やして時間を作るのもいい そうやって作りあげた生活が明日にはこなごなになったとしても それでもきみはぼくのそばにいてくれるだろうか? テイク・イット・トゥ・ザ・リミットの歌詞 By イーグルス
2:09 PM Jan 15th
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どこかに写真ないかな? 見たいよ。RT @BEAR_NEWS: クマ模した像初公開 石刃鏃文化の企画展 標茶 (01/15 13:41) http://tinyurl.com/yaksldp
2:16 PM Jan 15th
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「アバター」は「ダンス・ウィズ・ウルブスの宇宙版」とキャメロン監督が考えていたという記事を読んだし、アメリカ・インディアンのヒトたちのなかからはあまりいい話は耳にしないのだが、ボリビアのモラレス大統領は「反資本主義の映画だ」と絶賛してるという。実際のところどうなの?
3:12 PM Jan 15th
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マサチューセッツ州コッド岬一帯の先住民族ワンパオナグ一族が「一族の聖なる儀式には日の出を妨げるもののない景色が必要だ」として巨大風力発電のタービンの海岸線への設置に反対している。当然だよね。
http://tinyurl.com/yb8va72
3:41 PM Jan 15th
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アル・ゴアが「あなたの子供がどうしても不都合な真実を見たがらないなら、アバターを見せなさい」といってる。ぼくは不都合な真実を見て原発のセールスかと思ってがっかりした。おなじことが起きるなら無駄ではないかな?
4:19 PM Jan 15th
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朝、のぼってくる朝日を見ていると、太陽ってほんとに丸いんだなって思う。それだけ。\(^O^)/ ぼくはネイティブの人たちのところで太陽に向かって両手を広げてかざすという祈りのやり方を身につけた。手のひらは太陽に向ける。エネルギーをもらうにはこちらの方が良いみたい。
8:50 AM Jan 16th
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大地と切れた人間が、もう一度ネイティブに戻れるかは、ぼくが生涯かけるテーマで、生前ローリング・サンダーに「(渡来系)白人は何回生まれかわってもアメリカ大陸のネイティブになるのはむずかしい』と聞いた。あらかじめネイティブと感応する部分をわずかに持って生まれたぼくたちはどうだろう?
10:56 AM Jan 16th
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米国のオレゴン州の中学生(8年生)の間で、瞬間的なハイを味わうために、首を絞めてあげるゲームが流行っているという。チョーキング・ゲーム、ノックアウト、スペースモンキー、気絶ごっこなどといわれてる。脳に送る血液と酸素をベルトやロープやタオルなどで一時的に遮断するもの。
11:59 AM Jan 16th
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チョーキング・ゲームは、ラティーノやネイティブ・アメリカンの子供たちの間に広まっている。http://www.oregonlive.com/health/index.ssf/2010/01/dangerous_choking_game_widely.html
12:00 PM Jan 16th
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チョーキング・ゲームはひとつ間違えば死に至る危険なゲームです。子供たちのなかにこういうゲームが流行りはじめているのは、警告以外のなにものでもありません。
12:07 PM Jan 16th
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教えるのも易く、それを聞くのも易い。ただし、己にあるものを確実に見つけ、己のものとするのは難しい。これを修行上の一眼目という。悟りとは、妄想の夢のさめたもので、覚(さとる)ということとも同じであり、格別変わったことではないのである。「猫の妙術」の一節
7:37 PM Jan 17th
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これって「非国民」と同じニュアンスの使われ方だよね。本人は日本人が元々いたって本気で思ってるんだ。RT @mainichijpnews: 平沼赳夫氏:蓮舫議員を批判して「元々日本人じゃない」
http://bit.ly/59Kn5E
10:31 PM Jan 17th
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日本人がアメリカ人のようにごったなさまざまな民族の集合体だという公的な歴史から隠され続けた事実がわかっていれば、平沼さんだってそんな人種差別主義者のような発言はできないよね。
10:45 PM Jan 17th
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RT @goyou: @smilingcloud 日本人てけっこう上手くやってきたな、とも思いませんか?思いません。これほど差別が体の奥深くしみこむように教育され続けた『国民』はいないと思う。古代から現代まで差別を人びとのコントロールにこれほど使う集団は珍しい。
10:57 PM Jan 17th
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RT @goyou: 弥生人による縄文人の大量虐殺事件って起きていないですよね。1000年以上続く戦争捕虜にたいする非人間扱いは、見えなくされた差別としてのこり続けてると思う。インディアン的でありながらこんなに差別の強い陰湿な集団をぼくはあまり知りません。
11:03 PM Jan 17th
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違うと思う。日本で生まれて育つだけでは、その差別的な部分が見えないように教育されているだけ。この差別は、おそらく「自然なるものの」差別からはじまるものではないかとぼくは思う。
11:07 PM Jan 17th
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この問題については今日はもう発言しません。穏やかに眠りたいので。機会があれば、じっくりと話したいと思う。May the Great Spirit Make Sunrise in Your Heart!!!!
11:11 PM Jan 17th
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空間と時間のふたつの面から「いまここ」の座標軸を求める作業は、どちらもエネルギーと時間が必要で、若い頃に広く深く時空間を旅して学ぶ必要があるとぼくは考えてる。そうしたなかから学んだものの話は、ツイッタには不向き。ゆっくり焚き火でも囲んで長い時間話ができるときと場所を選ぼうと思う。
9:03 AM Jan 18th
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ネイティブの世界ではそういう話は一族の年寄りが4日4晩ぐらいの時間をかけてゆっくりとおもしろおかしく話してくれる。こういうエンタテイメントとエンライツメントがひとつになった話を聞く体験が文字社会では失われたのが残念だね。やばい話は口から耳へ。
9:13 AM Jan 18th
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RT @smilingcloud: やばい話は口から耳へ。 もとい! やばいではなく、真にためになる話は、口から耳へ。(^^;)
10:23 AM Jan 18th
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もう何回も焚き火を囲んでお話しをしてきました。問題は焚き火を囲んで話ができる環境が街にはないこと。印象に残っている焚き火トークは神戸の六甲山の山中のキャンプ場で満月の夜にとか、琵琶湖の北にあるキャンプ場でこれも深夜までとか。オーガナイズされた方々には感謝の言葉もありません。
11:24 AM Jan 18th
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RT @ikedanob: RT @WSJJapan: 『米西海岸で、大麻合法化への動きが活発化』〔無料〕http://bit.ly/7yLwi8
9:03 PM Jan 18th
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今日は死ぬには良い日だったのだろうか? 知りあいや縁のある人が何人も向こうの世界に行かれた。寒さの中に思い出を解き放とう。長生きした方が幸せかどうかわからない時代を、それでも生き残ったものは進まねばならない。still we must go on.
10:51 PM Jan 18th
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グアム島の先住民であるチャモロの人たちは「Guahan」(グァハン)と自分たちのことを呼ぶ。オキナワからの海兵隊の移転に反対する声明を激しい口調で読み上げるグァハンのリーダーの言葉は全部が理解できなくても激しい音楽のように響く。http://tinyurl.com/ydojcsd
4:10 PM Jan 19th
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「時間が早く進み、波がある1年。一人一人の振る舞いが試される年になる」諏訪の神さまのご託宣。今年の筒粥(つつがゆ)神事で。http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20100116/CK2010011602000009.html
6:57 PM Jan 19th
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RT @smilingcloud: 今年の筒粥(つつがゆ)神事。詳細は、束にしたヨシの茎44本を小豆入りの米と炊き、一本ずつの茎に入ったかゆの状態を見て、稲、野菜など43種類の農作物と世相を占うもので、「大豆」「ジャガイモ」など7品目が「上の上」で豊作。
10:37 PM Jan 19th
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RT @smilingcloud: 筒粥神事ですが、本題の世相を占う「世の中」部分では「五分」を満点とすると、「過去10年で最低」とされた昨年の「三分五厘」をさらに下回って、今年は「三分四厘」。過去最低のさらに下。怖いくらい良く見えていらっしゃる。
10:41 PM Jan 19th
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Wii Fitの消費カロリーは家事労働よりも少ない。http://venacava.seesaa.net/article/138722990.html ぢゃないかとは思っていたんだ・・・
10:53 PM Jan 19th
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たばこの次はアルコール、広告など規制 WHOが指針案http://www.asahi.com/business/update/0118/TKY201001170292.html 日本国の酒産業はどう動くのかな?
10:55 PM Jan 19th
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ことさらに売り物にされた「スピリチュアル」は悲しくて滑稽なのはなぜだろう。世界にはスピリチュアルでないものなどないのに。
11:02 AM Jan 21st from Keitai Web
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ネイティブの人たちの世界観のなかではすべてのものがふたつの面を持つ。物理的な面と、スビリチュアルな面だ。風景・景色・景観ですらふたつの顔を持つ。原発や核廃棄物処理場に反対したり、環境のことで闘ったりするときも、物理的なところでと同時にスピリチュアルなところでも同時に闘われている。
11:47 AM Jan 21st
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ぼくが今回『地球のレッスン』を刊行したのは、そうしたあらゆるところで地球を守ろうとしてがんばっているすべての人たちのためのスピリットを応援するためなのだ。それだけの力のある言葉が集まっていればよいと思う。http://tinyurl.com/ygl6ug4
11:52 AM Jan 21st
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夜明けとともに起きだして、一族の人たちが雲と雨を呼ぶ儀式をおこなっているときに、その儀式の一部となって広大な砂漠を駆けて横断する長い旅に出る人のことを、ホピの人たちは「走る人」と呼ぶ。http://tinyurl.com/yauagqy
12:11 PM Jan 21st
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バンクーバー五輪のアイスダンスの金メダル最有力コンビ、ロシアのDomnina and Shabalin組が「文化的泥棒」としてアボリジニの人たちから批判されている理由を考えるとさまざまなものが見えてきます。別の写真がここに。http://tinyurl.com/ydg77zx
10:25 AM Jan 23rd
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じつは彼らのライバルに豪州のO'Brien & Merriman組がいて、2008年世界大会でアボリジニーの人たちと綿密な打合せをしその許可を得てオリジナル・ダンスというのを踊り称賛を得ました。較べてみて。http://tinyurl.com/yeo45pl
10:16 AM Jan 23rd
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ぼくもそう思う。RT @YukoShima: こうゆう本末転倒な『文化的泥棒』って、もうそこらへんにたくさんあるような気がします。
11:14 AM Jan 23rd
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異文化のものを消化するのがじつは時間がかかるのだよね。ほんとうに相手のことを知るために時間をかけたかどうかが、わかる人にはわかるから。RT @eroticdragon: それがデザイナーや演者の中で消化され独自の創意が現れて居るのかいないのかで芸術的評価は変わりますね
12:29 PM Jan 23rd
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WHO 定額で無制限に飲酒できる居酒屋などの「飲み放題」や酒類のディスカウント販売の禁止・制限、アルコール飲料の販売促進を目的としたイベントの規制なども提案 当然だよね、麻薬なのだから。
http://tinyurl.com/ykbq5dz
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ローリング・サンダーが亡くなったのは1997年の今日だった。もう13年もたつのに、別の次元からの彼の声がまだ聞こえるような気がする。(MTVでニール・ヤングがハイチの人たちのために歌うのを聞いた夜)
10:00 PM Jan 23rd
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今日のお話会に来ていただき、本まで買っていただいたみなさんには、心からお礼を言います。やはりビルの中でのお話会は緊張させられます。緊張が解ける頃には終わりが来ていました。今度はもっと自由なところでみんなと出会いたいです。北山耕平 拝
7:20 PM Jan 24th
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RT @hosakanorihisa: 砂漠などのリザベーションに住むことになった、ネイティブの人たちはどのように自分の境遇を語りますか?▼もしできるなら小生が翻訳した「インデイアン魂(レイム・ディアー)」(河出文庫上下)を取り寄せてお読みください。読み物としても面白い。
8:57 AM Jan 25th
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レイム・ディアー は80年代になくなりましたが、ラコタ(スー)でアメリカ人化教育の影響を受けなかった最後のメディスンマンです。その生涯は、実に波瀾万丈で、おもしろくて痛快です。訳者が言うのもなんですが、きっと学ぶことがたくさんあります。 http://bit.ly/5dAOBm
9:13 AM Jan 25th from
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昨日は終日死ぬには良い日でした。それは学ぶのによい日でもあります。朝の日の出から日没、そして夜空までが美しかった。きっとそれにふさわしい人たちがいろんなところで出合ったのでしょうね。しかし、青山、渋谷、原宿は大きく変わりましたね。ぼくはシティボーイではない自分を発見しました。HO
9:19 AM Jan 25th
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ぼくは言葉に慎重であるがゆえにTwitterをはじめました。短い表現で多くのものを伝えるという日本語の特性というものを考えると、奥深いものがあると思ったから。アルファベットとひふみの数の違いは、決定的です。英語でTwitterをやってみるとわかる。
10:04 AM Jan 25th
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アルファベットとひふみの数の違い▼26と48の違い、そして画像処理のかたちとしての漢字の利用。ABCは情報の提供だけにならざるを得ないけど、五七五で鍛えられている頭には、けっこう広がりがある宇宙だと思う。そのためには言葉により慎重になる必要も。
10:09 AM Jan 25th
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もちろんぼくは普通のつぶやきや情報提供を否定するものではありません。つきあうかどうかはまた別の問題です。ただでさえ聞きたくもないニュースがメディアから流されてくる毎日ですしね。
10:16 AM Jan 25th
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「アメリカのなかで、というより世界のどこであれ、残すに値するところは手つかずの自然だけであると、わたしは最近考えるようになった」エドワード・アビーの言葉。今は亡き彼の今日は誕生日だ。
3:01 PM Jan 26th
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ボブ・ディランがホワイトハウスでパフォーマンス!ストリーミング放送もある! 公民権運動の祝祭のために。Bob Dylan to perform at the White House, streamed live on Feb 10 and aired on PBS on Feb 11http://www.bobdylan.com/news
12:12 PM Jan 27th
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小沢一郎は、自分はアテルイの末裔だと語っていた。田中角栄も山の民だという。アテルイや山の民、蝦夷(エミシ)が政権をとると面白くない連中が大勢いるんだろうな!
9:58 AM Jan 27th from web Retweeted by you and 4 others
@kamitoriさもありなんとは思うが、ふたりとも大地にたいする尊敬を失っているのは決定的。その部分を抜きにして山の民もアテルイもないとぼくは思う。日本列島の自然を改造することは山の民でもアテルイでもしない。
12:31 PM Jan 27th from web in reply to kamitori
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ネギの抽出物が、A型インフルエンザのウイルスの増殖を抑え、体内の免疫機能を向上させるのに有効である可能性があるという。タミフルよりネギを。http://www.asahi.com/national/update/0125/TKY201001250002.html
2:15 PM Jan 27th
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LAND IS NOT FOR SALE! Crow Creek Sovereign Oyate http://www.youtube.com/watch?v=ptlH-f37ppQ&feature=player_embedded サウスダコタ州ローズバッド居留地の北東に、クロウクリークというラコタ族のリザベーションがある。先月の初旬に税金滞納を理由に税務署が部族に無断で部族の土地7100エーカーを競売にかけ、違法に売ってしまった。
同時に、電力会社は供給をストップし、長い間そこに住む老人や子供達は、現在極寒のなか、電気の無い生活をさせられている。
クロウクリークの部族政府はこれに対し裁判を起こし、裁判所は3月29日まで土地の譲渡はできないというデッドラインをもうけ、それまでの間に部族は土地を買い戻せる事になっている。
しかし1868年の条約にもとづくと税金は払う必要が無いこと、税務署が勝手に部族の土地を競売にかけた事実に全米のインディアン活動家達は憤慨している。
現在、違法に売却された土地に、クロウクリークの部族代表である若いチェアマンが小さなトレーラーハウスを停め、そこで立てこもり、最後まで戦う姿勢を見せていて、全米から共に闘う人たちを募り、続々集まっている模様。END OF NEWS
4:16 PM Jan 27th
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HIV reaches Yanomami in Amazon アマゾンの奥で生き延びてきたヤノマミ族のところまでHIVが到達してしまった
南アメリカで最も孤立して暮らしているとされたヤノマミ・インディアン。ベネズエラとの国境近くに32000人ほどが暮らす。彼らの暮らしを脅かすのは非合法に金鉱を求める集団。彼らは水銀で森や川を汚染する。土地を狙う不法な牧場主も多い。HIVの患者のほとんどが女性と子供。
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アメリカの歴史を見る視点を変えた歴史学者ハワード・ジン氏が亡くなった。87歳だった。http://www.boston.com/news/local/breaking_news/2010/01/howard_zinn_his.html
「無垢の人たちを殺した恥辱を覆い隠せるような国旗などどこにも存在しない」「人間の敵は戦争そのものである」ハワード・ジン 今日亡くなられたアメリカの歴史学者の言葉
6:27 PM Jan 28th
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金に目のくらんだ人たちはほんとうのことをいわない。原発の嘘。それのどこが地球にやさしいクリーンなエネルギーなのか。http://tinyurl.com/ydrdvnl
11:09 PM Jan 28th
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サリンジャーが亡くなられてしまった。最初に道を指し示してくれた人だった。文学界のビートルズ的存在だつた。91歳まで生きたのだ。今日は死ぬには良い日なのだ。
自分に正直に生き、こころのうちを素直に話し、嫌なものは嫌と言い、いつも夢を見ていることを、最初に深いところからあふれ出した言葉で教えてくれた存在だった。ぼくが、仕事以外で、きちんと最後まで読んだ小説は、後にも先にもサリンジャーだけだった。悲しいね。
9:06 AM Jan 29th in reply to haeshii
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ジュンク堂運営のネット書店に「ネイティブ・タイム ジャンルは、神秘思想。在庫僅少」と書かれてた。神秘思想?そんなつもりで作った本ぢゃないのに。列島に暮らす人たちの数萬年の歴史の本だせ。でも神秘的な歴史というのも悪くないか。HO http://tinyurl.com/yby5fn9
9:55 AM Jan 29th
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昨日のオバマ大統領の年頭教書に引き続いて、今日は鳩山首相の「いのちを守りたい」からはじまる施政方針演説を聞いた。鳩山さんの方が踏み込んだ発言が多かったが、なぜ原子力発電所といのちを守る政策がつながるのかわからなかった。最悪の場合いのちを最も汚す国になるかもしれないのに。
#
大多数のわれわれは、過去の出来事によって人生を決定づけているのよりも、その出来事をどのように思い出すかによって人生を決定づけている場合のほうが多いような気がする。過去に起こったことを文章にすることによって自分を変えていく方法を、ぼくはサリンジャーの文章技法から学習したようだ。
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今日の満月は「狼の月」と北米先住民は呼ぶ。冬のこの時期、腹をすかせた狼が、月に向かって吠えるかららしい。科学者は今日の満月が2010年で最も大きくそして明るく見える満月だと言ってる。月が楕円を描いて地球を回つていて、今日月が最も地球に近づく満月。14%大きく、30%明るく見える。
#
1971年以来東京23区では天の川が見えたことはないというかなしい事実。
about 3 hours ago from TweetDeck
右側のサイドバーの最上部の Peace な写真を入れ替えた。「タブリタ・ウーマン・ダンサー」と名前がつけられている。「タブリタ」とは、わたしたちの言葉で言う「かんざし」にあたるもので、頭髪につける飾り物。「ティアラ」という言葉と同意だとも言う。こうした飾り物を頭につける踊りは、ホピやテワなども含まれるプエブロと呼ばれる南西部の農耕インディアンの人たちが踊るもの。写真の彼女はサン・イルデフォンゾ・プエブロの人。下に掲載するのは、エドワード・カーティスが1905年に撮影した別の、テワの人たちのタブリタ・ダンスの光景(一部)。遠くでよくわからないかもしれないがみんなが頭部に飾りものをつけている。

*Tablita の読みが「タリビタ」となつていたのを友人に指摘されて訂正した。原稿書くときは老眼鏡をかけないで、読めているという思い込みだけで書くとこういう失敗をしてしまう。多謝。
『地球のレッスン』(太田出版)が発売されてからほぼ1ヵ月が過ぎた。姉妹編となる頭と体のための『自然のレッスン』は刊行してからすでに20年以上が経ったけれど、みなさんが大事にしてくれているおかげでこの出版不況と言われる荒波のなかを生き延びてきている。同じようにハートと魂のための『地球のレッスン』が、次の世代の生き残るための参考になればよいと願ってぼくは心の言葉を書きとめた。ぼくが本を残してきている理由は、いつの日にかきみがぼくのかたわらに腰をおろして、地球で生きる普通の人であることの大切さについて相談をしたいと思う日がくるかもしれないと考えたから。ぼくがその場所にいればよいとぼくも思うけれど、ぼくはこれまで生まれてから60回の冬を数えてきており、われわれの希望が共に満たされるまで長生きできるかどうかはすでに偉大なる精霊の思し召しにかかっている。希望が満たされる可能性はないわけではないかもしれないが、ぼくがこうやって言葉を編むようにして本を残してきている理由は、いつの日にか正しい時と場所でぼくたちのハートがこれらの言葉の森のなかで出合うことが起こるかもしれないと信じているからにほかならない。
今回、ぼくの本を『ネイティブ・マインド』(地湧社刊)の時代から大切に扱ってくれ続けた青山ブックセンターと、『自然のレッスン』に新しい命を吹き込んでくれた太田出版の力を借りて、新しい書き下ろしの『地球のレッスン』の刊行記念のトークショーが行えることになった。100人も入る会場に一体どれくらいの数の人たちが集まるのかぼくには想像もできない。だからこうして心ある人にスモークシグナルをあげている。この狼煙を受けとめた人は、ぜひ多くの人にお伝え願いたい。
『地球のレッスン』(太田出版)刊行記念北山 耕平トークショー
「地球に生きる普通の人」になるには■2010年1月24日(日)13:00
■会場:青山ブックセンター本店内 カルチャーサロン青山
住所 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 5-53-67
コスモス青山ガーデンフロア(B2F)
■定員:100名■ご参加方法:
[1] ABCオンラインストアにてWEBチケット販売
[2] 本店店頭にてチケット引換券を販売■入場料:税込 700円
■電話予約&お問い合わせ電話:
青山ブックセンター本店
03-5485-5511
(受付時間:10:00~22:00)■受付開始日: 2010年1月6日(水)10:00~
トークショー終了後にサイン会を行います。
サイン会対象書籍:『地球のレッスン』+会場でお買い上げいただいたもの
※入場チケットは、イベント当日受付にてお渡しします。当日の入場は、先着順・自由席となります。
※電話予約は行っておりません。イベント内容
あまりにも便利になりすぎてしまった結果、却って、本来当たり前に思われていた、自然と人間の関係性、地球規模での共生の在り方などといったものが見失われ、逆に一人一人が非常に生きづらくなってしまっているかの様相を呈する現代社会において、ネイティブ・アメリカンをはじめとした古来の人々の 世界観を背景に、北山さんに今一度「地球に普通に生きる」者としての、人間の在り方をこの地球に生きるすべての人間へ熱く語っていただく
*詳細と予約申込は青山ブックセンターのウェブサイトへ
[ Tweets Log from Dec 11th, 2009 to Jan 13th, 2010 ]
Twitter で「声」を流しはじめて3ヶ月目に入った。この1ヵ月のツイート(Twitter で公開した短文)のうち、このブログに残しておくべきと勝手に判断したものを再掲載しておく。
Twitter のことをしばしば「つぶやき」と表現し、文章によって声を発することを「つぶやく」と表現する人がたくさんいる。それはそれでひとつの道ではあるだろう。しかしぼくは、Twitterを極力つぶやきの場としては利用しないようにしている。もちろん、声を発するのだから、場面においてはつぶやきにならざるを得ないものもいくつも混ざる。そうした流れにただ反応したり、怒りにまかせて撒きちらかしたような、自分にとって読むに絶えず、残しておく価値のないものはここでは極力省いた(そういう人間的すぎる声も聞きたい方はTwitterでぼくの書くものをフォローしてください)。
しかしぼくはそれをつぶやきの場として使わないようにある意味では意識してきた。もともと内的なつぶやき、意味のないおしゃべりを停めるにはどうするかをテーマに自分に与えてきた感がないわけではないからだ。またその人にしか意味のない感情の起伏をあえて文学的に言葉にして残そうとも考えていない。ぼくは、Twitterを新しい表現の場、そしてぼくがこれまでの人生で知り得たことや必要な情報を分けあう場と勝手に認識している。なかには今後ぼくが参考にするであろうメモがわりのものもあったりする。今後も140字という限界のなかで思いを伝える方法をいろいろトライしていくことになるだろう。もともと散文を書くことは好きだったから、これはチャレンジとして自分で立ち向かってみようと考えてはじめたものだ。
以下はこのひとつきの間にぼくが公開したものがほとんどだが、文字の色が変わっているものは、ぼくの書いたものへの意見や返事への返答だつたり、他の人たちの発言の引用だつたりする。なれるまでには当然時間がかかるが、始まりも終わりもない媒体としてのTwitterにぼくは少なからず期待するところ大である。なお、引用したものは、読者の読みやすさを考えて、時間の流れが逆になっている。つまり、旧いものが上で、下に行くほど最近のものになる。現実のTwitterでは、常に最新のものが上に来る。念のため。
ぼくのTwitterを読むときには「http://twitter.com/smilingcloud」にアクセスすればいつでも読めるけれど、自分で発言したり感想を書いたり、ニュースなどを読むためには各人がTwitterに自分を登録してもらわなくてはならない。ものの5分もあれば、登録はできるし、始まりも終わりもない世界に自分の場所が確保できる。発言を世界に向かって公開する設定にすれば、すべての人があなたのつぶやきというか短文による発言を目にする可能性はできるし、その段階でぼくをフォローしていただければ、ぼくのTwitterにおける発言のすべてが、聞くに耐えるものも耐えないものも包み隠さず、あなたのところに自動的に届くようになる。
オバマ政権はアラスカ北西沿岸の北極圏における来年の夏からの原油発掘をロイヤル・ダッチ・シェルに認めたらしい。http://bsnorrell.blogspot.com/2009/12/obama-administration-approves-oil.html
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angelscanfly 資本主義というより、「お金が象徴する世界」といった方がよかったかもしれないな。権力というのも、最終的にはお金が象徴する世界になる。ぼくは「お金のない世界」があることを、それでも信じてる人間のひとりです。もう一人しかいないかもしれないけど。
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アメリカ 金を巻きあげる人たち この連中はなにを笑っているのか? ジョークの写真です(だと思う)。http://broadsides.org/suckers.htm
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すべてをお金で計ろうとするシステムにおいては、そのシステムを作りあげた人間は、自然も人間もすべてをそこから利益を上げるための対象と見る。あらゆるものに値札がついている社会では、自然であれ、母なる地球であれ、必然的に商品にならざるをえない。自然も母なる地球も人間の奴隷ではない。
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さまざまな液晶テレビのコマーシャルが流されるたびに、みんながテレビをほしがる代わりに平和を求めれば平和になるといったジョン・レノンの言葉が思い出される。
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mono マガジン 12月16日発売 「どうしてマリワナは、いまだに無法者にされているのだろう?」[大麻を巡る思考の冒険]文・北山耕平 大麻堂アイテム写真満載 ぜひお読みください。
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この季節に行われるのは、翌年を迎えるために、気持ち、心の準備をすることなのだ。 この期間、あなたは世界と調和することになり、この時の意識があなたを包み込み、翌年のあなたの行動に影響を与えるのだ。「ホピ・サバイバルガイドより」 http://hyla.jp/guide.htm
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急激な変化にすみやかに対応できるような社会システムを作っていかないと国民は不幸になるばかりのような気がするな。かわることを認めない硬直した国家は、いずれもう壊れていくしかないのかもしれない。二千年の夢から覚めるときが来ている。
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ALERT: Helpers Needed at Big Mtn. to Keep Dineh Resistance Spirit Alive http://tinyurl.com/y9cmzlv
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文明開化ショックを受けたまま明治以降、懸命に西欧に追いつこうとして、地球のことも人間のことも考えずに、国家のことだけを考えてやってきたことが、結局は気候変動を産み出していたというのが悲しくておかしい日本。国民は金持ちになったことを実感できたことがない金持ちの国。
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とはいえこの二百年間自分の国土を汚し、地球全体に汚染をまきちらかした事への責任は取らなくてはならないわけで、観光立国などと言うのは、目に見える醜悪なモノを取り払ってからの言葉としかぼくには思えない。国の成り立ちからして嘘があることがすべての要因かと。
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「自然の惨事を引き起こしている責任はキャピタリズムにある」とボリビアのモラレス大統領。COP15で。
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http://edition.cnn.com/SPECIALS/2009/environment/energy/ この20年間になにが起きていたのかを少しは確認できるかも。目で見る地球のエネルギー消費
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ファストフードにファストファッション、そしてファストサトリも。ぼくが自己啓発ものの本を嫌いなのは、悟りとか、啓示だとか、自己実現的なことが、お金を払って儀式に参加すれば簡単にできると思わせるとこかもしれない。
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Kill Capitalism and Save the Earth: the World According to Evo Morales http://tinyurl.com/yjyma4p
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縄文時代のドングリの殻も 徳島で32基の貯蔵穴出土 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091218/acd0912181756003-n1.htm
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京都・伊賀寺遺跡 縄文時代の竪穴式住居跡、新たに7基 http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/20091218-OYO8T00670.htm?from=ichioshi
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相谷熊原遺跡:縄文時代の土器棺墓14基出土 「出現期知る資料」--東近江 /滋賀 http://mainichi.jp/area/shiga/news/20091218ddlk25040473000c.html
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John Lennon- On Revolution & Native Americans ジョンが『革命』とアメリカインデイアンについて語る動画。http://tinyurl.com/yeh77gk
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アメリカ帝国主義政府によつておぜんだてされた今回のサミットは失敗したとはベネズエラのチャベス大統領の弁。COP15で。資金の問題だけど、国だけでなく多国籍企業にも応分のお金を出させるようになぜしないのだろうか?
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ここ数日の太陽がのぼってくる直前の東の空のただならぬきれいさは、冬至の日の到来を待ち望むかのよう。
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煙草は南北アメリカ大陸に自生する最も神聖な薬草です。使い方を誤てばその神聖さに反比例するほどの厄災ももたらされます、というのはどうかな? RT: @hokut0: 煙草の警告文。海外はすげーなー http://chikyutomo.greenwebs.net/?p=95
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日本製水耕栽培機器と大麻の関係 http://www.i-apple.jp/samantha/2009/12/post_2019.html 今に大きなビジネスになりそうだね。読んでいて滅入らない大麻関連ニュース。
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明日は冬至です。いろんなメディアがそのことを伝えてると思うけれど、ほんとうの冬至は明日の午前3時です。きっと明日朝目を覚ました頃には冬至は過ぎていて、太陽さんは夏の家に向かう旅をはじめていると思う。明日の朝日が楽しみ。セージを焚こうと思います。
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Sitting Bull said the Sioux did not know him to call him “Long Hair.”http://tinyurl.com/y8cevfy(アメリカの歴史ではカスターのことがインディアンによって「ロング・ヘア」と呼ばれていたとされているが、カスターと敵対していたスー族のシティング・ブルは、そんな呼び名は知らないといっていたらしい)
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たくさんの不思議を信じていた昔のネイティブの人たちは、毎年冬至の日が訪れる前日の晩にみんなで集まり、長い夜の時が終わって光りの時がはじまるのを祝いました。冬至は再生のときであり、新しいはじまりであり、闇から光りへと力が転換する瞬間に目を見張るときです。
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The United States Continues to Steal Land from Indians[Russell Means: Freedom]http://tinyurl.com/yelo6yf
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"Bolivia would not allow paternalism on the part of any country in the world." Bolivian President Evo Morales「ボリビアは世界のいかなる国であれ家父長主義的物腰を許容しない」というモラレスの言葉。
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夜が明けて太陽が無事にのぼり夏の家への旅をはじめました。ホピの国では9日間続く儀式が行われているのでしょう。そうした儀式と祈りの力が太陽とすべてのいのちに力を与えて成長の季節がはじまるという信仰があります。半年続くカチーナが踊る季節です。
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ホピの人たちの冬至の儀式は「ソーヤル」といわれるもので、これは山で雲をやっていたカチーナたちの帰還をみんなで祝うためのものです。これから半年の期間ホピの村にはカチーナがスピリットの師としてとどまり続けます。カチーナ→ http://tinyurl.com/y8hg7eb
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drfrogger ニューオーリンズ市長候補、大麻合法化を政策に掲げる。RT @ranbokun 【米:大麻事情】(ロイター) なぜ日本では・・・。政治家は何をしてるんだ!? http://www.reuters.com/article/idUSTRE5BK1ZZ20091221 #taima
大麻の問題がほんとうはとてつもなく重要な問題だということを政治家はおろか旧世代が少しも認識していないからにほかならない。みんなアルコールで意識が曇ってるからね。この問題でも世界から取り残されてる。
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白いカラスが甲府市で見つかった。古来カラスは、おカラスさまと呼ばれ、山岳信仰では神の使い。三本足のカラスは有名だが、白いカラスはどんなメッセージを運んできたのか。リトル・ブラック・イーグルではなくリトル・ホワイト・イーグルだね。http://tinyurl.com/yfhgwru
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「緑や青に輝いている病を癒したあとの地球を想像できるだろうか?これだけは忘れてほしくないし、人びとに伝えてほしい。健康で緑や青色に輝く地球の姿を、しっかりと思い描くことのできる人の数がじゅうぶんにあれば、われわれは地球を癒し、太古のような姿に戻すことができる」ローリング・サンダー
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Twitterには全部載せきれないので。メリー・クリスマスの部族ごとの言い方(How to Say Merry Christmas!)をブログに。http://tinyurl.com/ydlh6xg
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「目に見えるものをかたっぱしから食べる必要がないように、頭で考えたことのすべてを言葉にする必要もない。まずは自分の言葉を観察することからはじめるといい。良い目的を持ったことだけを話すようにするのだ」ローリング・サンダーの言葉・メモより
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恋人のいない人、奥さんに逃げられた人、仕事がなく寒空を見あげてる人、旦那と喧嘩してる人、友だちに裏切られた人、家族がばらばらの人、家出をしようとしてる人、一緒にご飯を食べる人のない人、今日財布を落とした人、車をぶつけちゃった人、あらゆる不幸を背負った人、みんなにメリー・クリスマス
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Family Portraits of all 56 ethnic groups in China 中国の56の少数民族の家族写真 http://tinyurl.com/ykc7xbf
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Toronto nuclear plant spills 52,000 gallons of tritium-laced water into Lake Ontario http://bit.ly/5EnRau via @SpillNews
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大飯1号で放射性物質漏れ 10月と同じ排気筒から http://bit.ly/4oy463
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Bolivia Organizes Summit to Solve Climate Change Issues http://www.periodico26.cu/english/news_world/december2009/bolivia-summit122109.html
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@smilingcloud ストーリーテラーの古屋和子さんが、子どもたちのためのネイティブのお話を、四本語る会をどこかで開きたいとおっしゃってくれているのですが、誰か企画立案など旗を振ってくれる人がいないかな。ぼくも参加したいので。
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25日が過ぎた途端にクリスマス気分がきえてしまうのが日本だけど、クリスマスは12日間続く。1月5日までがクリスマス。ケルトの冬至の祭りが元なのかな。そこで「12日間のインデイアンのクリスマス」というぶっ飛んだ笑える唄を。http://tinyurl.com/yh6vpce
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昨晩のRabiRabiとのジョイントコンサートライブは楽しかった。ラビラビは来年さらに大きくなるグループかもしれない。場のコントロールがうまかった。帰ってきて夜が明けたら2000を越すツイートがたまっていた。少し整理をしなくちゃ。
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コルテオ観てる。全部が夢のなかのよう。
5:41 PM Dec 28th, 2009 from Keitai Web
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80年代にネイティブの人たちの集会に何度か顔を出したとき、女の人たちの腹の据わり方に感心したことがあります。昨日のイベントでも似たような印象を受けました。女性たちの腹の据わり方がこの国でも際立つようになりつつあると。裸足の似合う女性たちが増えたことに喜びを覚えました。
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1890年12月29日、悲しみのない世界の到来の約束が虐殺によって奪われた日。ゴーストダンス、新しい地球のよみがえりは、今もつて達成されていない。ウーンデッドニー・クリーク大虐殺の日。http://tinyurl.com/ydbfry6
12:52 AM Dec 29th, 2009
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Hopi Teens Worry About Loss Of Culture http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=122018480
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maonagaaki RT @kotono8 初詣は鉄道会社が作ったもの。年賀状は日本の郵便制度ができてから。靖国神社は朱子学系の新しい教義。神前結婚式の歴史は100年。いかにもそれらしい「日本の伝統」が近代化以降にでっち上げられたものであるという事実。
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State of Emergency for Indian Reservations Hit by Brutal Winter Storm: WARNING! http://blackhillsportal.com/npps/story.cfm?id=3593
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Bolivian leader moves to legalize small coca plots
http://tinyurl.com/yg8b5kd
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ボリビアの3番目の都市コチャバンバ市は、テレビ報道などで女性映像の性的利用を禁止する命令を出した。http://la-news.cocolog-nifty.com/lanews/2009/12/4674091220-84ac.html
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Ancient Native American salt factories in the Sierra http://www.kcbs.com/Native-American-Salt-Mines-Discovered-in-the-Sierr/6004568
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Bolivia Promoting Medicine Used by Indigenous Healers http://www.laht.com/article.asp?ArticleId=349593&CategoryId=14919
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これははっきり言って個人的な感想なんだけど、紅白歌合戦に出演してる矢沢永吉なんて見たくないよなぁ。どっちみち見ないのだけどさ。
6:19 PM Dec 31st, 2009
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「平城遷都1300年祭」で大切なのは1300年前に日本列島でなにが起きていたのかということをあらためて知ることではないかと思う。日本の建国とダブっている出来事の背景にあったもの。http://tinyurl.com/yah54c9
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奪われたネイティブの土地でのオリンピックにNOを。カナダ側のシックス・ネーションズの広報員がインタヴューに答えてる。英語です。http://tinyurl.com/ylkf3cz
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ETV特集「日本と朝鮮半島2000年」という番組の再放送を見て不思議に思うのは、
交流という言葉の不自然さ。海峡の向こうとこっちという区切り方。半島から来た人たちが植民地として列島を開拓したことには触れず、半島からの難民以前に日本列島にいた人のことは見て見ぬふりを決め込む姿勢。あ、ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」はhttp://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090628_3.html
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巨大建築物にたいする信仰が日本列島の様相を一変させたとぼくは考えているが、それを行ったのは仏教寺院と都の建造だった。つまり6世紀頃から日本が建国されるまでに、九州四国本州の巨木のほとんどが切り倒されてしまったわけ。日本列島の自然の支配は千年以上の歴史がある。なにが「エコ」かよ。
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昨年末に鎌倉の由比ヶ浜で行われた「RabiRabi&北山耕平 根っこの絵文字3」の模様が同じ鎌倉の長谷で世界の少数民族のクラフトショップをやっているnobuさんによって報告されていました。http://tinyurl.com/yb5hn8p
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1946年1月1日から1964年12月31日の間に生まれた人がベビーブーマー。今年はその最初の世代が64歳になる。大きな戦争から帰還した兵隊さんたちが世界中でメイクラブをして生まれたみんな。ビートルズが歌うように、あなたは必要とされているだろうか、食べさせてもらえているだろうか?
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今年はどんな年になるのだろう? ぼくが通過するTwitterのなかではその話はあまり交わされていない。2010年は、しかし何年か後に振り返ればきっととても重要な年になっているような気がする。ほんとうのことが明らかになりはじめる年になるかも。きっと透明性が問われる1年になるだろう。
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RT: @LSDove: 今年6月末から7月末、惑星が十字型に並び新しい占星術のサイクルがはじまる。人生に大きな変化が起きるかもしれないよ。良い変化か悪い変化か、それを決めるのは自分次第。A conscious approach can make a difference.
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@aoiamnet 空気や水が、大地(鉱物資源や化石燃料)がお金に換わる時代を生きるようにならざるを得ないのはこれがキャピタリズムの正体なのだからなのでしょうか。片方で水が汚染されつつあるのは悲しすぎる現実だな。 #RPW
10:12 PM Jan 5th from TweetDeck in reply to aoiamnet
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信濃国分寺に伝えられた牛頭天王之祭文読み下し文は読んでみるととても面白い。八日は信州上田で八日堂大縁日があり蘇民将来が売り出される。http://museum.umic.jp/somin/category_top/g_naiyou.html
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「日本の社会構造は深層、中層、上層の三層構造ででき上がっているということなのだが、それはおそらくわれわれ日本人の心の世界も規定しているものではないかと思ったのである」宗教学者・山折哲雄 http://tinyurl.com/ylpz2pu
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Bolivia refuses to be U.S. slave http://boliviarising.blogspot.com/2010/01/bolivia-refuses-to-be-us-slave-vp.html
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Evo Morales Calls Alternative Climate Meeting http://tinyurl.com/yb6mdod
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Lehman Brightman 'Bureau of Caucasian Affairs' - Promotion of International Understanding http://tinyurl.com/yzjhw9q
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ぼくは東京に住み、田舎に住み、東京の近くにも住んだことありますが、どこでも車優先しすぎだし、自転車はおろか田舎には子どもたちの通学路や老人の歩く道ですら車に脅かされているところがたくさんある。いのちを大切にしない国だって思います。この国家の本質なんだろうが。
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野菜工場から生産される野菜にはスピリットも力もはいっていないと、ぼくはネイティブのエルダーから教わりました。いのちにたいする尊敬を失った生産システムはもはや農ではないとぼくは思います。それを食べるのはご自由ですが。
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酒屋の元祖を調べたことがあるがそれは「どうもお寺のようである」とものの本にある。奈良時代に坊さんが酒を造って民間に売っていた記録があるからだ。仏教と朝廷と米のプランテーションはどこかで一体化していた感がある。現実を忘れさせるための酒の役割は太古から。
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原発や関連施設で事故があって放射能が漏れるとキマッテ環境に影響はないと発表されるが、放出された放射能は空気や水を通して全世界に拡散していくわけで、近年世界中でさまざまなガンなどの病気が増えている理由はそれではないかと、核実験場の返還運動をしていたエルダーが言っていたっけ。
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あやとりはぼくたちと環太平洋のネイティブをつないでいる不思議な遊びです。あとは、あぐらをかくことと、はちまきをすることかな。全部「結ぶ」と関係があるね。
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Hopi and Navajo Stop Peabody Coal Mine Expansion http://bsnorrell.blogspot.com/2010/01/hopi-and-navajo-stop-peabody-coal-mine.html
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米国睡眠医学会(American Academy of Sleep Medicine、AASM)は若者には毎日9時間の睡眠を推奨している。http://venacava.seesaa.net/article/
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日本の街で目立つのが「旗」の多いこと。あらゆる業種が旗を出してる。なんで汚らしく見えることか。
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「いのちあるものはすべてその内側に稲妻を持つ」ローリング・サンダー、1983年の言葉。彼がいう「稲妻」とは『電気的な力』を意味する。われわれひとりひとりが内側に稲妻を持っている。地球そのもののエネルギーの流れとわれわれの内なる稲妻の作る力の流れが一致していないと、問題が起こる。
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韓国の中央日報の投書欄に「日本民族なるものは元々、3000年前から1300年前に韓国移民が縄文人と混合して出来た民族であり、オリジナルの原住民は3割以下。日本人の7割が韓国製部品で出来ている」と書かれていた。分別なく縄文時代を終わらせたのは韓国からの移民だった。Ha!
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3000年前から1300年前に半島からの移民が日本列島の先住民にたいしてなにをやったのかがいっさい隠されているところにこの国の大きな問題があるわけですが。これが歴史の始まりにある嘘ですよね。
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70%が半島などからの移民だとしても、われわれのなかの30%の部分が、ときどき発動しかかるのです。そのところを忘れてはいけません。
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薄くなったり濃くなったりしながらここまできているし、その部分で日本列島とスピリットはつながっているのだから、これを大切にしなくては自然がよみがえることもないわけですからね。
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一括りにするのは良くないことは当然ですが、半島系と大陸系の抗争に目を奪われているとほんとうに大切な部分を見落としかねない面も事実。たくさんの人がそこに引っかかってこだわりを持つようになるのを多く目撃してきたもので。
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いろんな製品や薬品を購入すると使用法の書かれた紙などが必ず着いてくるけれど、アルコール類には使用法がまったく着いていないのが陰謀的な匂いがする。千数百年間飲み続けていても、いまだに飲み方がわからないままだし、正しい飲み方を教えることすらできないんだもの。
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「固定観念の行き着く先は、狂気か、もしくはヒロイズム」と今日の日めくりカレンダーに書いてあります。ビクトル・ヒューゴーというフランスの作家の言葉です。なるほど。ぼくが使ってる日めくりカレンダーは THE OLD FARMER'S ALMANAC "EVERY DAY CALENDAR 2010" で農業者のための日めくりです。 http://bit.ly/7g5on1
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『地球のレッスン』(太田出版)刊行記念のトークショーを24日(日曜日)に東京の青山ブックセンター本店で行いますという記事をNative Heart ブログに掲載しました。お近くの方はぜひ来てください。
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毎日長時間テレビの前に座り続けると、寿命が短くなる可能性があるという研究。テレビが「モニター」の前というのなら、ぼくは当然アウト。いつ死んでもいいやと最初に思つたのは、26の夏のことだった。http://tinyurl.com/y9yw84f
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ボリビア大統領のエボ・モラレス氏は先住民でコカ農家だが、これまでの人生で3回しか映画を見たことがない。3回目が話題の「アバター」で先週の日曜日に娘とそのいとこと3人で見た。母なる地球を守りキャピタリズムと闘う映画だと感想をもらしたという。
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年末にジョイント公演させてもらったラビラビが、公開日記に書いている言葉でとても気に入ったのがあるので紹介します。それは「原 子 力 よ り 原 始 力」!!! http://bbs10.as.wakwak.ne.jp/bbs.cgi?id=41079
その前のツイートを読む:
アリゾナのセドナは、ホワイト・マインドにとって80年代以降スピリチュアル・キャピタリズムの都になってしまった。セドナではあらゆる聖なるものが売り物にされている。スピリットの声を聞くものはよほどのことがないかぎりそこには近づかない。今、ネイティブ・マインドの持ち主はセドナを遠く離れたところにいる。昨年「聖なるものを守る」として行われた International Indigenous Leadership Gathering (国際先住民指導者の集会)は、南米と北米のネイティブの指導者たち(コンドルたちとイーグルたち)を集めて、カナダはブリティッシュ・コロンビアのリルエット(Lillooet)というところで開催された。急激な変化に母なる地球がのみこまれているこの時に、何かが起ころうとしているときに、キャピタリズムと手をつながないネイティブの人たちはどのようなギャザリングをしたのかをご覧いただきたい。これはその一部始終を撮影したドキュメンタリーのトレイラーだ。この中にベア・ダンスがわずかながら撮影されている。リルエットでは今年の夏の夏至の日をはさんで5月末から7月を迎えるまでの約1ヶ月間、大きなギャザリングが予定されているので、準備をはじめなくては。
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「ジャンピング・マウスの物語(全文)」を公開しました。すでに書店から姿を消した太田出版刊の『ジャンピング・マウス』の解説の部分をすべて取り外して、核心の物語の部分だけにしたものです。過去に日本語になったジャンピング・マウスのお話しとも、またこの話を英語にして公開したストームが自らインターネットで公開している簡易英語バージョンともことなります。これまで、さまざまな方がこの日本語版のジャンピング・マウスの読み聞かせをしてくれたり、ストーリーテリングの題材にしてくれています。日本を代表するストーリーテラーのひとりである古屋和子さんは、数年前からこのお話をレパートリーのひとつに加えていただいて、日本各地で公演を行ってくれています。ぼくもこれまで何回となく耳でこの話を聞く機会を得ましたが、聞くたびに新しい発見があることに自分でも驚いています。この話を読んだことも聞いたこともない方は、この機会にぜひ一度、一度といわずに何度となく、自分の耳に聞かせるつもりで、お読みください。さらにこのお話を語るイベントが開催されるときにはあらかじめご一報いただければブログやTwitterで紹介します。自分がなぜ今ここにいるのかを知る手がかりがこのストーリーのなかにはあるはずです。この物語は鏡のように読む人の心を写しだしますから、時を経てこの物語の世界にまた足を踏み入れると違う自分の姿が映し出されていることでしょう。そしてこの話が伝えようとしているより深い意味を知りたい人は、図書館や古書店などで太田出版刊の『ジャンピング・マウス』の本を見つけられてぜひ小生の細かい解説もお読みくださればさいわいです。また、他にもこのお話を自分でも語りたいといってくださる多くのストーリーテラーのみなさんから連絡を受けることがあります。たくさんの子どもたちに語ってあげてください。親が子どもに語るお話のひとつに加えていただき、長く物語が生き続けることを祈ります。このお話の精神を大切にしてくださるすべてのみなさんのために、ぼくが十数年かけて再構築しなおした長尺版のジャンピング・マウスの物語をここに公開しておきましたので、応分の敬意を払われた上でご活用ください。日本語版の著作権を放棄したものではありません。有料の公演などでこの物語を元にしたお話しや芝居などを計画される場合、またこの物語の口演や小生の解説の講演会等をご希望の方は、あらかじめ連絡をください。この物語についての感想などはこのアーティクルへのコメントとしてくださるとありがたいです。なお、今後も声に出して読んだり語ったりするのに便利なように、日本語訳は予告なしに更新されることがあります。 北山耕平筆

むかし、あるところに、一匹の野ネズミがいた。
とてもいそがしがり屋のネズミで、長いひげをひくつかせ、かさこそかさこそと、草むらをかきわけては、あちらこちらと、いつもなにかを探しまわったり、食料にする種をあちらからこちらへと移させたり、こちらからあちらへと運んだり、とにかくひとつの場所にすこしもじっとしていることがなかった。
まあ、ネズミにもネズミのやることがあり、ネズミというものはだいたいがそういうものではあるわけで、ごたぶんにもれず彼も、そういうネズミたちの一匹ではあったのである。
しかし、でも、しかし−−。
そうやって、たえずいそがしくしている彼ではあったが、ときおり、さよう、ごくたまにではあるけれど、頭を宙にもたげ、まるでなにかをさぐるように、長いひげをひくひくさせて、ひとり遠くの見えないものを見つめるかのごとく目を細めては、しばし、物思いにふけることがあった。

で、あるときのことだ。
仲間のネズミのもとに、息せききってかけよると、彼がたずねた。
「ねえ、兄弟、あのゴーゴーいう音だけれど、きみの耳にも聞こえるよね?」
「なにい? 音だって? いいや、そんなものは聞こえないね」
相手のネズミは、鼻の先でいそがしく地面をまさぐりながら、顔をあげようともせずに、こたえた。「いまはいそがしいから、話かけないでくれないかな」
しかたなく彼は、別のネズミに、声をかけた。
「ねえねえ、兄弟、きみになら、あのゴーゴーいう音が、聞こえるよね?」
そう聞かれたネズミは、いぶかしそうに彼を見返して、
「おいおまえ、頭でもおかしいんじゃないか? しっかりしろよ。どこにそんな音がしてるっていうんだい? くだらないことを言ってる暇があるなら、さっさとやることをやれよ」
と、いうがはやいか、地面にたおれていたコットンウッドの木の穴に、そそくさと姿をかき消した。
しかたがない。ひげをすくめると、彼は、いつものいそがしい自分にもどることにした。そして聞こえている音のことなど、もう二度と気にすることはやめようと、あらためて自分にいいきかせるのだった。

ところが、しばらくするとまた、あのゴーゴーいう音が、聞こえているではないか。遠くの方から、かすかに、ではあったけれど、確かに、その音は聞こえてきていた!
ゴー、ゴー、ゴー、ゴー。
彼は、今度こそ決心をした。ようし、あの音のことを、もうすこし確かめてみるぞ。
例によっていそがしそうに振る舞っているほかのネズミたちをしり目に、彼は、音のする方へ小走りに向かった。
おそるおそる森のなかの草むらをぬけ、さらにしばらく行ったところでたちどまって、あらためてもういちど、耳をかたむけてみる。
ゴー、ゴー、ゴー、ゴー。
やはり、そうだ、確かに、音は、聞こえている!

日も暮れかけたころ、われを忘れて、彼が、一心に耳をかたむけていると、いきなり、何者かが暗がりから声をかけてきた。
「こんにちわ、小さな兄弟」
声は、たしかに、そういった。
いや、びっくりしたのなんのって。
思わず彼はとびあがった。あまりに勢いよくジャンプをしたので、皮だけをのこして、中身がとびだしてしまうのではないかと思えた。あわてて背中としっぽをまるめて、逃げようとしたほどだった。そのとき彼は母親から言われた「まずは自分から名乗ること」という忠告を思い出した。
小ネズミは暗がりに向かってたとたどしく声をかけた。
「ぼくはネズミ、小さなネズミ、リトル・マウスです」
「こんにちわ、ブラザー・マウス」
また、暗がりのなかで声がした。
「ぼくだよ、きみの兄弟で、洗い屋のアライグマさ」

近づいて声の主を確かめると、なるほど、アライグマだ。
「いったいぜんたい、こんなところにひとりぽっちで、なにをしているのかね、小さな兄弟?」
アライグマに、そうたずねられると、はずかしさから顔を真っ赤にして、小さなネズミは、鼻先を地面におしつけたまま、こたえた。
「夜がきれいだったから、散歩でもしようかと思って」
「そうだね、いい夜だ。死ぬにしても、学ぶにしても」
「じつは耳のなかで、ずっとゴーゴーいう音が聞こえていて、だから、それがなんだか知りたくて、さがしていたんです」
おずおずと、自信なさげに、小ネズミがいうと、
「耳のなかの、ゴーゴーいう音だって?」
アライグマが、となりに腰をおろしながら、こたえた。
「小さな兄弟、それならわたしが力になれるかもしれないぞ。きみの耳に聞こえているその吠えるような音は、偉大な川からやってくるものだよ。わたしは毎朝そこに食べものを洗いに行くんだ」
「かわ?」
小さなネズミは、神妙(しんみょう)な面持ちでたずねた。
「かわとは、いったいどんなものですか?」
すると、アライグマが、立ちあがっていった。
「ついてきたまえ。もし望むのなら、きみに川を見せてあげよう」

とたんに小ネズミは、おじけづいた。うれしい反面、それがとてもおそろしいことのように思えたのだ。しかしどうしても、音の正体を、彼は自分の目で、確かめたかった。
ネズミは頭のなかで考えた。
「その『かわ』というのがなんであるのかわかったら、もういちど、いつもの暮らしにもどればいい。それに、そのことを知ることが、探したり、集めたりする、日ごろの自分の生活にも、なにかの役にたつかもしれないじゃないか。そんな音なんてしていないと、さんざんいいはっていた兄弟たちみんなにも、きっとわかってもらえる。ひょっとしたら『かわ』の一部だって持ち帰れるかもしれない。それに、このアライグマさんを連れて一緒にかえれば、嘘じゃないことを証明してくれるだろうし」
「おねがいします、兄弟」ネズミは口を開いた。「どうかその『かわ』とやらへつれていってください。ついていきます」
小さなネズミは、アライグマの後ろを歩いた。小さい心臓が、胸元ではれつしそうなほど、ドキドキと大きな音をたてた。アライグマは、小ネズミがいちども通ったことのない道を、奥へ奥へと進んでいった。
これまでにその道を通りすぎたであろう、さまざまなものたちの匂いが、あちこちでした。おそろしさに、小ネズミは、何度となく後ろをふりかえっては、そのまま引き返そうかと思った。しかしそれにもまして夜の新しい世界は、さまざまな色や動きや香りに満ちていて美しかったのだ。
歩きすすむに連れて小ネズミの耳のなかの音はとてつもなく大きなものになった。これが偉大なる川の偉大なる音なのか。やがて、周囲の空気がなんとなくひんやりしてきて、どうにかこうにか、ふたりは、川べりまでたどりついた。
川だ!
それは、すぐには声にならないぐらい、とてつもなく大きくて、力強いものだった。あるところは深くて、透明で、ほかのところは渦を巻いていたり、暗く、よどんで、謎めいていた。おそろしく大きなはばの広い川で、小さなネズミには、闇のなかの向こう岸など、およそ見ることもできなかった。
流れはゴーゴーとうなり声をあげ、歌い、さけび、雷鳴のごとく鳴りひびいた。生まれてこの方こんな経験はしたことがなかった。水面を流れに運ばれていく、世界の無数のかけらを、小ネズミは目で追いかけた。大きいものもあれば、小さなものもあった。これほどまで力のあるものを彼は今までに見たことがなかった。

「なんて、とてつもない、力なんだ!」
彼には、それだけいうのが、やっとだった。なにしろそれまでに見たことがある水といえば、雨粒か夜露ぐらいのものでしかない。小ネズミは、水辺(みずべ)に近づいて、おそるおそる川のなかをのぞきこんで思わず後ずさりした。困惑して、おびえたような顔をした一匹の野ネズミが水のなかから自分を見ていたのだ。野ネズミはそのときまでなにかに写しだされた自分の姿を見たことがなかった。
「偉大な川はきみが感じていることや考えていることをそのまま写しだすのさ。きみが恐れていればその恐れを、喜んでいれば喜びをね。でも写しだされたものは、たいていゆがんでいる。間延びしていたり、つねに動いたりしていて、ほんとうの姿がそのまま見えるわけじゃないんだ。ほんとうの自分を見ることは、聖なる山を見るぐらい大変なことさ」
「聖なる山って、なんのことですか?」
「さあな。わたしにはわからない。どうせなら食べもののことでも聞いてくれないかな。自分は食べものを洗いながらよく川のなかに写るものを見て勉強してるからね」
「なぜ食べものを洗うのですか?」
「さあ、知るわけないだろ、そんなこと。あそこにいるアンティロープがどこでおしっこするのか、きみだってしらないだろうが」
アライグマはなんとかして岸辺で川の水の流れのなかに小ネズミの手を浸させようとした。そうすれば自分で水の味を確かめることもできるはずだった。でも小ネズミは川岸にあった小さな岩のうえにかたくなに腰を落ち着けたまま、夜通し朝が来るまで偉大なる川を眺め続けた。

朝、彼は川辺に生い茂る丈の長い草の先にたまった水滴が、きらきらと輝きながら川のなかに落ちていくのを見ていた。小ネズミには世界が違って見えた。ゆっくりと大きくなって、草の先端を離れて川の水の中に落ちてゆく水滴が歌を歌うのを、小ネズミは確かに聞いた。
濡れた、小さな、水の粒
陽の光のなか きらきらと
川のなかへと 落ちてゆき
家に帰るよ 母のもとへ
「もう水滴が見えないや。全部同じ水に見えるもの」
小ネズミは水の中から水滴が「母さんにはわかるのさ」とこたえるのを聞いた。
ネズミは自分の耳を疑った。ぼくはほんとうに一粒の水滴が歌う歌を聞いたのだろうか? 偉大なる川の偉大なる音は、想像できないぐらいの数の水滴たちの歌う歌が混ざりあっているものだというのか。そんなことを考えただけで小ネズミの小さな頭ははち切れそうになり、くらくらとめまいがしたほどだった。小ネズミは回らない頭でアライグマに水滴のことを聞いてみたが、あいにく真剣に聞いていなかったのでなにを聞いたのか覚えてはいない。アライグマは水滴には三つの種類があるとこたえたのだった。家に帰ることを知っているものと、家に帰るのだろうなと想像しているもの、そしてほんとうに家に帰れるのだろうかと疑っているものの三つだと。リトル・マウスはアライグマがせっせと川の水で食べものを洗うところを見ていた。
「そこに集めてきた葉っぱを洗うのを手伝いましょうか?」
「いやけっこう。こう見えてもわたしは食べものの味にはうるさいんでね」そしてアライグマの兄弟は続けた。「さらに何事かを学びたいのなら、きみはもっと心を開かなくてはならないぞ。かたくなに心を閉じたままでいると、この石ころのように、いくら長い年月を川のなかで過ごしたとしても、知恵の影響を受けることもなく、乾いたままの心でいなくてはならないよ」
こうしてアライグマは自分に教えられるだけのものを小ネズミに教えた。
「リトル・マウス、わたしはきみと一緒に帰ることはできない。わたしは友だちではあるがきみの証人になれるようなものではないからな。どうしてもきみが川のことをきみの一族に伝えたいのなら、それにふさわしい人物やものを見つけなくてはならない。ついてはひとつきみに、わたしよりもずっと偉大な川のことを知っている友だちに引きあわせよう。わたしは川で食べものを洗うだけだが、彼は偉大な川のなかで暮らしているんだ」
ふたりはしばらく堤を歩いた。あるところで、川の縁に目をやると、流れのおだやかな、浅瀬の水たまりに、あかるい緑色をした一枚の水蓮の葉がういていた。そしてその葉のうえに、葉とほとんどおなじ緑色をした大きなカエルが、すわっていたのだ。カエルの腹だけが、やけに白く見えた。
「こんにちわ、兄弟」
リトル・マウスがまず声をかけた。
「やあ、小さな兄弟。川に、ようこそ」
カエルが口を開いた。
「それじゃあ、わたしは、そろそろいとまごいでもするかな」アライグマが口をはさんだ。「なあに、心配はご無用だ、小さな兄弟よ。この先はこのカエルさんが、きみの面倒をみてくれるから」
そんな言葉をのこすと、アライグマは、洗って食べられるものをさがしさがし、きょろきょろしながら、そそくさと堤から姿を消した。

小さなネズミは、水辺(みずべ)に近づいて、おそるおそる川のなかをのぞきこんだ。川の水が、おびえたようすの一匹の野ネズミの姿をまた写しだした。
「きみは、誰?」
小ネズミは、水に写った自分にむかって問いかけた。
「こんなにとてつもなく大きな川のなかにいるのに、こわくはないのかい?」
「いいや」答えたのはカエルだった。「ちっともこわくなどないぞ。わしは生まれながらに、川のなかでも、川のそとでも、どちらでも生きていける力をさずかっているからな。冬将軍がやってきて、この不思議な力を凍らせてしまうと、わしはどこからも見えなくなってしまうのだがな」
そこでしばし間をおいて、カエルは言葉をつづけた。
「しかし、そのいっぽうで、サンダーバードが空を飛びまわっている季節なら、わしはいつだってここにおる。だから、わしに会いたければ、世界が緑に包まれているときに、ここに来なくてはならない。よいかな、わしの兄弟よ、このわしは、ダイアモンドのごとく光り輝く水の守り人なのだ」
「すごいなあ!」小さなネズミは感嘆した。カエルの生き方がとても素晴らしいもののように思えたのだ。「アライグマの兄弟は、あなたは水のうえを歩けるといっていましたが、ほんとうですか?」
「もちろん夢のなかではな。わしにはちょっとした力があるのさ。どうだね、おまえさんにも、この不思議な力、メディスン・パワーを、すこし分けてしんぜようか?」
カエルにいわれて、小ネズミは、聞き返した。
「メディスン・パワーを? ぼくに、ですか? すごいや。はい! お願いです、できることなら、ぜひ」
「ならば、よく聞くのだ。できるだけその体を小さくかがめて、それから思いっきり高く、できるだけ高く、そこでジャンプをしてごらん。そうすれば、メディスン・パワーがおまえさんにもたらされよう」
カエルにいわれるまま、小ネズミは体を小さくかがめると、その場で、思いきり高く飛びはねた。
自分の体が空中高くに浮かんだまさにそのとき、彼は目の片隅で聖なる山の姿をとらえていた。小ネズミには、自分の見たものが信じられない思いがした。しかし、山は、たしかに、そこに存在したのだ!

だが、つかのま宙にあった小ネズミの体は、突然、次の瞬間には一転して、本来あるはずの地面にではなく、まっさかさまに川のなかへ落下した。水しぶきが盛大にあがった。
ザブーン!
いやはや、肝をひやしたのなんのって。小ネズミはおそれおののき、大あわて、いまにも死にそうな形相で、ずぶ濡れのまま、命からがら岸へとはいあがってきた。
「だましたな、ぼくを!」小ネズミは、ものすごい顔で、カエルにむかって大声をはりあげた。「なにが力なもんか!」
「まあ、待て」とカエルは、さとすように、いった。「べつに傷ついたわけでもなかろう。それにわしは飛べとはいったが落ちろとはいわなかったぞ。おまえは空気がお前をつかまえてくれるとでも思っていたのか」
「ぼくは水に落ちたんだぞ」
「恐れと怒りにまかせて、自分を見うしなったままでいてはならない。そんなものはほうっておけ。おまえさんは、飛びあがったときに、いったいなにを、見たんだ?」
「ぼくは」ネズミは口ごもった。「ぼくは、あの、その、聖なる山を、見ました!」
「な、そうじゃろ、おまえはもう、ただの小ネズミなどではないのだ。おまえには新しい名前がある。よいか、今から、おまえは、ジャンピング・マウスと名のるがいい」

「ありがとう、ほんとうに、ありがとうごさいます」ジャンピング・マウスは、自分がずぶ濡れであることもかまわず、いくたびもカエルに礼をのべた。怒りも、恐れも、もうすっかりどこかへ消えていた。「さっそくこれから一族のところへとって返し、自分の身に起きたことと、自分の見たものについて、話して聞かせたいと思います」
ネズミのなかでなにかが変化していた。これまでの彼だったら、仲間のネズミたちに会ったとたん興奮のあまり「ざまをみろ、ちゃんと川はあったじゃないか」などとこれ見よがしに相手をののしっていたかもしれないのに、聖なる山のヴィジョンを見た今は、興奮はしているものの、自分の見たものを一族のものたちと分けあいたいと感じていたのだ。カエルから教えを受けた今、彼は知らないことは知らないと正直に言えるようになっていた。
「ならば、はやくゆけ」カエルは答えた。「一族のもとへ帰るがよい。仲間を見つけるのはたやすいことじゃろう。ゴーゴーいうこの川の魔法の音を背中で聞くようにしながら、ただひたすら進めばよいのだ。そうすれば、兄弟たちにも、出会えよう」

他のネズミたちがみなそうであるように、もともと近くのところしか見れず、まっすぐに進むのを苦手としていたジャンピング・マウスは、体から水がしたたり落ちるのもおかまいなしで、今度は背中の方で確かに聞こえているあの魔法の音だけを唯一の頼りに、歌でも歌いたいような気分で意気ようようと、ネズミたちの暮らすいつもの世界にもどっていったのだ。だが、そこで彼を待ちかまえていたものは、あろうことか「失望」の二文字でしかなかったのである。
アライグマの兄弟に連れられて川までたどり着いた話も、川辺で水滴が歌う唄を聞いた話も、そこで聖なる山を見せてくれた魔法使いのようなカエルの話をしても、ただただみんなは沈黙するばかり。じきに彼の話に耳を貸そうとするものは一人もいなくなってしまった。しかもそれだけではない。雨など降った気配もまったくないのに、なぜか文字通り「濡れネズミ」でいきなりふらりと帰ってきて、しかもろくに筋の通った説明もできないでいる彼のことを仲間はずれにして、他のネズミたちは、遠くからこわいものを見るような目つきで見はじめた。

ジャンピング・マウスの全身がびしょびしょに濡れているのは、食べられるすんぜんに、なにかのけものの口からよだれまみれになってはきだされたからなのだと、みんなは勝手に思いこんでいた。つまり、そのけものがあえて彼を食べなかったということは、彼そのものに毒があるからに違いなく、その毒は、おそらく自分たちにとってもよいものではないのだと、他のネズミたちは判断したのだ。
だから川のことも、そのはるか向こうにあった聖なる山の話なども、もはや誰も聞こうとさへもしなかった。そしていつしか彼のことはみんなの記憶の彼方へと消え去った。
ジャンピング・マウスは意気消沈していた。それでも、しばらくのあいだは、以前の仲間たちと「普通にいそがしく」暮らして過ごした。彼らはみな自分の一族だったからだ。だが、あのとき目に焼きついた聖なる山の姿だけは、どうしても忘れることができなかった。自分の目に見えたものだからといって、それがそのまま他のものたちの目にも見えるとはかぎらないのだ。
それはヴィジョンであり、自分の頭と心にすりこまれた消すことのできない記憶だった。ジャンピング・マウスはみんなと分けあいたいものをたくさん持っていたが、友だちはみな彼といるのをいやがった。
業をにやしたジャンピング・マウスは、あるとき仲間たちの前で宣言した。こうなれば自分一人ででもあの聖なる山まで行くまでだと。すると友だちはみなあきれ顔で口々に、
「おい、おまえどうかしてるぞ? そんなことはできっこないじゃないか。空のあの黒い点々を見てみろ。常識あるネズミなら、そんなことをしたらあのワシたちが舞い降りてきて、あっというまにエサにされてしまうことぐらいみんな知ってる。そんな馬鹿なことはやめるんだな」
と言うのだった。
しかしそういうネズミたちも実は、自分たちの話に出てくるワシというものがいかなるものなのか、ほんとうはまったく知らないのだ。あまりにも空の高いところを飛んでいるために、ネズミたちの目にはそれは空にあるただの黒い点々にしか見えていなかった。自分の周囲の地面にあるものならなんであれ見分けることができたが、はるか空の彼方では、それは単なる動く黒い点にすぎないのだ。おまけにワシの方はワシの方で、あまり地上に近づきすぎると見えているものがにじんでぼやけてしまうのだが、むろんネズミたちにはそんなことは知るよしもなかった。

そしてある日、あの記憶にさそわれるまま、ジャンピング・マウスは気がつくと、長いひげをひくつかせながら、また例の川のある土地への境界まで、足をのばしていた。
そこはネズミ領のはずれだった。その先には、どこまでも続く大草原が広がっていた。ジャンピング・マウスは、野ネズミを餌にするワシの姿がないかどうかを確かめるために、顔をあげて空を見た。見あげた空は、無数の黒い点で、あふれかえっている。それらの黒い点のひとつひとつが、ワシ、イーグルなのだ。
しかし、そのときすでに、自分はなんとしても聖なる山のあるところまで行くのだ、とジャンピング・マウスは心にかたくきめていた。後を振り返ることもなく、ありったけの勇気をふるいおこすと、わき目もふらずに、彼はそのまま全速力で草原を走りはじめた。
大草原は大きな動物たちが遠くまで旅をして出会うところで、小さなネズミが旅をするような場所ではない。そんなことはわかりきっていた。小さな心臓が、興奮と恐れで、今にもはりさけそうに高鳴った。

そのまま一気に走れるだけ走って、彼はとあるスウィート・セージの茂みに駆けこんだ。そこなら空の黒い点々から身を隠すこともできた。ふうと一息ついて、呼吸を整えようとしたそのとき、ジャンピング・マウスは、いきなり老ネズミと遭遇(そうぐう)したのである。
そこは、その老マウスの、すみかだった。
セージの茂みのなかにあったその場所は、ネズミにとってはまさしく天国のようなところで、食べものになる種はふんだんにあり、巣を作るための材料や、いそがしくするにはうってつけのものが、ところせましとあふれかえっていた。
「よくきた」と、老ネズミが口を開いた。「ほんとうに、よくきた」
ジャンピング・マウスは眼をまるくした。こんなところに、しかもネズミまで暮らしていたなんて。
「グランドファーザー、あなたはネズミの鑑(かがみ)そのものです」ジャンピング・マウスは、ありったけの尊敬の念をこめて、言葉を選んだ。「これほど素晴らしい場所も、まず、よそにはないでしょう。ここなら、空のワシたちに見つかる心配も、まったくいりません」
ジャンピング・マウスがいうと、老ネズミがこたえた。
「おうよ。しかも、ここからなら、大草原の生きものたちだって、すべて見渡せる。バッファローだって、アンテロープだって、ウサギだって、コヨーテだって、なんだって見える。おまけにここからなら、それらのすべてを見て、しかもそれらの名前まで知ることができるのだぞ。おまえさんはなにを求めてここまできた? まあセージのお茶でも一服しなさい。わしが若かったころの話を聞かせよう」
「なんとありがたいことでしょう」ジャンピング・マウスはいった。「じつはわたしはごーごーとうなる音を聞いて偉大な川まで行ってきたのです」
「そうか、おまえさんもか」老ネズミはうなづきながら続けた。「わしもな、昔あの音を聞いて偉大な川のところまで行ってきたことがある」
ジャンピング・マウスは興奮した。はじめて自分と経験を共有できるネズミと出会えたのだ。うれしくないわけがない。ふたりは偉大なる川について、さらにはふたりが知っていることについて、いっそう饒舌に語りあった。
「聞いてください。ぼくはあそこで師のカエルと巡り会い、空高くジャンプしろといわれて、言われるまま飛びあがり、そこで聖なる山を見たのです」
ジャンピング・マウスがそう言うと、会話がとぎれた。長いこと老ネズミは押し黙ったまま沈黙していた。それからおもむろに口を開いた。
「息子の息子よ」すべてをわかっているかのような口調で、老ネズミが続けた。「偉大なる川があることは、わしも知っておる。わしも川まで行き、おまえさんと同じようにその水を口にしたことがあるのだ。だが、偉大なる山となると、残念なことではあるが、話はまたべつで、そんなものは耳に心地よく響く伝説にすぎん。よいか、そんなものはこの世には存在せんのだ。偉大な山をなんとしても見たいという気持ちなど、おまえさんも、このさいすっぱりと忘れて、わしとここにとどまるがよい。ここには、ほしいものがすべてある。こんなに恵まれた場所は、他にはまず見つからんぞ」

ジャンピング・マウスはいきなり冷や水をさされた気分だった。がっかりした。「なぜこの人はそんなことを断言できるのだろう?」彼は考えた。「聖なる山の不思議な力は、おいそれとは忘れられないものなのに。きっとこの人は咲いている花よりも高くは飛ばなかったのだ。もしかしたらまったくジャンプなんかしていないのかもしれない。ジャンプをしてさへいれば、今頃こんな大平原の真ん中になんて住んでいるわけがない」
「さてと、おじいさん、お茶までごちそうになったばかりか、この素晴らしい家で休ませていただいて、御恩は忘れません」とジャンピング・マウスは、切り出した。「でも、ぼくは、その山をさがしにいかなくてはならないのです」
「なんと! ここを出ていくとは、おまえもよほど愚かなネズミよのう。よいか、大草原は危険なところじゃぞ! 顔をあげてあれを見てみい!」老ネズミはさらにさらに確信にみちた声でいった。「あの黒い点々が見えるじゃろ! よいか、そのひとつひとつが、ワシ、イーグルなんだぞ。連中は、おまえを、とっつかまえようと待ち構えとるんだ!」
もちろん、そこから出ていくことが、どれほど大変なことなのかは、ジャンピング・マウスにも、痛いほどわかっていた。背中に黒い影が近づくのを感じることもできた。地面は焼けたように熱くごつごつと荒れていた。しかし、いかねばならない。彼は、意を決して、再び全力で走りはじめた。

いつ果てるともなくどこまでも続くでこぼこだらけの地面。それでも、彼は走りに走った。ひげをやたらひくひくさせ、長い尻尾を弓なりにして、力のかぎり、走った、走った。
そうやって走りながらも、彼は、空の黒い点々の投げかける影の存在を、背中に痛いほど感じていた。空にあふれかえる黒い点々。命からがら、彼は、どうにかこうにか大平原の真ん中に、そこだけぽつんとあった群生するチョークチェリー(北米産の山桜)の茂みのひとつに走りこんだ。このサクランボは食べるとなかなかおいしいのだが、あとでものすごく喉が渇いてくるのが難点なのだ。
すごいや! ジャンピング・マウスは、自分の目をうたぐった。なんとそこは、ひんやりと涼しくて、広々としていただけでなく、水も、甘酸っぱいサクランボも、さまざまな種までもそろっていたのだ。飲みものや、食べるものだけでなく、おあつらえむきに寝床を作るために集めるのにちょうどいい草まであり、おまけに探検できそうな穴もいくつもあって、ネズミとしていそがしくするにはこのうえないほどのものがならんでいた。しかも、そればかりでなくて、その気になって集めようとすれば、なんだって、いくらでも、集めてこれそうな場所なのである。

そうやってジャンピング・マウスが、新しい自分の縄張りをあちらこちら探索(たんさく)しているときのことだった。どこからともなく、ぜーぜーいう重苦しい息づかいと、さらに大きなため息が聞こえてきた。
彼は、そくざにその音の調査に取りかかり、ほどなくして音の発信元をつきとめた。音は、黒々とした山のような毛のかたまりから発せられていた。しかもそのもじゃもじゃな、巨大な黒い毛のかたまりからは、巨大な黒い角も二本、ぬっとつきだしている。前足と後ろ足は巨大な体の下で折りたたみ、頭を地面にのせるようにしていた。それはなんと、とてつもなく大きな体をしたバッファローだったのだ。

ジャンピング・マウスは、自分の目の前に存在するバッファローの横たわった体躯(たいく)の、あまりの偉大さに圧倒された。自分なら、この巨大な片方の角のうえにでも、はいあがれるのではないかと、思えた。
「なんとまあ、壮大な生きものであることか!」
ジャンピング・マウスは、そっとにじりよりながら、思わずため息をついた。そして声をかけた。
「こんにちは、大きな兄弟」
「やあ、こんにちは、小さな兄弟」バッファローが応じた。「たずねてきてくれてありがとう」
「偉大な存在よ」ジャンピング・マウスがたずねた。「どうしてあなたはここに横たわっておられるのですか?」
「わたしは病んでいて、ろくに食べるものもなく、もうじき死ぬ身なのだ」バッファローがいった。
その言葉を聞いたとたん、悲しみがジャンピング・マウスに襲いかかってきた。今、出会ったばかりだというのに、目の前で偉大な存在は死のうとしていたのだ。
「ぼくになにかできることがありますか? 薬になるものを探してきましょうか?」
ジャンピング・マウスが言うとバッファローがこたえた。
「この病を癒せるものは、ネズミの目のなかにある火だと聞いたことがあるのだが、小さな兄弟よ、ネズミなどというようなものなんて、どうせこの世にはいやしないのさ」
ガツンと頭をなぐられたぐらい、ジャンピング・マウスはショックをうけた。「ぼくの目だって!?」彼は思った。「このぼくの、ちっぽけな目玉のひとつだって」
あわてて彼は、例の群生するチョークチェリーの茂みのひとつに、逃げかえった。まだ心臓がドキドキしていた。それはぼくだってできるならあげたいさ。ほかのもので代わりになるようなものがあればいいのに。よりによってぼくの片方の目だなんて。

だが、そうこうしているうちにも、バッファローの息づかいは、さらに苦しげに、そして次第にゆっくりとしたものに、かわっていった。
「こうして自分が安全なところでのうのうとしているときにも、あのヒトは死のうとしている」と、ジャンピング・マウスは考えた。「ぼくが自分の片方の目をあげないからだ。このまま、死なせていいものだろうか? あんなに偉大な存在を」
長い尻尾を引かれる思いでジャンピング・マウスはバッファローが横たわる場所にもう一度かろうじてとって返すと、話しかけた。
「お話があります。ネズミというのは実在の動物でして、じつはわたしがそのネズミなのです」ふるえる声で彼は告げた。
「そうかいありがとうよ、小さな兄弟。ネズミがほんとうにいるということがわかっただけでも自分は幸せに死んでいける。そのうえおまえさんに片方の目をくれなんて言ったらそれこそ罰が当たるというものだ」
「でも、大きな兄弟よ、偉大なる存在よ、わたしはあなたを、このまま死なせるわけにはいきません。わたしには目がふたつありますから、これであなたが元気になれるのなら、そのひとつをさしあげましょう」
その言葉が終わるいなや、いきなりジャンピング・マウスの片方の目玉が顔から飛び出したかと思うと、ほどなくしてバッファローは健康な体をとりもどしていた。ジャンピング・マウスにとっての全世界、その世界をのせた大地をごう然とふるわせながら、バッファローが、にわかに力強く立ちあがった。

「ありがとう、わが小さな兄弟のジャンピング・マウスよ」バッファローがいった。「じつは、おまえさんの名前も、おまえさんが聖なる山に行こうとしていることも、それから、あの川まで行ってきたことも、わたしには全部わかっている。おまえさんはわたしの命の恩人だ。おまえさんが片方の目を与えてくれたおかげで、わたしも人びとに、この肉体のすべてを与えることができる。われわれは、永遠の兄弟だ。ここからは、わたしのしたを走ればいい。わたしがおまえさんを、聖なる山のふもとまで、かならず連れていこう。もう、空の黒い点々など、心配しなくてよい。わたしの影のなかを走っているかぎり、空のワシたちにはおまえさんの姿は見えん。あの連中に見えるのは、バッファローの背中だけだ。だが、大平原に生きる運命のわたしにできることは、そこまででしかない。わたしは、山には登れない。山に登ろうとして脚を滑らせて転びでもしたら、それこそ倒れておまえさんを、押しつぶしてしまいかねんからな」
自信たっぷりのバッファローの言葉をいくら聞いても、ジャンピング・マウスはすこし心配だった。なにしろまだ朝が早いにもかかわらず、偉大なバッファローはもう出発の準備を整えているのだ。明るい時間に旅をつづけると聞いただけで不安になった。しかも話を聞けば、これから通り抜けなくてはならないところはかなりの高原だとか。心配顔のネズミにバッファローが話しかけてきた。
「ジャンピング・マウスよ、きみはこれまで、暗い時を選んで、月あかりのなかを旅してきた。もしまだ聖なる山を見つける気持ちが変わらないのなら、これからは太陽の光のなかを旅することが必要になるだろう。この先しばらく行くと、小さな川の流れる場所に出る。おそらくそのあたりで激しい雷雨に遭遇するかもしれん。だがあの人たちはこの私の走る姿を見ただけで退散しよう。用意はできたかな?」
ジャンピング・マウスはその時はじめてそのバッファローの足首から下が白いことに気がついた。彼の四本の脚の下半分が白い毛で覆われていたのだ。普通のバッファローは脚が茶色か黒ときまっていた。いつだったか母親に聞かされた伝説に出てくる白い脚のバッファローのことをジャンピング・マウスは思い出した。
チョークチェリーの茂みは深い絶壁のはずれに位置していた。崖を下ったその先にはほとんど水の涸れた川の川底がむき出しになっている。意を決したようにバッファローが動き出した。深い崖の縁を越えて、ふたりは重なるような体勢で、急な長い坂を下りはじめた。
そうやって、小さなネズミは、それからは偉大なバッファローに守られながら、空の黒い点々をおそれることもなく、走りつづけることができた。もちろん、目が片方しかないわけだから、いくらバッファローの腹のしたにいれば安全だとはいえ、まったくおそろしくなかったといえばうそになる。バッファローの巨大なひづめが、自分のまわりで一足進むごとに、盛大に土ぼこりが舞いあがり、全世界をびりびりとふるわせた。
「今はとりあえず安心していられるけれど、どちらかが足の踏み場を間違えたとたんに、それでもう終わりじゃないか」とジャンピング・マウスがひとりごちた。
やがて太陽が雲の後ろにかくれ、辺りが暗くなってきた。空気を切り裂くように不気味な光が走った。さほど離れていないところでいきなり雷が大地を直撃したのだ。気がついた時にはふたりは草原の雷雲のただ中にいた。雷雨の下をバッファローが走り、バッファローの下ではジャンピング・マウスが必死に走っていた。右や左のあちこちで立て続けに稲妻が立木を切り裂いていく。雷が地面を激しく撃ちつけるたびに頭上の雷雲のうえが一瞬赤く輝いた。
こんなことってありなのか? 小ネズミは考えた。なんてことになったのだろう? バッファローばかりかそこに稲妻までもがやってくるだなんて。どうせならもっとのんびり歩いて聖なる山を目指せればよかったのになあ。
そのときまるでジャンピング・マウスの心を読んだかのように、ゆっくりと雷雲が遠ざかりはじめた。果てしなく続く乾ききった広大な草原が一瞬にして水に洗われて潤っていた。
そうやって、ふたりの大平原を越えていく波乱に富んだ旅はつづき、そしてあるとき、偉大なバッファローがついに足をとめる場所まで、やってきた。ジャンピング・マウスはへとへとに疲れ切っていた。生きているだけでありがたいと思えた。とっくに激しい雷雨はおさまったのに、心臓が電気を受けたように激しく鼓動を打っていた。それはそれはきつい旅だった。バッファローが、おもむろに口を開いた。
「小さな兄弟、ここでお別れだ」
「かさねがさねありがとうございます、ほんとうに」ジャンピング・マウスは息も絶え絶えに礼をいった。「じつは、あなたも感づいていたと思いますけれど、ひとつしかない目で、あなたのしたを走るのは、とてもこわいことでした。大地をとどろかせるあなたの偉大なひづめが、おそろしくておそろしくて、わたしは、びくびくのしっぱなしでした」
「そのような心配は、はじめから無用だった」バッファローがこたえた。「なぜなら、わたしの足の運びは、サンダンスの足の運び方とおなじものだからだ。おまえがどこにいるかも、自分のひづめが大地のどこを踏みしめるのかも、わたしにはつねにわかっていたのだ」
「ではあの嵐と稲妻の襲来は?」
「嵐だと? 稲妻だと? さあてそんなものはあったかな。蛍が飛んでいたことは覚えているがね。さあ、兄弟よ、わたしはここから草原にもどらなくてはならない。おまえさんは、そこでなら、いつでもこのわたしを見つけることができるだろう」
そう言葉を残してバッファローは草の海のなかに姿を消した。

偉大なバッファローはそうやって片方の目のないネズミを聖なる山の麓に一人残して大平原に帰っていった。ジャンピング・マウスは、すぐさま自分の新しい環境を検分しはじめた。
そこには他のどこよりもたくさんのものがあった。いかにもネズミの好きそうな場所で、こまごましたものがつぎからつぎとでてきて、時間がいくらあってもたりそうにない。ありあまるほどの種だけでなく、ほかにもネズミの気をひくようなものが山ほどもあった。ここにあるものを持って帰るだけで一財産作れるなと、彼は思わず考えたりした。そうやって彼があわただしく周辺の調査をしているときのことである。
冷気を感じた瞬間、いきなりジャンピング・マウスは、美しい灰色毛をしたオオカミとでくわした。かたわらには木の皮を編んで作られた籠がひとつ置いてあり、なかには陽に干した魚が入れてあった。そのグレイ・ウルフは、まったくなにをするでもなく、ただそこで妙な笑いを浮かべたまま、ぼーっと座っていた。
「こんにちわ、オオカミの兄弟」ジャンピング・マウスが声をかけた。
オオカミの両耳がぴくりと動き、そのときだけ目が光った。
「オオカミ! オオカミだと! そうか、そうだった! わしは、オオカミなのだ!」
だが、つぎの瞬間には、頭のなかにふたたび靄(もや)でもかかりはじめるのか、自分が誰だったのかすらもすっかり忘れて、ただそこに座っているだけの状態にもどっていた。
「こんにちわ、オオカミの兄弟」ジャンピング・マウスがもう一度声をかけた。
「オオカミ? オオカミだと! そうか、そうだった! わしは、オオカミなのだ!」
そうやってジャンピング・マウスが声をかけて、彼に、彼が誰であるかを思い出させると、そのときにはいっときだけ、その言葉に心を高ぶらせるオオカミではあったけれども、すぐにまた、彼は自分が誰なのかを忘れてしまうのだ。
「せっかくこんなに偉大な存在なのに」とジャンピング・マウスは考えた。「自分が誰だかもわからなくなっているなんて」

ジャンピング・マウスは、新しい場所の中心に移動すると、そこでしばし押し黙ったまま、自分の心臓の鼓動に耳を傾けた。まるで自分の内側に太鼓でもあるかのように大きな音が聞こえた。そしてその音が彼にあのバッファローのことを思い出させた。きっとぼくの目の玉には病気を治す不思議な力があるに違いない。それから急に意を決したかのように、オオカミが座っていたところへもどると、「オオカミの兄弟よ」と話しかけた。
「オオカミ! オオカミだぞ」と、グレイ・ウルフが反応した。
「オオカミの兄弟よ」とジャンピング・マウスはつづけた。「おねがいです、話を聞いてください。わたしに力になれることがありますか?」
「さあどうかな。悲しみは増すばかり、頭はおかしくなるばかりで、あとは飢えて死ぬばかり」
「なにを言っているのです。すぐそこに干し魚がたくさんあるじゃありませんか」
「なんだと? それはまことか? ここにあるものが魚に見えるとは、さてはおまえはネズミだな。わたしには自分が誰か思い出せないのさ。なにを食べればよいのかもわからない。おまえさんが干した魚だというものも、わたしには川底の土にしか見えない。食べるものか」
「お困りでしょう。もうなにを食べればよいのかもわからなくなってるのですね。なにがあったのですか?」
「自分を美しいものに造りかえようとして力の使い方を誤ったために、無駄に時間を使い、病気にもなって、最悪なことに今は自分が誰かもわからなくなった」
「わたしはあなたの病気を治せるものを知っています。それは、わたしのこの目のなかの火です。目はあとひとつしかないけれど、お役に立てるのなら、あなたにさしあげましょう。わたしにくらべたらあなたはあまりにも偉大な存在です。わたしはたかだかネズミにすぎません。どうぞこの目をおうけとりください」
ジャンピング・マウスが話すのをとめたとたん、彼の残されたただひとつの目玉がポンと飛び出して、オオカミの病は、うそのように消えていた。

オオカミの頬を幾筋もの涙が伝わっておちるのを、オオカミの小さな兄弟は、もはや見ることができなかった。すでに両目をうしない、彼は、盲目になっていたのだ。
「おまえこそが偉大な兄弟だ」とオオカミが口を開いた。「わたしはオオカミ。おかげで記憶をとりもどせたが、おまえはこれから盲目で生きていかねばならない。もともとわたしは聖なる山の案内人だ。おまえがジャンピング・マウスという名前であることも知っている。偉大なる川におもむき、カエルの兄弟から聖なる山を見せてもらい、偉大なバッファローとともに大平原を越えてやってきた。だからもしここから先まだ旅をつづけるつもりなら、わたしがおまえさんをそこへお連れしよう。山の頂には、不思議な力の湖がある。この世で最も美しい偉大な湖だ。世界のすべてがそこには写しだされている。すべての生きてあるものも、大草原も、空も、なにもかも」
「どうかわたしをそこまでお連れください」両方の目が見えなくなったジャンピング・マウスはいった。もはや彼には長いひげとふたつの耳があるだけだった。触れたり聞いたりして世界を理解することはできても、彼は自分を差し出した結果、世界を見る力を失っていた。
グレイ・ウルフは山麓の松林のなかをぬうようにして、より高く、さらに高いところへと、そんな彼を森林限界線を超えたところにある、神秘の湖まで導いた。魔法の湖の周囲にはもはや樹もなく灌木もなく、ネズミの体をかくしてくれるようなものはなにひとつとしてなかった。ふたりが湖の畔にたどり着いたとき、世界は平安に包まれて静まりかえっていた。
ジャンピング・マウスは手を差し伸べて湖の水を口に含んだ。それはそれはおいしい水だった。心の底から感動した。オオカミが隣に座って、湖の美しさを、彼にもわかるように、話して聞かせてくれた。この湖にはすべての人びとの姿が、空を飛ぶすべての鳥たちが、山々のスピリットたちが、そして大平原に生きるすべての生き物の姿が写しだされていると。そしてまたこの湖には世界のなにからなにまでもが、そしてその上を覆うように果てしなく広がる色塗られた美しい空が全部写しだされていると。
「わたしはここにおまえさんを残していかなくてはならない」オオカミがいった。「聖なる山の案内人として、他にも、案内しなくてはならない人たちがわたしを待っているからだが、しかしおまえさんが望むなら、望むだけは一緒にここにとどまろう」
「兄弟よ、ありがとう」ジャンピング・マウスはこたえた。「わたしにとって、ひとりぼっちになるのは、とてもとても、おそろしいことではありますけれど、いずれにしてもあなたは行かなくてはなりません。あなたには、この場所への道を、他の人たちに示す、おつとめがあります」

ジャンピング・マウスは、おそろしさに震えながら、その場にうずくまったまま、とにかくじっとしていた。すでに両方の目をうしなってしまった今となっては、やみくもにいくら走ったところで、それはまったく意味のないことだった。

彼にはわかっていた。案内をしてくれたオオカミがこの場を去れば、いずれ一羽のワシが、ここにいる彼の姿を見つけることになるのは時間の問題だろう。はたせるかなしばらくすると、背後に、黒い影が迫ってくるのを、彼は感じた。そして物音。ワシのたてる羽根の音が、すぐ近くで聞こえた。
くるぞ。
身構えた瞬間、いきなり一羽のワシが彼に体当たりをしてきた! ふいの一撃をまともにくらって、ジャンピング・マウスは意識を失い深い眠りにおちた。

さあ、それから、どのくらいたったのだろうか? 彼は眼を覚ましつつあった。どこか遠くで師であるカエルの声が「メディスン・パワーがほしくはないかね?」と言うのを彼は聞いたような気がした。
まだ、生きている! それは、たいへんな驚きだった。だが驚いたのはそれだけではない。目が、見えるようになっていたのだ! なにもかもが、ぼんやりとしてはいたが、あざやかな光りの色彩が飛び込んできた。
「見える! 目が、見える!」
ジャンピング・マウスは、何回も何回も、同じ言葉を繰り返した。ぼんやりとしたひとつの影が、緑色と白い色をしたなにかが、ジャンピング・マウスにむかってやってきた。しかし、いくらいっしょうけんめい目をこらして見ても、そのかたちはぼんやりとしたままさだまらない。
「元気かね、兄弟」と、緑と白のものがいった。「メディスン・パワーを、すこしお分けしようかな?」
「メディスン・パワーを、分けてくれる、ですって?」ジャンピング・マウスはつづけた。「ぜひ、ぜひお願いします!」
「ようし、それならば、その場所で、いちどできるだけ体を小さくかがめて、それから思いきり高くとびあがるがよい」
小さなネズミは、教えられたようにやった。
できるだけ低く身をかがめ、ありったけの力で、思いきり高くジャンプしたのだ! 高くとびあがったとたん、一陣の風が、彼をとらえた。そしてその風は、より高いところへと、見る見る彼を運んでいった。
あの声が、下の方でまた彼に呼びかけた。
「恐れるんじゃないぞ。しっかりと風にしがみついて、すべてを風にまかせるんだ。信じよ!」
ジャンピング・マウスは、言われるままにした。眼を閉じて、風にその身をまかせ、広げたふたつの手で風をしっかりとつかまえた。風は、彼をさらにさらに、空高く、運んでいった。
高く、高く。
ジャンピング・マウスは、目を開いた。世界が隅々までよく見えるではないか。より高いところに昇れば昇るほど、世界がいっそうはっきりと見えはじめた! なにからなにまでくっきりと見えるのだ。偉大なるもののすべてが、大いなる草原が、そこにいるバッファローが、山の岩のうえの灰色オオカミが見えた。
はるか下界に目を移せば、そこには、たとえようもなく美しい湖が、神秘の力を持つ湖が、広がっていた。そして魔法の力を秘めたその湖には、水蓮の葉が一枚浮かんでいて、そのうえに、ちょこんと、あのなつかしい師の姿が見えた。
それは、あのカエルだった。
「おまえに新しい名前をさずける!」
師の叫ぶ声を彼は聞いた。
「イーグル、それがおまえの新しい名だ! おまえは、ワシになったのだ!」
THE JUMPING MOUSE, a story from Seven Arrows copyright © 1972,2004 by Hyemeyohsts Storm. Retold for Japanese young people copyright © 2005,2010 by Kohei Kitayama. All rights reserved.
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Quechua: Sumaj kausay kachun Navidad ch'sisipi & Mosoi Watapi sumaj kausay kachun
RETVARA : Mamaka wejejerãka
SALCHA : Dzeen chox teedle 'aay nayilkaa
Seneca: a:o'-e:sad yos-ha:-se:'
Tanaina: Natukda Nuuphaa
TEWA: Hihchandi Núuphaa
Tlingit: Xristos Khuwdziti kax sh kaxtoolxetl
Tutchone/Northern: t'ohudinch'i Hulin Dzenu & Eyum nan ek'an nenatth'at danji te yesohuthin ch'e hadaatle
Yupik Eskimo, Alaska: Alussistuaqegtaarmek Piamceci!
Yupik/Siberian: Quyanalghii Kuusma & Quyangalleq Nutaghamun Aymiqulleq
今日は新月だね。明日から見えはじめる月が丸くなるのは1月1日だ。これから一週間ほど夜が長いとき。みんなはなにをして夜を過ごしているだろうか? 今年はいろんなところでお話しをしてきた。最初は新春1月に、鎌倉の長谷と言うところにあるエスニック雑貨ショップ「Middles」の協力を得て、ランドアンドライフのイベントとして、極楽寺のアナンさんの邸宅を開放してもらったところで、50人ほどの人たちを前にして話した。それからは夢のなかだ。琵琶湖のほとりで、加古川市の遺跡公園で、仙台の東北大学の近くのスペースにたくさんの人が集まって、また世田谷の羽根木公園でお母さんたちを前にして話したのも記憶に残っている。先日は立教大学の五号館の建物の教室で話した。立教大学を訪れたのは卒業以来2度目で、池袋が別の街のようになっているのに驚愕した。そうやって月に一度ぐらいは、有料無料を問わず話してきたし、高円寺のマーブルトロンでは4回連続の講義もした。いずれの機会も多くの人と出会うことができた。で今回は今年最後のイベントの話をしたい。
27日の月齢12日の夜だ。唄があり、話がある鎌倉由比ヶ浜の宵になる。呼んでくれたのはRabiRabiという音楽ユニット(女性ふたりと男性ひとり)。ラビラビとの出会いは、圏央道のトンネル工事をSTOPさせるための高尾山のコンサートだった。深い森のなか、コンサートの間にぼくは話をさせてもらった。そこでぼくははじめてラビラビを見た。2回目は、新潟県中越地震の震源地で行われたメモリアルイベントの会場で、ラビラビは沈んでいく夕日の作り出した夕焼けに向かって祈るように歌い演奏していた。日本列島の声を聞きながら、東へ、西へ、北へ、南へと、ラビラビはいつも大地を踏みしめて、足の裏からエネルギーを吸い上げるようにして、コンサートの旅を続けている。きっと今夜もどこかの旅の空の元だろう。今回、今年最後のトークを、今年最初のトークをした鎌倉エリアで行うことができるようになったのは、そのラビラビのおかげである。彼女たちが抱きしめ続けている地球についての話しも聞いてみたいし、日本列島にまだ日本などという国がなかった頃からの時間を超えた話をしながら、冬至を過ぎて闇から光りへと時間が転換しつつある瞬間を共に楽しみたい。ラビラビについては、ご存じの方もたくさんいるかもしれないし、はじめて名前を聞いたという方はその公式ホームページを見ていただきたい。
来る12月27日(日)に鎌倉の長谷にあるエスニック雑貨ショップ「Middles」の協力イベントとして、RabiRabi&北山耕平のトークアンドライブが、由比ガ浜のオーガニックカフェ麻心で開催されます。
詳細は以下のようになっています。
限定30名なので、都合の合う方はすぐに予約を!
定員に達したため、予約終了。ありがとうございました。
以下は、RabiRabiからの告知文です。
2009年の最後はトークとライブで交流を深めるイベント「根っこの絵文字」です。これまで、ラビラビ自身が旅のこぼれ話をおはなしてきましたが、3回目のトークは素晴しいご縁をいただいて、北山 耕平さんが来てくださることになりました。ラビラビの大切なキーワードたち「縄文」「根っこ」「原始」...がまさにこの夜、確かな言の葉となってみんなへとつながっていきます。- 09.12.27 sun @神奈川 鎌倉市 麻心 「ラビラビpresents 根っこの絵文字 3」
- Talk Guest : 北山 耕平さん
- Live : ラビラビ
- Open/17:00 Start/18:00 Close/21:00
- Charge/3,500円 1ドリンク付き
※30名限定 売り切れが予想されます。お早めのご予約をおすすめします。- ご予約 お問合せ :
・0467-25-1414/麻心 または
・「根っこの絵文字 予約」の件名で、お名前 , 人数 , お電話番号をまで送信してください。
- The organic & Hemp Style Cafe & Bar 麻心 : 神奈川県鎌倉市長谷2-8-11 2F
Twitter をはじめて2ヵ月ぐらいしか経たないのに、ずいぶん遠くまで行ってきたという感じがする。先週の土曜日の立教大学における講演が終了したので、それ以前の1ヵ月ほどのツイート(Twitter で公開した短文)のうち、このブログに残しておくべきと勝手に判断したものを再掲載しておくことにした。18日にリリースされる最新の『地球のレッスン』(太田出版刊行)もぼくの手を離れた。その本がよい旅をしてくれることを願うのみである。なお以前このブログで『自然のレッスン』へのコメントを募集し、太田出版の本にはさむフライヤーに掲載させていただいたみなさんへは、今年中にお手元に届くことになっています。
Twitterは140文字という制限があるものの、それさへ守れば自由度はかなり高いし、読み手と書き手の意思疎通の採り方も、これまでよりはるかに敷居が低く、また時間差もほとんどないので、新しい使い方がこれから続々と模索されていくメディアに成長すると思われる。新しいメディアを採り入れるのはなかなかおっくうという人も、少しずつそれを採用していかれると、パソコンだけでなく携帯電話などからのアクセスも自在となり、移動中でもどこからでも声をかわすことができるし、もちろん静けさが必要なときには距離を置くこともできる。
以下はこのひとつきの間にぼくが公開したものがほとんどだが、文字の色が変わっているものは、ぼくの書いたものへの意見や返事への返答だつたり、他の人たちの発言の引用だつたりする。なれるまでには当然時間がかかるが、始まりも終わりもない媒体としてのTwitterにぼくは少なからず期待するところ大であります。なお、引用したものは、読者の読みやすさを考えて、時間の流れが逆になっています。つまり、旧いものが上で、下に行くほど最近のものになるということ。現実のTwitterでは、常に最新のものが上に来ます。念のため。
ぼくのTwitterを読むときには「http://twitter.com/smilingcloud」にアクセスすればいつでも読めるけれど、自分で発言したり感想を書いたり、ニュースなどを読むためには各人がTwitterに自分を登録してもらわなくてはならない。ものの5分もあれば、登録はできるし、自分の場所が確保できる。発言を世界に向かって公開する設定にすれば、すべての人があなたのつぶやきをきく可能性はできるし、ぼくをその段階でフォローしていただければ、ぼくのTwitterにおける発言のすべてがあなたのところに自動的に届くようになるので、よろしく。
ネイティブ・アメリカンのヒップホップラジオ局。ThunderCloud Radio ストリーミング放送もしてる。http://thundercloudradio.com/
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アメリカの独立宣言はヘンプ・ペーパー(大麻紙)に書かれているって知ってました?
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ニューメキシコ州では人口の10%がネイティブ・ピープルで、新型インフルエンザで亡くなる人の20%がネイティブ・ピープルなのだと。急速なアメリカ化で糖尿病を患っているインディアンが多い増えているせいかも。http://tinyurl.com/ygsq7ew
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ラコタのエルダーたちが「われわれの儀式を売り物にして神聖なるものを冒涜するものは、スピリチュアルなバンパイアであり、その責任を負わなくてはならない」と死者三人を出したニューエイジのスウェットロッジ指導者を非難。http://tinyurl.com/yl32bj3
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きれいな雲たちが流れてますね。雲のなかの人たちも喜んでいるようで。遠くの山脈もきれいに見える。3日間ぐらい続いてくれないかな、この天気
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「1945年以来、皆さんが作り上げてきた、教育が大切だと考え、解雇はしないと言っていた日本で居続けてください。そして、他国を一切侵略せず、侵略しようとしている国をサポートしないと言っていた国に戻ってください」マイケル・ムーア http://ow.ly/Ihmf
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縄文人北方起源説を取る崎谷氏(「DNA・考古・言語の学際研究が示す新・北海道」)によれば、東北より北の縄文人と東北より西の縄文人では、その出自が異なり、二つが交わるのは、大化の改新以後に始まった蝦夷討伐による。http://tinyurl.com/yfmkhmy
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NYタイムズ紙の日本に関する記事で最も日本を震撼させたのが「Japan’s Outcasts Still Wait for Acceptance 」なる1月15日の記事。日本は被差別民をいまだに受け入れていないというもの。http://tinyurl.com/yz7sqhy
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RT: @smilingcloud: 今年初めのこのNYタイムズ紙の日本に関する記事で「部落問題に触れることは今なお日本最大のタブー」と指摘した。すごい1年のはじまり方だったね、今年は。http://tinyurl.com/yz7sqhy
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RT: @haeshii: @smilingcloud 『差別と日本人』で野中氏が語っていることは、85歳になる彼の遺言だと思います。▼ぼくもそう思う。日本における差別の根の深さをあらためて確認させてくれた本で、かなり楽しめた。差別は千年以上続く問題だと辛さんに伝えてほしいな。
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# RT: @haeshii: @smilingcloud 『差別と日本人』も何十万部と読まれているのにマスコミはほとんど取り上げないね。▼大切な本なのに、最大のタブーに触れるのがまだ恐いのかな。 新しい世代の登場は近いさ http://bit.ly/7QJCpb
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白人のなかに自分は「ネイティブ・アメリカンの血を引いている」「祖先がネイティブだ」と名乗る人が増加している。この人たちは『インディアン』とは絶対に言わない。ネイティブ・アメリカンという言葉が少しだけ白人ぽく響くから。同様に「ジャングル」ではなく「レインフォレスト」と彼らはきまって言う。
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それを白人の優越感のあらわれだというインディアンの人たちがいて、彼らはそうした白人を「プリテンディアン」と表現する。
#
差別される側からの視点を学ぶことで、はじめてバランスのとれた生き方が可能になります。
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ボリビアの大統領選挙で、コカ農家であり、現職大統領でもある先住民エボ・モラレスの再選は確定的。http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5gblaeheHgKvDQHSmSDeqMsjjX0pwD9CDMFS80
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今年のグラミー賞の "Best Native American Music Album"にノミネートされた5枚のアルバムのうち4枚をshop NATIVE HEART に掲載 http://tinyurl.com/yku8abz
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時はトイレットペーパーとよく似ていて、終わりが近づくにつれて、まわり方も早くなると、昔から言われている。時間の動きが速く感じるようになったら気をつけなくてはなりません。
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|日本人|人類学的|岩波広辞苑|モンゴロイドの一。皮膚は黄色、虹彩は黒褐色、毛髪は黒色で直毛。言語は日本語。
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|日本人|人類学的|マイペディア|旧石器時代あるいは縄文時代以来,現在の北海道〜沖縄諸島(南西諸島)に住んだ集団を祖先にもつ人々。
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|日本人|文化基準|エンカルタMicrosoft|日本民族は日本語を母語としてもちいる人々
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|日本人|Wiki_E|Worldwide, approximately 130 million people are of Japanese descent; of these, approximately 127 million are residents of Japan.
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以上の日本人の定義はエスニックグループとしての「Japanese people」の項目のウィキペディアに掲載されているものの一部。http://70.25.18.144/wiki/index.php?title=Japanese_person
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Jomon Genes Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese By JOHN TRAVIS http://tinyurl.com/y8o3veh
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原子力のまわりで動く金が巨額だから、地球の健全さを損なったとしても、やめて欲しくない人がたくさんいるのだよね。http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009120701000956.html
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ウラニウム鉱山に反対する医師たちが脅されて仕事を辞めさせられそうになつている。カナダのケベック州で。ウラン鉱山の周囲の住民と医師たちは、鉱山から排出される残土などによる水と空気の放射能汚染に不安。http://tinyurl.com/yg7hyss
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環境について語ることはスピリチュアルなものについて語ることであることを忘れることはできない。空気(風)も、水も、大地(土)も、太陽(火)も、すべてスピリチュアルなものそのものであるのだから。
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環境問題というのは、じつはスピリチュアルな闘いだったりする。自然をコントロールし、人びとをコントロールすることを望む力といかにバランスを取るか。グローバリゼーションというのもそうした力のひとつだろう。地球や、生きものや、人びとの生命よりも大切なものなどほんとうはないのだから。
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工場や研究室で作られている食べものにはスピリットがないという話を聞かされたことがある。スピリットのない食べ物を食べ続けていると、われわれは自分のスピリットを失うハメになる。つまり、われわれ自身のために物事を考えることができなくなるということでもある
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|おしらせ|今週土曜日12日午後3時から、立教大学池袋キャンパスで小生の講演があります。「ネイティブの国々を覆い隠す絨毯としての国家」がテーマです。詳しくは http://tinyurl.com/yj7hfcr
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文化庁海外展・大英博物館帰国記念「国宝 土偶展」 15日から東京国立博物館 楽しみですね http://mainichi.jp/enta/art/news/20091209ddm010040105000c.html
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屋久杉の縄文杉は炭素の同位体「C14」の比率を調べて樹齢約二千年以上と推定されたんだね。屋久島から眺めた日本列島の歴史の話を聞きにもう一度行きたいな。http://tinyurl.com/yb3r2wm
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「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」精神科医 呉秀三の言葉。「うつ病患者が初めて100万人を越す」http://venacava.seesaa.net/article/135147182.html
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ローリングストーン誌のヤン・ウェナーが1970年にジョン・レノンにたいして行った伝説のインタヴューがMP3音声ファイルとして5本に分けて配信されています。すごいや!http://www.rollingstone.com/special/8910389/john_lennon
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「もし原子力が答なのだとしたら、その答を導き出した質問はひどくマヌケなものに違いない」とオーストラリアのグリフィス大学教授イアン・ローウィ先生。
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コネチカット州で額に十字架のマークのある仔牛が誕生したと騒ぎになってる。キリスト教の国だから、なにこれ珍百景に応募したら、きっと叱られるんだろうな。でも可愛い牛だ。http://tinyurl.com/yhrfm6a
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資本主義と戦争は常に手をつないでいるのではないだろうか?
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@angelscanfly 資本主義というより、「お金が象徴する世界」といった方がよかったかもしれないな。権力というのも、最終的にはお金が象徴する世界になる。ぼくは「お金のない世界」があることを、それでも信じてる人間のひとりです。もう一人しかいないかもしれないけど。
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オバマ政権はアラスカ北西沿岸の北極圏における来年の夏からの原油発掘をロイヤル・ダッチ・シェルに認めたらしい。http://bsnorrell.blogspot.com/2009/12/obama-administration-approves-oil.html
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アメリカ 金を巻きあげる人たち この連中はなにを笑っているのか? ジョークの写真です(だと思う)。http://broadsides.org/suckers.htm
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すべてをお金で計ろうとするシステムにおいては、そのシステムを作りあげた人間は、自然も人間もすべてをそこから利益を上げるための対象と見る。あらゆるものに値札がついている社会では、自然であれ、母なる地球であれ、必然的に商品にならざるをえない。自然も母なる地球も人間の奴隷ではない。
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# @drfrogger わざわざ来てくれてありがとう。大学を出てから立教をたずねるのは2度目。池袋西口の変貌ぶりに愕然としていました。99バーセントは知らない町だったもの。のこりの1パーセントを頭は探していました。たくさんの人が来てくれて楽しかったです。

まえがき
蛙はけして自分の住む池の水を飲み干したりはしない
ここに集めた詩や、考え方や、教えは、この三十年間にぼくの周囲に風に舞って運ばれてきたものです。そうした葉の一枚一枚を、言葉のひとつひとつを、それぞれの教えを、ぼくは意識して集めてきました。時折、季節の変わり目を告げるかのように強い風が吹いて何枚もの葉が飛び散っていきました。それでも自分のすぐ近くに残り続けていた教えの記された葉を、三十年前に『自然のレッスン』という本を作ったときのように、もう一度まとめておくことにしました。
認めてくれる人は少ないかもしれませんが、ぼくの意識のなかでは、こうしたものをどれも詩として受けとめています。詩というのは、ぼくにとっては羽根の生えた言葉です。ここに集められた詩のなかには、最近風に舞って運ばれてきたものも、情報の海に浮いていた瓶の中に閉じ込められていたものもあるし、地球に生きるネイティブの人たちから託されたものもあります。図書館で読んでいた本のなかから形をあらわしたものも、何十年も前に、ぼくがなにかを探して沙漠の中をひとりで歩いているとき、風を切るように円を描いて空を舞っていた鷹から落とされたものも、また何キロも遠くからぼくに向かってまっすぐ歩いてきて、すぐ近くまで来て立ち止まったコヨーテの兄弟から預かったものなどもあります。
こうしたものは、みなすべてなにかの印でしたが、ぼくにとっては教えであり詩でもありました。
ぼくは便利な物が世の中にあふれてくるのを見て育ちました。子供の頃の自分には見たことのなかったものに囲まれて暮らしています。たとえば食べ物。インスタント食品が初めて登場したときのことを忘れません。家族で丼にインスタントラーメンを入れお湯を注いで蓋をして三分間待って食べました。その味は記憶に焼きついています。家族がそろって食べた最初のインスタント食品でした。今ではインスタント食品はひとりで食べるのが基本のようです。
ぼくがアメリカにいた頃はインスタント食品の TVディナーが全盛の頃でした。オーブンに入れて温めればそのまま食べられる夕食のことです。どこのスーパーマーケットでも売られていて、寂しい人たちがテレビを観ながらその簡易食を食べていたのです。ところがぼくはそのアメリカで、人間の意識に食が与える力の大きさについてさまざまに学びました。「なにか胃にたまるもの」と食事は別のものだったのです。米や玄米の炊き方や味噌スープの作り方をきちんと学んだのもアメリカでのことでした。
いつか食にたいする考え方にも大きな変化が来るだろうと、なにが人間の食には重要なのか、そして便利なものの増えていく世界のなかで忘れてはならない規則や原則を、いくつも集めてまわり、のちにぼくは『自然のレッスン』という最初の詩集に書き込みました。
しかしファストフードが世界の隅々にまで普及する時代が来ます。今ではさまざまなファストフードがあふれるようになりました。ファストフードなしで食を考えられない人もたくさんいます。今ではどこのスーパーマーケットでもポテトサラダを売っていますが、この「二四時間以内にお食べください」というシールが貼られたトレイのなかのポテトサラダと、子供の頃に母親がポテトを茹できゅうりなどを刻んで作ってくれていたポテトサラダとでは、決定的になにかが違います。
ファストフードの時代になればなるほど、子どもたちは食べ物がどこからもたらされているのかへの関心を薄めていきます。チェーンのレストランなどでは、食べ物はどこかの工場から送られてくるものを温めるだけのような店までたくさんあります。ポップコーンがトウモロコシから作られ、ポテトチップがジャガイモから作られることを知らない子どもたちだっています。世界がファストフードであふれるようになると、あらゆるものが 便利でお手軽なものを求めるようになっていました。
世界からリアルなものが姿を消していました。インターネットがそれに拍車をかけています。今では街の書店に行けば、簡単になにかがマスターできたり、サルでも理解できるように書き直された入門の本、三日で悟りに行けるようにしてくれたり、簡単にお金が稼げて新しい生き方が自分のものになることを謳うような書籍など、無数の快適な人生を提供する心のファストフードがあふれています。一度読んだら捨てられたり売られたりする本を、木を切り倒してつくる紙に印刷する必要などないのではないか。ぼくはそうした本はリアルな本ではないと考えるようになりました。
ぼくがこれまで書いてきた本はどれも、ちょっとした満腹感を与えるためだけのファストフードではありません。この本にも簡単に成し遂げられることはなにひとつ書かれていません。『自然のレッスン』が体と頭に働きかけたのとおなじことを、この『地球のレッスン』は心と魂に向けて行なおうとしています。人間が辿ることになる最も長い旅路は、頭からハートへと続く道だとのちにぼくは教わりました。この人生でたどり着くことができるのかどうかはわかりませんが、歩き出して、前を見て歩き続ければ、いつか着くだろうと楽観的に考えています。
ぼくは七〇年代の初めに大学生として世界を知り始めました。実際、あのときは大変なことがいっぺんに世界的規模で起こっていました。世界はぐちゃぐちゃになりかけていて、そして急激にぐちゃぐちゃになっていきました。
人間が月に行ったり、月から見た地球の映像が家のテレビに映し出されたり、テレビで実際の戦争が中継されたり、ロックが音楽の枠を越えて政治や人間の生き方に影響を与えたり、今まで作りあげられてきた中産階級的な生き方がほころびを見せはじめたり、バブルがさまざまな形でじわりと広がりはじめたり、持つ者と持たざる者の差別があらわになってきたり、空気や水がどんどん汚れて公害という言葉が使われるようになり、人間の手に負えない病気が広まったり、廃棄物の処理のことなど考えない原子力 発電所が増殖し、自然が少しずつ撤退をはじめて不自然が世界をとりまくようになったり、アメリカ・インディアンがサンフランシスコの海に浮かぶ小さな島を占領して「アメリカはわれわれの土地だ」と宣言し直したり、国境や国家を越えたところで人と人とをつなげようという動きが盛んになったり、人種や民族や宗教の対立がことさらにあおられたり。世界は大きく変わりはじめていました。
やがてベルリンの壁が倒されたり、人びとが愚かな振る舞いを繰り返すようになっていって、資本主義にも限界が見え隠れするようになるわけですが、ぼくはそうしたただならぬ変化がはじまったばかりの世界に向かって旅立ったのです。
二〇代から三〇代にかけて、ぼくは旅を続けました。いろいろな言葉を話すさまざまな人たちと出会い、自分が誰で、なぜこんな事をしているのかについて考え、話を聞いていきました。与えられるハイもローも経験しました。
どういう生き方をすれば生き延びられるのか ? ほんとうにたいせつなこととはなにか ? ぼくは解き放たれた矢のように飛んでいきました。そしてある朝目を覚ましたときにはロサンジェルスのホテル、ホリディ・イン・ハリウッドの部屋にいる自分を発見しました。持ち物はスーツケースひとつだけ。
ぼくはそれから五年間ぐらいかけてアメリカで生き延びながら、自分の生まれた世界についての学びを続けました。人間はその一生をずっとコンクリートのうえだけで、山のようなビル群の作る渓谷のなかだけで過ごすべきではないと知ったのもその頃でした。ほんとうの自然があるところまで行かなければ思い出せないこともあるのです。
その過程でアメリカ・インディアンと呼ばれる人たちの存在に心を奪われ、彼らのなかに入り込み、自分がどこにいてどこへ向かっているのかをあらためて思い出させてもらい、自分に道を指し示してくれた何人かの知者やエルダーと会うことができました。
自分たちのことを「地球に生きる普通の人間」と見ている存在との忘れられない出会い。アメリカではコロンブスが来るまで「いのちの輪の中に正しい場所を得て、地球に生きる普通の人間として魂が旅する時代」が続いていたという偉大な気づきは、ぼくの精神のある部分を地球にしっかりとつなぎ止める働きをしました。ぼくにはこの地球という星でやらなくてはならないことがあったのだ、と。
そしてアメリカでインディアンのことを学べば学ぶほど、自分が誰なのか、日本人というのはなになのか、についての関心も高まっていきました。というより、ぼくたち日本人のなかにある「ネイティブ・アメリカンの人たちとつながる部分」に目を向けなくてはならなくなっていったのです。
同時に「ネイティブ・アメリカンから遠く離れてしまっている自己」とも向き合わねばなりませんでした。あらゆる機会を通じてアメリカ・インディアンとして世界を見る見方を学ぶうちに、自分のなかでさまざまなものが動きはじめました。ぼくたちが現在持っているネイティブの部分と、あらかじめ失ってしまっているネイティブの部分。大地から切り離されていた自分と、大地との関係を修復したがっている自分。地球という太陽系の第三惑星という星で、ネイティブとして生きるとはどういうことなのか?
結局ぼくは、自分が日本列島になぜ生まれたのか、その理由を深く知るためにこの国土に戻されることになりました。自分のなかのなにがこの大地と、本州と呼ばれる小さくて大きな島とつながっているのかを、ひとりの「インディアン」としてあらためて見直すため、そして学びなおすための作業を続けることになるのです。この学びは誰かに言われてする勉強ではなく、自発的なものですから、終わることはありませんでした。
三〇代から四〇代にかけて、ぼくは日本列島のさまざまなところを見て回り、たくさんの人たちと会いました。学びの旅は終わってはいませんでした。アメリカ・インディアンのもとで学んだ世界の見方で、ぼくは日本列島の上にあるものひとつひとつを見直す作業に没頭したのです。
どうして日本列島の自然はこんな風に無残に姿を変えられて、不自然を自然と思い込むに至ったのか ? 日本列島にいたインディアンはなにをきっかけに日本人となり、土地に世界最高の値段をつけて売り買いするまでに至ったのか ? 根の深いところに焼き込まれてトラウマになっている「差別」はどこから来ているのか ? アイヌの人たちのみならず、日本列島にいたであろうさまざまなネイティブ・ピープル、オリジナルの人たちの痕跡と影を追跡する作業に、ぼくはひたすらのめりこみました。右の人たちとも左の人たちとも、上の人たちとも下の人たちとも、危ない人たちとも危なくない人たちとも会いました。世界の見方のバランスを取りながら、どのようにしてぼくたちが「日本人」になるかわりに地球のネイティブとして生きる道を捨てることになったのかを検証していかなくてはならなかったのです。
同時に、たくさんの歴史について書かれた書籍の森のなかの旅もはじめました。あまりにも古いことなので、日本列島で歴史がはじまったときになにが起こったのかを語ってくれる人はもういませんでした。日本列島にいた最初のオリジナルな人たちが、どのようなプロセスを経て「日本人」になっていったのかを、ぼくは知りたいと考えました。ぼくの魂は、日本列島でなにが起こったのかについてのほんとうのことを知りたがっていました。
アメリカ・インディアンの世界の見方を通してぼくは、地球を全体として眺めると、地球のいろいろなところに大地とつながって生きている最初の人たちがいたことを知ることができました。その人たちは天地創造に際してある種の約束を偉大なる存在と交わしたうえで、それぞれの大地を与えられてそこを守る生き方、すべてのいのちが与えられた役割を満足して送る生き方を選択していました。集金組織としての巨大宗教はいまだひとつも存在せず、人びとはあらためてそれと気がつく必要もなく、一日じゅう信仰のなかで生活していました。そうした時代には便利なものなどあまりありません。
やがて人間にとって便利なものが続々と産み出されて、あるとき、大地から切り離された人間だけが中心だと思い込む時代が訪れてしまいます。世界は便利なものであふれかえり、人間は自然を支配できると考える時代が来て、その結果、母なる地球が瀕死の状態に陥り、人びとが自滅に向かう輪を編み出す頃、最終的に、世界平和をタテマエとした宗教戦争が各地で起こるようになると、人びとが愚かな振る舞いを勝手に至るところで行うようになるでしょう。
そのときはじめて、あらゆる権威が崩壊して混乱した価値のなかで、ぼくたちの魂は地球に生きる人間としてほんとうに大切なものを求めはじめます。
地球を母親として見て、その母親をいたわるように生きてきた人たちがなにを知っていたのか、どういう生き方を後の世代に伝えようとしたのかを知ることは、おそらくこの地球で生き残るために最低限必要なことになるはずです。
五〇代になるとぼくは、自分がそれまでに知り得たことを次の世代とわけあうための方法を模索しはじめました。なぜ「地球に生きる普通の人間」と自らを呼ぶ人たちにこだわり続けるのか。その人たちはなにを知っ ているのか ? なぜ彼らのような生き方がもう一度求められるときがくると信じているのか ?
都市のなかで育つことを初めから求められていた世代にとって『自然のレッスン』が少しだけそこから飛び出る勇気を与え、自然についての新しい視点を提示したように、日本人としての自分のことしか考えられなくなって硬直化しつつある人たちのために、そして未来を生きる世代のために、もう一度地球に生きる普通の人に還るための覚書を残しておくことは意味があるでしょう。
ぼくたちの傷ついた魂の歴史もそこからはじまったのですから。そしてその部分を忘れ去ることで「日本人」になってきたのですから。
「日本人」として生きる生き方と、「地球に生きる人間」としての生き方というふたつの世界の間で、自然なるものにたいするいっさいの偏狭な差別を終わらせてバランスをとる方法を、ぼくたちはこれから発見しなくてはなりません。
この本は、そのときに役に立つはずです。しかし、これはあなたの心のファストフードにはなりえません。インスタントな解決策はなにひとつ書かれていません。もう一度自分は「地球に生きる人間」となると、あらためて心を決めた人のための地球の優しい歩き方について書いてあるからです。オリジナルの人と出会うために、これは自分の足で歩いていくための教則本なのです。
ぼくは聖人でもないし、とりたてて清い心を持っているわけでもありません。これまで生きてくるあいだにたくさんの素晴らしい、スピリチュアルな人たちと出会ってはきましたが、みな生身の人間であり、自らを「聖人」などという人とは会ったことがありませんでした。
世の中には自分を聖人だと思い込んでいる人も、思い込まされてる人もいるようですが、みなちゃんと出会ってみれば背中に羽根がついていることもないし、雲に乗っかっているわけでもなく、雲間から音楽と共に光が当たるような存在ではありませんでした。自分がひとりの地球に生きる人間であることを忘れているだけかもしれませんが、そんな人がもしいたとしたら、きっとあまりの退屈さと窮屈さに「大変ですね」のひと言でもかけてあげたくなると思います。
わたしたちはみな役割を与えられて地球に生かされているにすぎません。若いときは、自分がなにをするためにここに生まれてきたのか知るのはむずかしいことです。この世界で起こっているいろいろなことに興味を持つでしょう。セックスの力に翻弄されそうになる自分を体験することもあるでしょう。セックスの誘惑は時としてその強烈な力で遠くを見る目を曇らせてしまうことがあります。その力は、あなたがそれを使うのにふさわしいと思える相手にだけ使うようにしましょう。セックスの力を意識してコントロールする心の使い方を訓練すれば、その他の大切なことやものをミスすることも減って、地球の旅は豊かになります。
体験しなくてはならないことは山のようにあるのです。なんて辛い人生なんだろうと思えることも多いはずです。しかし、その人生という道の所々で、誰かが、なにかが、あなたを引き留めるような気がすることがあるかもしれない。そういうとき、立ち止まって振り返り、辺りを見まわしてみるようにする。自分のやるべきこととはそうしたなかで出会うものです。
そしてそれを見つけたら、それを、自分の進むべき道をしっかりと見続けて、確信と共に歩いて行くことです。人生はいちどだけなどではありません。ぼくの出会った偉大な存在は、自分は四回目の人生を送っている、と語っていました。過去に生きた記憶を持っている人もいるでしょう。過去生の自分は、今回の人生をより良くするための教えなのです。
やるべき事をやり終えるまで、あなたの旅は続き、魂はこの星にとどまり続けるのです。自分に与えられた特別な時間を無駄に使わないようにしてください。
ぼくは、言葉には羽根のついたものがあり、そうした言葉は風に乗って広まると信じています。ほんとうのことを伝える方法を長いこと模索してきましたが、結局は言葉を使うしかないのです。言葉は旅をし、思考も旅をします。ぼくは羽根を生やした言葉となって風に乗って旅を続けるでしょう。
ひとりの地球で生きる人間であることは、本腰を入れて取り組まなくてはならない勤めです。もしわたしたちに地球を破壊しその息を止められるぐらいの力が与えられているのなら、わたしたちはその生き方を改めることで、母なる地球のいのちを救うこともできるのです。
もういちど、あなたと地球に生きる普通の人として会いましょう。
己丑の年、冬、武蔵野にて
北山耕平
*以前当ブログで太田出版刊の『自然のレッスン』のフライヤー用に感想をよせてくださったみなさんのうち、掲載されたコメントをいただいた方には、『地球のレッスン』をプレゼントとしてお送りします。届くのはおそらく年末になります。プレゼントを受け取った方は、なにとぞもう一冊ご購入の上、誰かにプレゼントしてくださればありがたいです。\(^O^)/

ホピ・カルチャー・センター以外に公式な宿泊施設がなかったホピの国。そのカルチヤーセンターも先日ホピの国を訪れた友人によれば老朽化はかなりのものであったらしい。この50年間ではじめて建築されたホピの国の最新宿泊施設が12月中にオープンする予定で最後の仕上げ段階にさしかかっている。ホビの国の西のはずれ、モニュメントバレーからも遠くなく、チューバシティの近くのモエンコピというところに建設されているMoenkopi Legacy Inn & Suitesがそのホテルだ。フラッグスタッフ経由でホピに向かう人たちのほとんどが通る道にある。モエンコピ村の長老たちの、この村はホビの国の入口として人びとを迎え入れる施設を作るのにふさわしい場所だというビジョンに基づいて建設されているという。モエンコビ・レガシー・イン・アンド・スイートはホピの国を訪れる人たちのための教育施設も目指すらしい。アメリカで最も伝統的な人たちのモダンなホピ的デザインの内装や外観をもっと見たい人はHotel Imagesを見てください。
立教大学地域系研究所共催連続公開講演会「ネイティブ・マインド」立教大学アメリカ研究所設立70周年記念レクチャーシリーズ<Native American Dialogue>
グローバル化が進む現代では多面的な視点を持つことが不可欠です。1つのテーマに異なる地域から様々な光を当てるため、立教大学に属する4地域研究所による地域横断的な連続講演会を企画しました。初年度の今年は「ネイティブ・マインド」を統一テーマに世界の土地固有の文化に深く結びついた人々の在り方を紹介します。アメリカ研究所が担当する第3回講演会は、約30年にわたり環太平洋の先住民族とその精神世界を探求し続けている北山耕平氏を招聘し、アメリカ先住民と国家の関わりについて講演していただきます。
開催日時、場所などの詳細は以下のとおりです。予約不要・入場無料ですので、奮ってご参加ください。
ネイティブの国々を覆い隠す絨毯としての国家
日時:2009年12月12日(土)15:00-16:30
場所:立教大学池袋キャンパス5号館5221教室
講演:北山耕平氏
司会:阿部珠理(立教大学教授、立教大学アメリカ研究所所長)共催:
立教大学アジア地域研究所
立教大学ラテンアメリカ研究所
立教大学日本学研究所対象:学生、教職員、一般
予約:不要
入場:無料詳細:立教大学アメリカ研究所
全米各地のネイティブ国々の旗をずっと映していく動画。タイトルは「見えないインディアン」だが、内容は「われわれが見えないのはあなたが見ようとしていないからだ」「われわれが見えない理由はただひとつ、あなたがたが見ることを拒絶しているから」「われわれは見えないインディアンではない」と歌っている。アメリカという絨毯の下に隠されている幾つもの国の旗、あなたはいくつ知っているだろうか? ところで、日の丸の絨毯の下にはいくつの見えないインディアンの国があったのだろうか?
「40年前の今日金曜日、ほとんどが大学生だった十数人のネイティブ・アメリカンが、サンフランシスコ湾に浮かぶ、当時はほとんど使われていなかった小さな島にボートで渡り、武器を持たずにその島を占拠することになりました。この占拠は19ヶ月間続くこととなり、世界中のメディアの注目を集めたのです」とCNNは昨日の午後のニュースで「1969 Alcatraz takeover 'changed the whole course of history'」として伝えた。
ニュースのなかで、40年前に占拠に参加していたアダム・フォーチュネイト・イーグルはCNNの記者にこう語っている。
「われわれは歴史の流れそのものを変えた。この島の歴史の流れを変えたし、政府の歴史の流れを変えたし、政府とインディアンの関係の歴史も変えた」
ここに紹介するビデオは、ネイティブ・アメリカンの人たちが当時撮影したモノクロの写真だけで構成されている。よけいな言葉はいっさいないが、かえってそれがこれらの写真に雄弁に語らせているかのようにも思える。ここに登場するインディアンの若者たちはみなすでに60を過ぎているし、なかにはすでにスピリットの世界に旅立たれた方もおられる。このアルカトラツという大きな岩の塊の占拠がアメリカに与えた衝撃は、その後80年代まで続いていた。

Twitter をはじめてから、短いニュースや緊急性の高い情報や、個人的なものでブログに掲載するまでもないと個人的に判断したものは、ほとんど Twitter で流すようにしています。できれば「http://twitter.com/smilingcloud」のほうにもいらしてください。Twitter をぼくが気に入った理由は、それが「始まりもなければ終わりもない」世界だからです。どこから入ってもいいし、どこででてもいい。Twitter に自分の場所をつくっておけば、いつでもどこでも始まりもなければ終わりもない世界とつながれるわけです。
まだはじまったばかりでどこまで成長するのかわからないところもありますが、ネイティブの人たち、そしてネイティブの若い人たちとの日常関心のある事ともつながることができます。自分とそりが合わない人の声を無理して聞く必要もないので、2チャンネル的な用心深さも余り必要なさそうです。もちろん、そこには普通の世界と同じように、どうでもいいものからどうでもよくないものまでたくさんの世界が複雑に錯綜しています。基本的にこれまで RSS で読んでいた世界のニュースは今では Twitter で読む方が多くなっています。
でも基本は、たくさんの人の声と出合う方です。二ヶ月ほどこの世界を歩いて、いまでは150人ほどのヒトたちの声というか書き込みとつきあうようになっています。有名無名を問いません。自分と同じ興味を持っている人たちや、同じ方角に向かって歩いているヒトたちの声とときどき出会えるのはなかなかの楽しみです。まだこの世界を良く知らないという人は、少しだけ我慢してしばらくこの世界を探索してください。Twitter のはじめ方の案内は「Twitterkのはじめ方」のなかにあるものをいくつか読まれればじゅうぶんでしょう。便利なアプリケーションがたくさんありそうなので、ひとつ使いやすいものを見つけてしばらく使い込んでみて、Twitter のなかの始まりもなければ終わりもない世界をのぞいてみましょう。
もちろん Native Heart はこれからも続けます。書くにふさわしいものがあればここに掲載しますし、これまでに書いてこのウェブログのなかに蓄積されているたくさんの情報を有効的につかえるような方法も考えています。ウェブログとTwitter を上手に使って始まりもなければ終わりもない世界での歩き方を一緒に探索しましょう。
以下はこの一週間ほどに書き込んだものの一部です。英語の部分は、ぼくの tweet(発信する情報)を読みに来てくれているアメリカのアーバン・インディアンの人たちのためのものです。
気候変動が世界の先住民の共同体に与える影響はわれわれの想像を超えてる。なぜなら彼らの生活のすべてが、経済も、植物も、聖地も、大地と生命はひとつと見えているがゆえに、気候変動からダイレクトに影響を受ける。来月のコペンハーゲンに彼らの声がいかされるといいのだが。
ボリビアで「先住民」としてモラレスが大統領に選ばれて4年がたとうとしている。彼の国の大統領は最長でも8年と憲法できめられている。おそらく12月に再選され、残りの4年間に彼がなにをなしえるのかに興味がある。いちどボリビアに行きたい
"雲の形とそれを見る人間の意識とが連動しているらしいと気がついたのは、十代の終わりのころだったろうか。雲の形を変えたり消したりするのは・・・"
家が東に向いていてうれしいのは、今日みたいな日に、のぼってくる太陽に挨拶ができることだね。
@smilingcloud セドナで The International Council of 13 Indigenous Grandmothers が12月3日から4日間開催。13人の偉大な母親は「祖先の教えが不確かな未来に続く道を照らす明かりになる」と信ずる先住民の女性たち。
"International Council of 13 Indigenous Grandmothers"
"長野県の井戸尻遺跡から出土した縄文時代中期の土器には、ブドウの種が付着していた" これだけの情報から縄文時代の人たちが酒を飲んだかのように書ける記者の頭のなかはなんだろう
ぼくがTwitterを気に入った理由は、ただのつぶやきではなかったから。つぶやきといわれていたらはじめなかっただろうな。文字を書く人間にとっては、始まりも終わりもないところに書き込めることがうれしいのだな。こんなメディアはどこにもなかったもの。
"オレゴン州では、約2万1000人が医療目的での大麻使用を登録しており、医師はアルツハイマー型認知症や糖尿病などの患者向け大麻を処方することがある"
@smilingcloud 23日ぐらいまでかなり見えるみたいなので、防寒をしっかりして、ホットココアなど用意して、丑三つ時に空を見あげていましょう。
11月17日深夜から18日の明け方にかけてがしし座流星群のピークですが、天気を誰か晴らせてください。
パシフィック・ノースウエストコーストのバンクーバーの沿岸にクワキウートル一族が住んでいる。現在では彼らは15の居留地に分けられている。ここに紹介するのは彼らが伝統的に行ってきたポトラッチという儀式を再生させる試みを記録したものだ。この儀式はカナダ政府によって禁止されて久しい。カヌーを扱う人たちで、1の方の後半に出てくる、鳥人間が乗ってカヌーで航海する光景を見るたびに、ぼくは日本列島に日本国が建国される以前の情景を想像する。きっとご覧になると、この人たちとわれわれの祖先はどこかでつながっていたと思うに違いない。
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